第12話 霊峰は朱く染まる ⑥
12話ようやく終わりです。ここまで膨れ上がると今の話数分けも考え直した方がいいかもですね。
「おい、嘘だろ…」
魔猫に咥えられて脱兎のごとく逃げていくメルたち。その潔いの良すぎる後姿に、エドはそれまでの緊張感を忘れて呆然と立ち尽くしてしまった。
「ーーじゃない、逃すか!!」
すぐに我に返って追撃しようと踏み込んだところで、一体に漂う魔力に異変が生じていることに気がついた。
☆
「よし! 作戦通り離脱できたな!」
遥か後方に遠ざかったエドを見てエイリークは快心の笑みを浮かべている。
「そだねー。良かったねー」
彼の考えた作戦が成功したこと自体は素晴らしいし、賞賛にも値するのだが…、
「ちょっと絵面が…」「ござる…」
フラットに掴まりながらそれに応じるメルとフォルテ、ミツキはどこか遠い目をしている。
と言うのも、魔猫とはいえ乗せれるキャパにも限界があったため、やむを得ずエイリークは口で咥えられる形で運ばれているのだ。
もちろんこれは、エドの猛威からの命懸けの逃避行ではあるのだが、いかんせん、厳つい大男が子供のように魔猫に咥えられて運ばれている姿を前にすると、メルたちは真面目に応じることに思い掛けない難しさを覚えていた。
とーーー
「皆様、ご無事で何よりです」「何よりですわっ」
「おっと! びっくりしたな…」「シーリン、ベラ!!」
疾走するメルたちの横に突然現れたシーリンと、彼女に抱えられたベラに驚きの声が上がる。
唐突な登場もそうだが、少女とはいえ人一人を抱えた状態で魔猫に並走するこのメイドは一体何者なのだろうか。エイリークにしても、冒険者としては駆け出しのようだがその実力は明らかに熟達している。裏表の無いようで実は謎の多いメルとそのパーティメンバーたちを思い、フォルテとミツキは密かに首を傾げた。
「そろそろ射程範囲を抜けます。準備はよろしいですか?」
「っ! うん、大丈夫!」
思考が横道に逸れかけたところに声を掛けられ、フォルテたちはすぐに目の前の状況に意識を戻した。視線の先では、無事だった前衛職の冒険者たちがエドを取り囲むように並んでおり、準備は整っているようだった。
「フラット!」
『ガウッ!!』
フォルテの言葉を合図に、フラットは一層高く跳躍して射程範囲外を示すラインを前衛たちごと飛び越えた。
あらかじめ用意されていた退避空間に無事全員が着地したことを確認したエイリークは即座に声を発した。
「退避完了だ。ベラ!」
「はい!」
即座に応じたベラが空に向けて赤い信号弾を打ち上げる。
「集中砲火だ、浴びせろ!!」
信号に応えるように一帯を漂う魔力が一気に膨れ上がった。
「霊脈起動ーー!」
「ーー聖アウロラの御名に願い奉る」
「我らの敵に死の鉄槌を!!」
射手は矢をつがえ、魔術師は各々に適性に即した攻撃魔術の詠唱を始める。そして次の瞬間には、天恵〈スキル〉によって強化された無数の矢と、火球、雷撃、鉄杭という様々な形を成した攻撃魔術がエドへと降り注いだ。
前後左右どこへ逃げても着弾は避けられない濃密な殺意。あの超人的な戦闘能力をもってして全力で回避行動をとったとしても、十分なダメージを与えられるだろうとその場にいる誰もが思った。
ーーーしかし、
「そんな…」
“それ”を目にしたメルは知らず低く呻いていた。
彼らの視線の先で、絶体絶命の最中にあったエドが自身の真上に風魔術を打ち上げ、それによって開いた突破口から遥か上空、嵐のような攻撃のその外側へと飛翔したのだ。
風魔術を応用してそのまま上空で静止したエドは眼下でこちらを見上げる無数の冒険者たちを捉える。自身を見つめるその視線をここからでは認識することができないが、そこかしこから自分に対する恐れを感じ取ることができる。
彼らからすればこれも数ある任務の一つ。何より、かの“武優の剣”が参戦するともなれば万に一つも負けるなど考えていなかったのだろう。
馬鹿にされたものだ、と込み上げてきた乾いた笑いを収めながら、エドは自身の霊脈を通して新たな魔力を愛用の神槍に流し込んだ。
「野郎、一体何するつもりだ?…っ!!」
しばしの間ただこちらを見下ろしていたエドが突然、無造作にその手に握られた騎兵槍を振るった。ただそれだけの動作で、この空間に充満していた魔力が震えた。
「来るぞ! 構えろ!」
誰かの言葉に冒険者たちが身構える中、濃密な魔力の流れが彼らの元へと殺到する。
その直後に起こった衝撃と悲鳴、そして舞い上がる土煙が戦場を覆い尽くす。
「…おい、皆無事か?」「…どうなってるの? 一体何が…」
酷い衝撃からいち早く立ち直った冒険者数人が体を引きずりながら辺りを見回す。
「おいおい…嘘だろ」
立ち上る朱い土埃が収まるにつれ、自分たちの身を襲った攻撃の被害の全容が明らかになる。
それを目にした冒険者たちは一様に驚愕から言葉を失った。
