第9話 ワルプルギスの夜 ②
遮るものが存在しない無骨な物見塔の上、激しい風にみすぼらしい灰色マントをはためかせながらクリスは眼下の都市を見下ろしていた。
祭囃子が彩っていた街は暗闇に飲み込まれ、代わりと言わんばかりに無数の死者を吐き出している。
「おーいたいた。やっぱクリスだ」
背後で起こった微かな物音に続いて聞こえてきた耳馴染みのある声に、クリスは半身だけ振り返って当の人物の方を見た。
「なんだ、ニーナもいたんだ。ほんとお祭り騒ぎね」
めんどくさそうに細められる瞳の傍ら、クリスが持つ無骨な古木の先端に龍脈石が取り付けられた杖は、主人の意志を受けて刻々と白銀の魔力を編み上げていた。
「残念ながらそのお祭りもお開きになりそうだけどネ。それにしてもクリス。ずいぶん動くの早かったじゃん」
「勘繰らないで。これは、私たちは関係ない。……私が気付けたのは、たぶんアイツが出てきたから」
「へぇ、ーーー珍しいね」
都市の上空をなおも埋め尽くしていくゴーストたちへと視線を戻したクリスの後ろで、夜闇に浮かび上がる肉食獣の如きニーナの双方が怪しく細められた。
ーーと、
「っ!? 間に合わなかった…!」
それまでただ闇の中を漂っているだけだったゴーストたちが、一斉に動き始めたのだ。まるで痙攣するように全身を震わせ、ぱっくりと開けた口から声無き叫びを上げながら街に、人々に群がる死者たち。
俄に広がる人々の叫喚に、クリスは悔しげに奥歯を噛み締めながら、それでも掲げていた杖の石突きを自身の立つ足場に叩きつけた。
途端、暗闇が疼くまる街のいたるところに誓聖の輝きを伴った結界が展開されていく。
「わお! 対魔の付与魔法と防護結界の合わせ技なんて、さすがクリスだね」
自分たちの足元にも生成された結界の中で、強力な対魔属性が自身の得物に与えられたことを感じ取りながらニーナが余裕の表情で賞賛送る。
「そういうのいらないから。あんたはとっとと降りて、目の前で踊ってる忌々しいゴーストどもを狩ってきなさい!」
「ええ? 良いけどあんたは大丈夫なの?ほらーー」
ニーナの指差した先で、無数のゴーストたちが塔の上に陣取っていたクリスに気づき、急速に接近してくるのが見えた。
「あの程度の低級霊に、私が遅れを取るわけーー」
そう言って懐から取り出した新たな杖ーーーこちらは利き手で振るわれている身の丈ほどもあるものではなく、手のひらに収まる木の枝サイズのものを横一線。
「――ないでしょ!」
『ーーーーー!!!!!』
振るわれた魔術はクリスの周囲にいくつもの魔法陣となって出現し、その中央から放たれた白銀色の光芒によって鼻先まで迫っていたゴーストたちを、その背後に控えていた別集団もろとも消し飛ばした。
「うひゃー、ずいぶん派手にやっちゃって。ま、そういうことならあたしは遠慮なく下で暴れてくるニャ」
そう言うと、ニーナはクリスの脇をすり抜けるように駆け抜け、地上十数メートルはありそうな塔の上から、真っ直ぐ悪霊たちが渦巻く街の中へと飛び込んでいった。
「……。はじめからそうしとけば良かったのよ。ーーさあ」
そんな彼女をため息一つで見送り、クリスは今まさに戦っているだろう仲間たちに一瞬思いを馳せながらも、すぐに目の前の魔物たちへと意識を戻し、
「ご馳走にあり付ける貴重な時間を奪ったんだから、私のストレス発散の相手、してもらうわよ!」
獰猛に微笑んだ。
☆
「レイ、サウレ君!!」
「メル、下がれ!!」
青白い軌跡を描きながら殺到してくる“ゴースト”の群れに対し、祭りに行くからと荷物のほとんどを宿に置いてきていたメルには対抗する手段が無かった。
咄嗟にメルの前に踏み出し腰の武器を抜き放ったレイとサウレだったが、ゴーストが彼らに到達するよりも先に、その足元から通り一帯を含めるほどの光属性結界が展開した。
「今度は何だよ!」
「これって誓聖術? でも誰が…」
続けざまに起こる異常事態に、人々の動揺はますます深まっていく。しかし、メルとレイのみは僅かに状況が呑み込めていた。
「今のって…?」
「ああ。クリスのエンチャントだ」
霊体を消滅しうる効力を有した結界の出現に、人々の鼻先まで接近していたゴーストたちは急転回して一度上空へ戻る。その隙を見逃さず、レイはベルトに差していた残りの鉄塊を引き抜いた。
「金属操作ーー『メイス』!」
構えられた鉄塊はその詠唱に合わせて流動、合流し、やがて一本の小振りな打撃武器を成した。そしてそれを傍にいるメルへと投げ渡す。
「使える?」
「たぶん、大丈夫」
群衆の中で突然武器を構えた二人に、周囲がざわめく。しかしそれも、様子を見るように街の上空を漂っていたゴーストたちが一斉に動き出すと、皆そんなことに構うことも無く逃げ惑い始めた。
