第12話 霊峰は朱く染まる ②
その日の戦場も、サン・スノーチェニスカ王国軍による降伏勧告から始まった。
『諸君らは、イリーナ一派に利用されているに過ぎない! 投降しなさい。今なら罪に問うことはない!』
メードス皇太子とイリーナ王女の両派閥による内戦が始まって3日。メードス率いる王国正規軍は事あるごとにこうして勧告することでアドルスタス大要塞に籠城したイリーナ派の戦意を削ごうとしていた。
「毎日毎日よく懲りないな、奴らも」
「続けていれば、いずれは従う者も出てくるでしょう。この戦いが長引けば長引くほど」
アドルスタス大要塞の中腹に位置する観測用のトーチカには、男女2つの人影があった。その二人が立つ位置からは、眼下に広がる荒野に要塞を半円状に取り囲むようにして王国正規軍が帯陣している様子を見ることができた。
「さて、俺はそろそろ下に降りなきゃならないが、王女殿下はどうするおつもりかな?」
全身を鎧で武装した薄紫色の髪の青年の言葉に、彼のすぐ隣で戦場を見下ろしていた女性は少し不愉快そうに眉を顰めた。
「もちろん、私も司令塔に戻りますが。…なんですか気色の悪い呼び方をして」
不機嫌さを隠そうともしない返事をした女性は、腰まで届くかという長く透き通るような金の髪を揺らしながら、強い意志を感じさせる碧眼で目の前の青年を睨みつけた。その容姿は紛れもなく、サン・スノーチェニスカ王家に連なることを示しており、つまり彼女こそが、この内戦における渦中の王女、イリーナだった。 女性らしい精緻な装飾が施された銀の鎧を身に付けた女性。
「悪かったよ。そんなに怒らせるつもりはなかったんだ」
「でしょうね。全く、このような劣勢においても、貴方は変わりませんね」
どこか軽薄さを思わせる青年に対し、イリーナは打って変わって表情を曇らせる。
「イリーナ」
心細げに胸元で握り込まれたイリーナの手を、青年は優しく包み込んだ。
グローブ越しに触れたイリーナの手の平は、平時にはまず身に付けることはない鎧に覆われている。
その細い体は、女性らしい精緻な装飾が施された華奢な銀の鎧が飾っていた。イリーナ派のトップである彼女もまた、この戦時下において武装していた。
戦うためではなく、組織のトップに相応しい象徴としてのそれは、鎧と言うよりもむしろ戦装束といった気品を持っていた。
「そのような辛気臭い顔、するものではありませんよエド」
「いや、そもそも俺たちがメードスに遅れをとらなければ…。こんな事態にはならなかったはずなんだけどね」
「それは今さら言っても仕方がありません。それよりも今は、できる限り持ちこたえることを考えましょう。だからエド、王国の剣である貴方こそ、健在でなければ」
「イリーナ…」
「頼りにしています。だからどうか、無茶はしないでください」
「また無茶を言って。大丈夫、俺は負けないよ。それだけのものを背負ってるからな」
互いを求めるように手を握りこむと、しばしの間優しく額を当てる。
やがて、名残惜しそうに手をほどくと、決意を新たな表情を浮かべる。
「じゃ、行くよ」
「…ええ。健闘を。
そして、それぞれの行くべき方へと歩き出した。
☆
「戦況は?」
「先刻、戦闘が始まりました。中央部の陣地に攻撃が集中していますが、今の程度であれば問題はないと思われます」
アドルスタス大要塞の中腹に設けられた司令室に入ったイリーナに、将軍の一人がまだ戦端が切られたばかりの前線の様子を伝える。
「結構です。恐らくエドもそろそろ前線に着いている頃ですから、現場の指揮も万全になったはず…。当面は、各戦線の状況に注意しつつ、相手の出方を見ましょう」
「「はっ」」
イリーナは中央に設置された卓上の地図の前に集まる将軍たちから一度視線を外し、戦場が望める窓の方を向く。
そこからは観測所ほどではないものの要塞の前に広がる戦場を見渡すことができた。
絶え間なく届く魔術攻撃の衝撃と音。立ち上る黒煙は収まる様子もなく、空を覆う曇天に溶けていく。微かではあるがあちこちから響いてくる数多の声は、気炎を上げる鬨の声か、あるいは断末魔か。
いずれにせよ、いつまでも座視して良い状況ではないと、イリーナは瞳の色を深めた。
「ここは皆さんにお任せします。私は隣の部屋にいますから、何か状況の変化があればすぐに読んでください」
「はっ。王女殿下は?」
「私はこの内戦を収める手立てを探します。こんなことを、貴方たちにいつまでも続けさせるわけにはいきません」
強い意志のこもった言葉に、司令室に詰めている将兵らは一様に姿勢を正し、鍛錬を感じさせる動作で頭を下げた。
イリーナは彼らの敬礼に深く頷き返してから、夫妻らが待つ会議室の扉を潜った。
☆
前線からそれなりに距離のある王国正規軍の本陣からでも、戦場の空気をひしひしと感じ取ることができた。
