第9話 ワルプルギスの夜 ①
大陸北西部に位置する小国家の一つ、サン・スノーチェニスカ王国。高緯度特有の寒さが厳しい風土を持つこの国では、毎年夏になると短く貴重なその季節を祝う盛大な祭りが行われていた。
「最悪だ。乾謝祭、完全に失念してた」
石造りの建物が立ち並ぶ街並みは、この国では縁起を担ぐとされている黄と青を基調とした装飾がそこかしこに飾り付けられている。そんな、年に一度の祭りに湧いた人々が行き交う通りの片隅で、レイは静かに頭を抱えていた。
レイ、クリス、ユリウス、サウレの札付き四人がいるのは、サン・スノーチェニスカ王国の首都、キルスト。任務を終えた帰りに補給のためと立ち寄ったのだが、
「来ちゃったものは仕方が無いじゃない。さっさと用事を済ませて移動しましょ。ついでにちょっとだけ屋台も回って…」
頬を緩ませながら涎をすするクリス。そんな彼女に苦笑しながらユリウスが口を開く。
「悪い、レイ。僕もすっかり忘れてたよ。それにしても、いつもよりだいぶ人が多い気がするな」
「ああ。ともあれ、長居が良くないのは間違いない。日用品を買い足したらすぐに街を出よう」
「え!? まさかこのご馳走を見逃す気!?」
「当たり前だろ。こんなに目立つ環境で行動するなんて絶対に――」
「――レイ?」
「「「――!!?」」」
あまりにも唐突に掛けられた声に、レイら4人の肩が飛び上がる。
「メルお姉ちゃん!」
そんな中、最初に立ち直ったのは顔一杯に喜びを浮かべたサウレの視線の先。ここ数ヵ月ですっかり馴染んだ少女もまた、思わぬ邂逅にその愛らしい顔に目一杯の驚きを表していた。
「やっぱりレイだ! おーい! こっちこ―――わぶっ!?」
そのままレイたちの方へ駆け寄ろうとしたメルだったが、残念ながら彼女の体格では祭りを楽しむ人々の濁流を横断することが叶わず、短い断末魔を残して流されていった。
「流されていっちゃったね」
「無茶するからよ。あれはもう助からないわ」
「君たちって意外と冗談言うよね。…あ、戻ってきた」
ふざけるクリスに苦笑しながら突っ込みを入れたユリウスが、川下の方にメルの姿を捉えたらしい。
「――ったく、手間かけさせやがって」「ごめんて~」
再び姿を現したメルは、黒い髪を後ろ手にまとめた山賊のような風貌の彼女の仲間、エイリークに首根っこを掴まれ、親猫に咥えらえた子猫よろしく連れてこられた。
「みんな、こんばんわ! はいこれ、挨拶代わり!」
そう言いながら、どこか得意げに流された先の屋台で買ってきたらしい果物串を掲げたのだった。
☆
「ん~~~! これ美味しい!! 屋台のお菓子なんてほんと何年振りだろ…」
できたての熱をまとったアップルパイにかぶりついたクリスが、およそ数年ぶりにくちの中に広がった豊かな甘味に頬を抑える。
「甘い……?」
「おいおいお前ら。感動するのは良いが道のど真ん中で立ち止まるのはやめろ。…待て、だからってうずくまるなって!」
「あはは…、効果抜群だね…」
呆然と立ち尽くすどころか、その場で腰砕けそうになるクリスを慌てて支えるエイリーク。
何となくこうなる予感はあったが、それでも仲間がたかだか屋台のお菓子で取り乱す様子に、レイはこみ上げる溜息を抑えることができなかった。
思わぬ邂逅に一通りの驚きを共有した白札、札付きの双方だったが、いつまでも通りの一角でとどまっていては返って目立つという声もあり、現在はほどほどに祭りを満喫しつつ、人流に任せて通りを移動していた。
この提案については当然レイが難色を示していたが、メルとエイリークが根気よく説得を続けた買いもあって、「―――絶対にトラブルを起こさないなら」という回答をたっっっぷりとした間の後に引き出すことに成功した。
最も、刻々と我慢の限界に近づいてきて、瞳に狂気がちらつき始めたクリスの存在が、最も大きな説得材料だった可能性も高い。
「それにしても、よく私たちってわかったわね。マント被ってたのに」
「こんなに賑わってる街の中で頭からマント被ってるんだもん」
「そんなに目立ってた?」
「ああ。それに、お前らのああいう格好もいい加減見慣れてきたかってのもある」
「基本出歩くときはこの格好だからね」
得心がいった様子のユリウス。そんな彼に頷きつつ、今度はエイリークからレイたちに水を向ける。
「お前らの方はどうしたんだよ。人が多いとこはあんま顔出さない方が良いんじゃないのか?」
