第12話 霊峰は朱く染まる ③
サン・スノーチェニスカ王国とウラムス統一連邦を北から東へ斜め方向に大きく隔てる朱い霊峰スロヴォーツク山脈。この雄大な山脈を中心に周囲を固めるようにして築かれたアドルスタス大要塞は今、国家の明日を左右する戦いの渦中にあった。
サン・スノーチェニスカ王国の皇太子メードスと、王女イリーナ。長年続いてきた二大派閥の政治的対立は、ギルドの支援を得たメードス派が実力行使に出たことで本格的な武力衝突へと発展した。
首都キルストでのテロを画策したとされるイリーナ王女とその一派は、支援者であるバレンスト領主が擁するアドルスタス大要塞に立て篭った。
それを包囲したメードス派率いる王国正規軍の衝突は4日目に突入したが、数で劣るはずのイリーナ派の堅固な防衛に王国正規軍は思わぬ苦戦を強いられていた。
「敵の連中、防衛線破られたってのに思ってたより矢がきつい! お前ら、絶体俺から離れるなよ!?」
「は、はい! 」「分かった!」
大盾を構えたエイリークは降りかかる矢を打ち払いながら背後に護るメルやフォルテに呼び掛ける。応じる彼女らもまた、ところどころにかすり傷は負っているもののどうにか戦えているようだった。
「皆さん、こちらへ」
「放棄された倉庫がありました。一度体勢を立て直しましょう」
「そりゃ良い。移動するぞお嬢さん方」
そう言いながら姿を現したのは周囲の警戒に出ていたシーリンとミツキだった。
疲労の色が濃いメルたちの様子を鑑みたエイリークは彼女らの提案に従うことに決め、先導に従って移動を始めた。
「ふう、さすがにしんどいな」
「うん…。なんか今までの戦いと違う。疲れた…」
天井付近に設置された窓から外の様子を伺うエイリークに、疲労から床にへたり込んだメルが答える。
メルたちが転がり込んだのは倉庫と思われる木造の掘っ立て小屋だった。地面が剥き出しの床はいかにも急増であり、集積していたのだろう武具や糧食の類いの入った木箱があちこちに散乱している様子を見るに、慌ただしく撤退したのだろう。
「皆様、休めるのは体だけ。どうか警戒は怠らないようにして下さい」
最後に入ってきたシーリンは扉を後ろ手に閉めながら皆に注意を促す。
「それにしても、大したもんだな、反乱軍連中も。防御結界を剣の一振りで叩き割ったデュランダル様も化け物だが、突破されてから派手に混乱もせずに新しい防衛線を構築した敵もなかなかのもんだ」
「さっすが元軍人の分析。エイリーク、会ってから一番輝いてるよ」
「俺お前と結構長い付き合いだったはずなんだけどな?」
生意気なメルにエイリークは引きつった笑みを向けながら冷静な突っ込みを入れる。
そんな気の抜けたやり取りに、疲れを浮かべていた一同の間にも少しだけ緩んだ空気が流れた。
「それにしても、反乱軍の人たちも確かに凄いですが、やっぱりこれだけの数の冒険者が一度に戦っている様子は壮観ですわね」
「うむ。そもそもこのような状況自体、冒険者稼業をする中でそう多いことではない。この機会を逃さずできる限り情報収集するのが良いと思うでござるよ」
その瞳に抑えきれない好奇心を覗かせるミツキの視線の先では、未だ多くの冒険者たちと反乱軍とが激闘を繰り広げていた。
「行け行け! 報酬分は働かないと“黒のR”冒険者の名が廃るぞ!」
「「応ッ!!」」
物置きのそばをプレートアーマーで武装したいかつい冒険者の一団が走り抜けていく。そのままアーサーによって開かれた防衛線の穴を守る反乱軍と冒険者たちとの戦闘に乱入した。
「ここを崩せば敵はさらに動揺する! 気合い入れて行けえぇ!!」
特出した冒険者の一人が鉄色のハルバートを振り回し、取り囲んでいた複数のイリーナ派兵士たちが木端のように弾き飛ばされる。
初撃に巻き込まれなかった兵士らが慌てて下がり、防御陣地の弓兵たちが味方の援護のために次々と矢を放ったがーー
「効かないわよ!」
ーー冒険者側で彼ら前衛の少し後ろに控えていた魔術師たちが杖を掲げ術式を起動する。
赤、青、緑。色彩鮮やかな魔力の奔流がそれぞれに形を成し、火焔や水渦となって降り注ぐ矢の雨を完全に防ぎきった。
「くっ、出鱈目な…!」
一瞬で全ての矢が無力化され兵士たちの間に動揺が広がる。冒険者たちがそんな隙を見逃すはずもなく追撃を始めた。