メルたち冒険者約200人は丸一日ほどの移動を終えてアドルスタス大要塞攻略のために置かれたサン・スノーチェニスカ王国軍の陣地に到着していた。
現在はギルドの首脳部と王国正規軍が戦術のすり合わせを行っており、一兵卒に過ぎないメルたちは次の指示があるまでのわずかな自由時間の中にあった。
「メル、大丈夫か?」
メルの緊張を感じ取ったエイリークが彼女にそっと声を掛ける。
「う、うん…」
「まあ、あんまり無理はすんなよ? 見えたぞ」
珍しく慮る調子のエイリークに促され、メルは顔を上げる。
「っ……」
視界一杯に広がった初めて見る光景に、メルは声も無く目を見開いた。
「撃てえぇ!!」
メルたちのいる本陣から少し要塞よりに設けられた後方陣地においては、魔術師部隊による火力支援が断続的に行われていた。指揮官の合図によって放たれる色鮮やかな光弾は、緩い放射線を描きながらイリーナ派が籠る塹壕へと殺到する。
しかし、流星のように降り注ぐ攻撃魔術はイリーナ派の魔術師によって設置された防御魔術に阻まれ、その全てが空中で派手な爆発を起こしたのみで終わった。
「攻撃を続けろ!撃て、撃てぇ!!」
第一射が与えた敵陣に対する被害は皆無だったものの、王国正規軍の支援攻撃が止むことは無い。各後方陣地は、途切れることなく攻撃魔術の発射を続けていった。
一方、戦場において最も数が多く、最も戦況に影響を及ぼす歩兵たちもまた激戦の中にあった。
現在のアドルスタス大要塞は、サン・スノーチェニスカ王国が要している。城壁や櫓といった防衛施設の多くも王国とは要塞を挟んで隣接するウラムス統一連邦側に集中、対連邦を目的とした要塞として機能していた。従って、現在連邦を背に王国正規軍と向き合っているイリーナ派の陣地は、十分な防衛移設が整っているとは言い難い状況にあった。
それでも要塞は要塞。イリーナ派は既存の防衛施設を中心に堀や塀を築いてさらに防御を固めたことで、ここ3日間に及ぶ王国正規軍の攻勢をしぶとく凌いでいた。
「突撃! 怯むな、進め!! 反乱者どもに王国の恐ろしさを思い知らせるのだ!!」
「「「おおおおお!!」」」
指揮官の男の声を受けて空色の軍服と鎧を装備した王国正規軍の兵士たちが、手に剣や槍を持ち、気炎を上げながらイリーナ派の立て籠る防御陣地へと吶喊していく。
しかしその多くは深く掘り込まれた堀によって足を止められ、その上石や土で造られた塀からは大量の矢や攻撃魔術が雨のように降り注ぐ。
「ああああ!?」「しっかりしろ! おい!?」「くそっ! 一度引いて体勢をーーがぁ!?」
無数に射られる矢は多くの兵士の動きを止め、合間合間に着弾する攻撃魔術が身動きが取れなくなった彼らをまとめて吹き飛ばしていく。
遮るものがない荒野において、無防備な姿でひたすらに突撃を繰り返す王国の兵士たちは格好の獲物でしかなく、誰一人として敵陣に辿り着く者はいなかった。
そして今日もまた、戦場に阿鼻叫喚の地獄が広がっていく。
はるか前方にて、戦端が開いて以来6度目となる全軍での突撃があえ無く失敗した様を、本陣の軍幹部たちは失意をもって観測していた。
「各戦線の状況はどうなっている?」
「どの防衛陣地も矢や魔術による攻撃が激しく、また防御陣地に進路を阻まれ以前として我が方は前進できておりません」
「…戦闘が始まってからこの方、どの戦線も膠着状態だ。魔術や攻城兵器は相手方の防御魔術によって封殺され、頼みの物量もこの開けた大地では一方的に討ち取られる。このままではいかん。何とかしなければ」
望遠鏡からは、総崩れとなった自軍が負傷者を抱えながら敵の攻撃の射程範囲外へと逃れている様子を望むことができた。
開戦当時に比べれば、殿が撤退する仲間たちを庇うべく防御魔術や矢で応じるという後退行動を取れているだけマシと言える状況だが、要は負け慣れてきていることでもある。
早急に戦略を考え直す必要があるだろう。
「し、しかし、5度に渡るこれまでの攻撃で中央集団や左翼の一部戦線は防衛線の突破に成功しております。このまま押し切ればいずれはーー」
「ーーダメだ。このままではいずれこちらの戦力が枯渇する。賊軍相手に苦戦しているだけでも外聞が悪いのに、万が一にでも敗走などしてみろ。まず間違いなく国はひっくり返るぞ」
「はい……」
口惜しげに下を向く部下を見やり、将軍は小さく息を吐く。
そして、先程から黙ってこちらの様子を見ていた人物たちの方に視線をやった。
「ご覧の通り、我々は早くも手詰まりに陥りかけている。本当に君たちに任せれば、現状を打開できるんだね?」
「ーーええ」
将軍の言葉を受け、“武優の剣”はゆっくりと口を開く。
「我々ギルドの冒険者にお任せいただければ、本日中にはあの大要塞を陥落してご覧に入れましょう」
それを見た誰もが勇気付けられるような自信に満ちた笑顔を浮かべながら、はっきりとそう宣言した。