「それはそうなんだけどね。この近くで任務があったからその帰りにちょっと立ち寄って、そうしたらこの場面に遭遇して、今の時期が乾謝祭だってことに思い至ったんだ」
「これからどうしようかって、ちょうど話してたとこだよ」
「ま、なし崩し的にお祭り楽しみ始めちゃった訳だし、この際楽しむしかないでしょ! 今はこの限られた時間でどれだけ私の胃に味のあるカロリーを詰め込めるかの方が大事よ。早く着いてきなさい!」
「おまっ、ちっとは落ち着けよ…」
華やぐ街の中を歩き始めてまだ大した時間も経っていないが、半ば引きずられるようにして連れまわされるエイリークが悲鳴を上げる光景には皆、既に見慣れつつある。
心持ち、戦闘の時よりも動きの良いクリスとエイリークを横目に見ていたメルだったが、ふと自身の横で珍しく放心したように立ち尽くしていたサウレが視界に入り、声を掛けた、
「サウレ君、大丈夫?」
「……え? うん…」
間をあけて返ってきた声には、どこか夢から覚めたような、しかし未だ現を彷徨っているような曖昧な気配があった。やがて、サウレ自身にもその自覚はないだろう間を空けてからポツリと、
「お父さんとお母さん。……なんとなくでも、たぶん一番二人のことを思い出せるのが、家族で行ったお祭りなんだ」
「………」
思わぬ告白にメルは反射的に口を開き、しかしとっさの返しを見つけることができず再び閉ざした。
サウレの両親は、まだ彼が幼かったころに離別したらしい。どういった経緯でそうなったのかは、彼自身にも分からないそうだ。…あるいは、そこには彼が“札付き”となった何らかの出来事が介在するのかもしれないが。
「いつか、自由に行きたいところに行けるようになったら……お父さんたちのこと、探しに行きたい」
景気よく客を呼び込むきらびやかな屋台に、両親と固く手をつなぎながら楽しげに通り過ぎていくいく組もの親子。それらの華やかな光景を映すサウレの瞳は、いつもの無邪気さから打ってかわって静かに揺れていた。
時折“札付き“たちが見せるどこか空虚なその胸の内。ここ数ヶ月でだいぶ心を許してくれるようになったと感じていても、ふとした瞬間に垣間見える未だ埋められ難い溝の存在に、メルの心は微かな無力感を覚えていた。
出来ることなら、どうにかしたいと。しかし思うだけで、年下の男の子のことすら今の自分にはどうするほどの力も無くて。だからと言って、安易な慰めの言葉を告げられるほどの度胸もなくて。
そんな小さな葛藤が過ぎるのを自覚しながらも、それを悟られないよう努めて明るい声で、サウレに答えた。
「じゃ、会えた時にお父さんたちを案内できるように、今日はできるだけ色んなところを回ろう?」
せめて目の前の小さな仲間にはきちんと向き合いたいと思いながら。
「…回っていいの?」
「もちろん! クリスたちが楽しんでるのに、サウレ君だけが混ざっちゃいけない理由はないよ!」
そこまで言って、メルは今更気がついたように辺りを見回した。
「そういえばクリスたちは?」
「もうずいぶん前にいなくなったよ」
人混みの中をいくら探しても見知った人物たちを見つけることはできず、どこかとぼけた様な調子で訊ねてきたメルに、レイは大した感慨もなく事実を伝えた。
「うそ!? 全然気づかなかったんだけど。…ていうか探さなきゃーーっへ?」
言い終わるよりも先に、家々から漏れる明かりが、街を明るく照らしていた装飾の照明魔術が落ちた。不意に視界が闇に包まれ、人々の間をさざ波が広がるようにして動揺が走る。
「なんだ、祭りの趣向か」
「もう、おどかさないでよ、趣味が悪いわね」
それもつかの間、今度は地面から生えるようにして半透明の体を淡く発光させた何かが姿を現す。男、女、子供、老人。1人として同じ者は居らず、いずれも生気のない表情を湛えながら浮遊している。俗に『霊体』と呼称されるその魔物は、ゆっくりと空に浮かび上がっていく。その数は一つや二つではない。それこそ、街のあちこちから出現し、にわかに空を埋め尽くすほどの群れとなった。
「すごい、この演出するのに何人の魔術師使ってるんだろ!」
ともすれば幻想的と呼べなくもない光景にメルは驚嘆の声をあげるが、その傍らでレイは静かに身を固くする。
「…違う、これは演出じゃない」
「演出じゃないって…!!」
その言葉に応えるように、闇に浮かぶ無数の死者の群れが無防備に自分たちを見上げていた人々へと襲いかかり始めた。