少しずつではあるが前進し始めた戦況に、メルはふと浮かんだ疑問が口をついた。
「なんか、思ってたよりあっさり進めてるよね。なんで王国の軍の人たちは苦戦したんだろ」
「そう、でござるな。数は我々の方がむしろ少ないくらいなのに…。何ででしょう?」
と、ミツキも首を捻る。
そんな彼女らの疑問に答えたのは、その隣で同じく考え込んでいたフォルテだった。
「…もしかしたら、戦い方が違うからかもしれない。ボクたちはあまり決まった戦い方をしないから」
「……どゆこと?」
「えっと、どう説明すればいいかな…」
いまいちピンときていないメルに、フォルテも言葉に迷うよう様子を見せる。
すると、その後を引き取るようにエイリークが口を開いた。
「つまり、個々に能力が分かれている俺たち冒険者の戦い方に反乱軍はまだ対応し切れていないってことだろ。連中からすれば、正規軍の戦い方なんて知り尽くしてるだろうからな」
王国正規軍の兵士は当然ながら軍隊であり、その攻撃方法は組織的で均一だった。結果、特出した攻撃も少なく、守りやすく造られた要塞での防衛は反乱軍にとって非常に有利に動いていたのだ。
しかし、それまでの優勢を覆したのが冒険者部隊の投入だった。総勢200人余りという、一防衛線を攻撃するには十分には少し足りない勢力ではある。けれど、彼らには正規軍には無い強みがあったのだ。
それが個性だ。
一つのパーティだけを見ても、前衛を張る全身鎧の盾職に近接戦に優れた剣士や格闘家、後衛には弓兵や魔術師を擁するグループも多い。それぞれの特性を活かして死角を減らし、尚且つ一騎当千とまでは言わないものの、多対個において効果的な技能を有する者たち。
冒険者たちのバラエティ豊かな戦い方に、反乱軍の兵士たちは有効に守る術を見出せずにいたのだ。
「そう、それが言いたかったんだ」
「だと思ったぜ。フォルテはなかなかいい目を持ってるな。指揮官向きなのかもしれん」
手放しで褒められ、フォルテは照れ臭そうにはにかんだ。
「 とはいえ、ここまでの戦いで反乱軍側の防衛線が破られること自体が少なかったって言うからな。俺たちがその重厚な防御を突破することができたのは、ひとえに爵位第一位の力があってのことだろう」
「“デュランダル“による斬撃ですね」
感慨深げなエイリークの言葉にシーリンも頷く。
思い出されるのは、濃密な魔力を放出しながら迸る宝剣の一閃。白く輝く巨大な光の刃は反乱軍が立て篭もる防衛線のど真ん中に振り下ろされ、冒険者たちを寄せ付けなかった塀や土塁、そしてそれを守る兵士諸共薙ぎ払った。
その現実離れした光景に、冒険者も反乱軍の兵士も戦いを忘れてただただその場に立ち尽くしていた。
堅牢だった防衛陣地はただこの一撃によって致命的な被害を与えられ、これによって開いた突破口から冒険者たちは陣地内部へと傾れ込むことができたのだ。
「ただ、デュランダル様が道を開いてくれたおかげで攻めやすくはなったけど、反乱軍も思いのほか粘り強いね」
「ええ。クーデターなんて起こす連中ですから一度攻め込むことができれば後は容易いと考えていましたが、練度の高さを見誤っていました」
戦場を眺めながらポツリとこぼしたフォルテにベラが同意する。
「敵は十分引き付けられてるから作戦自体ここまでは順調だ。あとは連中が誘いに乗ってくるかどうかだが…」
「こればかりは結果が出るまで待つしかないでしょうね」
皆の考えを代弁するように、シーリンが静かに締めくくった。
☆
三日間の戦闘でもひたすら膠着する様子を見せる両軍の戦い。そんな状況を打開すべくメードス皇太子の依頼を受けたギルドの冒険者約200人が、ギルド爵位の頂きに立つ“武優の剣”のアーサーに率いられ王国正規軍の本陣に集結していたのがおよそ数時間前。
天幕で囲われた陣の中では多少雑多ながらも整列している冒険者たちと、そんな彼らの前で真剣な表情で佇むアーサーの姿があった。
彼は周囲の注意が自分に向いたことを確かめると厳かに口を開いた。
「それじゃあ、作戦を確認していこう」
そう言って背後に控えていた王国正規軍の兵士らに合図を送ると、戦場を記した地図が貼られた掲示板をアーサーの横まで素早く運び入れた。
「僕たちが任せてもらうことになったのは最右翼側にある陣地の攻略だ。正面に比べると防御陣地の規模は小さいが、山際に近いため十字砲火を受けやすい」