エドが放った幾重にも及ぶ風の刃はさながら巨大な斬撃となって前線に集まっていた冒険者たちへと降り注いでいたらしい。この攻撃を受けた大地は、その至る所に巨竜の爪痕のような亀裂を刻み込んでいた。
当然そんな攻撃を受けた冒険者たちもタダで済んでいるわけがなく、意識を失っている者、力無く呻いている者、そして恐らくは死んでいる者と、壊滅的な打撃を被っていた。
「…これ以上ここを保たせるのは無理だぞ。どうするメル」
「うん、分かってる…」
そう言ってメルは周囲の仲間たちを見渡す。
他のパーティのことまでは分からないが、少なくとも自分たちの仲間はここまで酷い怪我も無く、何より一人として欠けること無くここまで来れた。
だとしたら、今の自分たちが取るべき道は一つしかない。
そこからの形勢の逆転は早かった。エドが先陣を切って冒険者の集団を切り開き、それに焚きつけられた反乱軍が追従する。元より他所のパーティとの連携に乏しい冒険者たちは、唯一の強みだった勢いを殺されると雪崩を打つように崩れ始めた。
「不味い、前線が崩れた」
手を抜かれていたとはいえどうにか戦いになっていた時とは打って変わって、混乱の渦と化した前方集団。その惨状見てメルやエイリークは焦りを浮かべる。
「みたいだけど、どうすればいいの?」
「撤退しかないよ。ボクたちの実力じゃきっと話にもならない」
「私も同意します。一刻も早く退きましょう」
「あれ? もしかして撤退とか考えてる?」
「「「っ!?」」」
そんなメルたちの前に、エドが悠々と降り立った。彼女らの間に漂う空気を察したのか、エドは相も変わらない気さくな調子で声を掛けてくる。
挑発的なエドの様子に反射的に湧き上がる反発はあったものの、自分たちの消耗を考えるとここが引き際だろう。努めて平静を保ちながらメルはエドと向き合う。
「…はい。悔しいけど、今の私たちじゃ貴方と渡り合うことも出来ない。出直させてください!」
「いや、そんなに堂々と言われちゃうと俺としても引き留めづらいんだけど…。こっちも可能な限り足止めはしときたいんでね。悪いけど見逃すわけには…」
「?」
不意に口を閉じてメルたちとは全く別の方向、恐らくはここから南側へ行った先の防衛線中央部へと視線を向ける。その表情に先ほどまでの余裕はなく、険しい目つきで遥か彼方を見つめていた。
「ああ、くそっ。やはり狙いはこれか!」
容易く冒険者たちを切り伏せていたエドは、防衛陣地中央部に迸った光を見て忌々し気に吐き捨てた。
さらにその異変が伝わったと思われる反乱軍の将軍、ジルがエドの元へと馬で駆けつけた。
「将軍、騎乗から失礼致します! 中央線線にてーー」
「ーー分かってる! しかしこっちの防衛線も十分に押し返せたとは…」
ジルからの報告を遮り、考え込むエド。それを見たジルは迷うことなく口を開いた。
「将軍、行ってください! ここは我々だけでも十分持ちこたえられます!」
「っ…」
部下の目に宿る決意が固いことを見てとったエドは無言で頷く。
「聞いた通りだ、そこの冒険者たち。面白い経験だった、また機会があれば是非手合わせ願おう」
そして黙って事態の推移を見守っていたメルたちにそう声を掛けてくる。
咄嗟のことに返事に戸惑うメルたちを見てエドは少し微笑むと最後にジルの肩を一度叩き、次の瞬間には遥か彼方へと跳躍していた。
一瞬で魔力を身に纏い大地を軋ませるほどの彼の力を見れば、メルたちが一体どれだけ容赦されていたのかがよく分かる。
「私はこのまま陣地に戻るが、お前たちはどうする」
「へ? え、あっと…」
それまで直接関わることがなかったジルに突然話しかけられてメルは口篭る。そんなメルの様子を見たエイリークが代わりに口を開いた。
「俺たちはもう撤退する。…まあもう十分に戦ったしな」
「作戦通りに」という言葉が喉まで出かかったが、結局飲み込んだ。敵に言われてもあまり気持ちの良いものではないだろう。
「そうか、逃げるなら早くしておけ。すぐにこちらの攻撃も再開される」
「了解だ。恩に着る」
軽く応じるエイリークにジルは一つ頷くと、そばで控えていた騎馬に飛び乗り陣地に向かって走り去っていった。
遠く、戦場の中心部であろう方角から大きな魔力の揺らぎが感じられる。恐らくはアーサーとエドが繰り広げる戦闘の余波だろう。
戦場の端の端であるはずのこんなところからでも観測できてしまう。
その事実に、メルたちは無言のまま戦慄した。
「…行こう」
「ああ」「そうだね」
静かなメルの声に、仲間たちも各々に続いた。
☆
冒険者たちをもってしてアドルスタス大要塞の防衛線は破り難かった。
それを覆すとすれば、やはりこの男の存在だろう。
「やっと出てきてくれたね、エド」
「ああ。そりゃそうなるよな。だから前には出たくなかったんだ」
その笑顔を向けられた者は皆安心するアーサーの微笑みに、エドは警戒心を滲ませた苦々しい笑みを作った。