ゴーストとは、大半が力の弱い魔物である。その正体は死者の魔力の残滓であり、俗に言う『ポルターガイスト』や『ラップ音』といった気味の悪い程度の害を及ぼす魔物だ。
しかしそれは日常生活の中という条件下でのみ適用される評価であり、今回のように無数のゴーストが空を埋め尽くすような状況では適切とは言えない。
「一般の人は冒険者のところに! 魔術師の皆さんは退魔の結界とエンチャントをお願いします!」
事態の把握が速かったメルは恐慌状態に陥る人々に向かって必死に呼びかけていた。その甲斐もあってか、付近の冒険者の一部は既に体勢を立て直しつつある。しかし、楽観はできなかった。
「悪霊もいる。早めに対処しないと犠牲者が出るかもしれない」
向かってくるゴーストの群れを捌きながら、その合間に覗く上空へ厳しい視線を向けるレイ。その先にいるのは、通常のゴーストとは異なる、文字通りの悪霊。恨み、辛みといった強いマイナスの感情によって形作られたこの魔物は、明確な害意を持って行動する。それは魔術の行使であったり、物理的な攻撃であったりと、通常のゴーストとは比較にならない被害をもたらす。
以前任務にて対峙したウルフリータも、分類としてはこのイビルゴーストに属する魔物だ。
「とりあえず、これからどうする?」
喧騒は未だ途切れず、通りのあちこちには結界の中に避難した人々が蹲っている。主人を失って暗がりに沈んだ屋台を通りすぎ、騒ぎの中で道端に転がり踏み潰された商品が散乱する中を駆け抜けるメルが横を走るレイに尋ねる。
「できればクリスと合流したい。脅威としては大したことないけど、とにかく数が多い」
「うん! それならさっき、たぶんクリスが撃った魔術が見えたから! こっち!!」
気味の悪い叫びを響かせながら、辺りに転がっているガラクタを飛ばしながら向かってくるゴーストを切り払い、サウレの先導に従って走り続けるメルとレイ。
その進路を塞ぐように、大槍を構えた甲冑姿のイビルゴーストが陽炎のように立ちはだかる。豪奢な羽根飾りの兜を被った剥き出しの頭蓋骨は、雄叫びをあげるように顎を震わせながら暗闇を残すのみとなった双貌こちらを睨み付けてくる。
構わず突進を続ける三人の姿を見てまとめて叩き潰さんと振るわれた大槍は、実体がないはずの穂先で立ち並ぶ商店を片端から叩き壊していく。
「動きを止める!」
ギアを一足上げるように速度を増すレイ。そのまま横殴りの一閃に両の手に持った二振りの短剣を合わせるがーー
「ーーくっ!?」
想定よりも威力の乗った一撃に踏みとどまることができず、喰らったそのままの勢いで後方へと弾き飛ばされる。背後の屋台に叩きつけられる前にどうにか体勢を捻って石畳の上に滑り降りる。そこへ、遅れて追いついたメルとサウレが合流し再び並び立った。
「ちょっとレイ、置いてかないでよ!」
「ごめん。…思ったより強かった」
視線の先では、巨大な髑髏の騎士が威嚇するように大槍を振り回し、それによって破壊された建物の一部が木端や石塊となってさら破壊を広げている。飛散する瓦礫は、それそのものが質量弾となってメルたちの行手を阻んだ。
「レイ、今度は一緒にやろう」
「ああ。」
「ああ。サウレ、アイツの注意をそらせる?」「任せて。行くよ!」 控えめだが芯の通った掛け声とともに、両の手に持たれた二本のブーメランが放たれる。
退魔のエンチャントをまとい白銀の軌跡を描きながら低空を飛翔するそれは、進路上のゴーストを排除しながらスケルトンの目前にまで迫った。当たればただでは済まない
聖性を伴った攻撃。当然のごとく迎撃せんと動いたスケルトンの横薙ぎの一閃は――
「はぁ!」「っ!!」
ブーメランに追随するように疾走していたメルとレイによって
振り切られる前に抑えられ、鍔迫り合いとなった。
『ーーーー!!!』
目の前の虚空に出現したレイに驚きながらも、軋むような耳障りな声を上げて槍を引き戻そうとするスケルトン。しかし、
「させないよ!」
メルはメイスの先を地面に突き立て、器用にその場に釘付けにしていた。
意に反して微動だにしない大槍に虚を付かれるスケルトンに、レイの切っ先が迫る。
「っ!!」
跳躍で得た運動エネルギーを殺すことなく、腰を捻って斬撃に乗せる。そして勢いそのままに騎士の持つ数少ない弱点、生前と変わらぬ鎧の継ぎ目から見える首を横一文字に切り落とした。
切り落とされた首は声にならない驚愕を浮かべて僅かに空を泳いだが、次の瞬間には胴体もろともに霧散した。
「おっととと…」
「メル、大丈夫?」
競り合っていたイビルゴーストが消滅したことでたたらを踏んだメルのもとに、飛来したブーメランを捕らえ腰に戻したサウレが駆け寄ってくる。
「大丈夫だよ」
笑顔で応じるメルのもとへ遅れてレイがやって来る。
「二人とも無事だね。急ごう」
「「うん!」」