アーサーは地図を指し示しながら自分たちがどの位置からどのような進路で攻めるのか、対して敵がどのように待ち構えているのかを説明していく。
冒険者たちは目の前の掲示板や事前に配られた地図を試すがめつしながら真剣に彼の説明を聞いていた。
「防御陣地で待ち構える敵の守備は、近づくこともできないほど強力だ。ーー君たちにはこの防衛線を突破して陣地内へと侵入し、可能な限り派手に暴れて欲しい」
無謀とも思えるこの言葉に、しかし多くの冒険者は期待にも似た確信を持って目の前のアーサーを見ていた。
そんな彼らの視線に、アーサーは少し苦笑する風に微笑った。
「察している人もいるようだけど、反乱軍の防衛線には僕が穴を開ける。作戦の肝心な所を他人頼みにするのは少し不安かもしれないが、君たちを危険に晒すような失敗だけはしないつもりだ。信じて欲しい」
少し不安そうな顔をするアーサーに対し、冒険者たちから否の声は一つも上がらない。そんなことを心配するほど、彼らにとってのギルドランクの頂が容易いものではないことを理解しているのだ。
「ありがとう」
皆の了承を得ることができたと判断したアーサーは一度感謝を述べ、説明を再開する。
「防衛線に穴を開け、敵陣を混乱させる。ここまでは作戦の準備に過ぎない。本当の狙いはーー」
☆
『ーー本当の狙いは、反乱軍を指揮する彼らにとっての英雄を、僕たちの前に引き摺り出すことだ』
作戦会議の場で説明された冒険者たちにとっての最終目標。それは、敵軍の要である人物をアーサーの前へと誘き出すことだった。
「ここまでは順調だ。このまま押し通るぞ!!」
「「「応ッ!!」」」
難攻不落だったはずの防衛線が崩れかけ、混乱し始める反乱軍。事態が狙い通りに動くのを見て勢いづいた冒険者たちも前進を始めるが、もはや後が無い反乱軍の兵士達もまた犠牲を払いながら果敢にそれを迎え撃っていく。
朱い土煙が舞う荒野は瞬く間にいくつもの叫び声と剣戟が響き渡り、色とりどりな閃光が大地や人を砕く乱戦状態へと突入した。
しかし元より優勢な冒険者たちの攻勢を前に、反乱軍の兵士たちは抑え切れずに続々と討ち取られていく。
そして、ついにーーー
「もう…だめだ! 逃げろぉ!」
一人の金切り声を合図に、踏み留まっていた兵士たちは次々と下がり始める。その動きは制御不能の流れとなって防御陣地の後方へと流れ始めたーーーかに思われた。
突如として豪風が発生し、逃げる兵士たちの進路を遮るようにして地面を大きく抉ったのだ。
「い、一体何が…」
命すら容易く刈り取りそうな風の刃に、逃げ出そうとした兵士たちはたまらず足を止める。
一方、激しい風圧は反乱軍だけでなく彼らを追っていた冒険者たちの方にも届いていた。
「くっ…!」「急に何よ!?」
地面を抉るほどの力は無いものの、自分たちの進軍を阻むような暴風を全身に叩きつけられた冒険者たちは辛うじてその場に踏みとどまるのが精一杯のようだった。
主戦場から多少距離のあるはずのメルたち元へもその風は到達する。
「ーーうおっ!?」「メル様!」「ちょっ、嘘でしょ!?」
突貫工事で建てられた掘っ立て小屋はその風に耐え切れず、激しい音を立てて大きく傾いだのだ。
「おい、大丈夫か?」「う、うん」
「ベラ、立てる?」「ありがとうフォルテ」
幸い小屋に使われた資材がそうしっかりした物ではなかったため、メルたちは互いを助け起こしながら瓦礫の中からどうにか抜け出した。
警戒しつつも周囲を見回すメルたちだったが、風によって舞い上がった朱い土煙が視界を塞いでいた。
しばらくの間、皆無言で辺りの様子を窺っていたが、やがてゆっくりと状況が明瞭になり始める。
それに一番始めに気づいたのはミツキだった。
「皆、あれを見て!……欲しいでござる…」
こんな状況でも自身のキャラクターを続けようとする彼女の姿は愛らしいが、生憎それに突っ込む余裕が今のメルたちには無かった。
その視線の先、未だ薄く宙を漂う土煙をゆらりと押し退けながら風に乗って上空から一人の騎士が反乱軍と冒険者の間に降りたつ。
「危ない危ない。もう一歩遅かったら総崩れになるところだったな」
余裕すら感じさせる台詞と共にその体を起こした男は、不敵に微笑みながら目の前で戦意を漲らせる無数の冒険者たちを睥睨した。