第8話「周回遅れの夏休み」②
騒がしい一日は瞬く間に通り過ぎ、一同は夕食の席についていた。
別荘の南側に面した食堂からは海を一望することができ、すっかり日が沈んでしまったこの時間だからこそ、見渡す限りの暗い水平線とその上に浮かぶ星々を見ることができる。
一定の間隔で打ち寄せる、微睡を誘うような穏やかな潮騒を聞くともなしに聞きながら、メルやレイたちは運ばれてくる料理たちに舌鼓を打っていた。
「ーーーこちら、メインになります。本日はグリルした鯛にエーミーニャ産のトマトソースをかけております。添えてありますウニも合わせてお楽しみください」
糊のきいた黒い給仕服を着こなすウェイターが、新しい料理を乗せた皿を静かに置く。
彼の短いながらも丁寧な説明を受けて、メルたちは手にしたナイフとフォークを動かし始めた。
「ん、美味しい…」
微かに形の残るトマトを乗せて共に口に運んだ鯛は、元来のたんぱくな味に鮮度のいいソースが加わり、口の中に広がったほど良い酸味の深さに小さな感嘆を覚えさせる。
各々が驚きを浮かべる様子を見て、長テーブルの中央に座るピエトロがしてやったりと言わんばかりの笑みを浮かべていた。
「だろう。この日のためにとっておきの食材を手配しておいた。感謝しながら堪能することだ」
「そうね〜。ま、堅っ苦しいことを除けば最高の食事だってことは認めるわ」
「ふん、相変わらず口の減らない奴だ。言っている割には問題なく食べているじゃないか」
「そりゃね。これくらいはできるわよ」
眉を上げるピエトロに対し、クリスは見せつけるように優雅な所作で持ち上げた切り身を口に運ぶ。
「たんに…はむ…性に合わないって話…はむ、ん~」
そう言いつつも料理そのものは気に入っているらしく、忙しなく口を動かしてはうっとりと表情を緩めている。
このように、性に合わないと言いつつも一同が格式張った食事の場に揃ったのは、別荘の家主であるピエトロがおよそ数日ぶりにメルたちのもとを訪れたからだった。
曰く、『明日にはギルド・シティへと発つメルたちへの送別会を開く』ということで急遽始まった食事の場ではあったが、忙しい合間を縫って顔を出してくれたことには変わりなく、メルたちもまたその心意気に応えて酒宴の席に着いていた。
「ーーーそれでどうだった、ここでの休暇は。こう言っては何だが国賓級の待遇だ。控えめに言っても贅沢以外の感想は出てこないと思うが」
「はい! 大満足でした! ね?」
「はい。自分たちの立場を考えればまず起こるはずのないことだったので、非常に感謝しています」
そう答えるレイの言葉には真摯な響きがあった。
「私もだいたい二人と同じ。けっこうのびのびさせてもらったわ」
「だネ。島一つ丸々貸し切りで、しかもお手伝いさんもついてくるとか。アタシら冒険者にはまず縁のない話だし。良かったナ…。アタシも買おうかな…島」
遠い目をしながら新たにできた夢を口にするニーナの横から、けどよ、とエイリークが身を乗り出す。
「ぶっちゃけ暇過ぎて持て余してた奴もいたけどな。シーリンとか」
彼のからかうような視線の先には、いつもの給仕服姿のままテーブルに着いているシーリンの傍から見ればちぐはぐな姿があった。
「もてなされている立場でそのことについて触れるのはやや礼を逸しているとは思いますがーーー」
「ち…」
「あはは…」
じろりと見返されて煩わしそうに顔を背けるエイリークから目を離し、シーリンはピエトロに向かって軽く頭を下げる。
「ーーーこの男の指摘も元を辿れば私の服に原因があることですから、申し訳ございません。やはり、私の本分はメル様をお世話することですので、私自身がお世話していただくという状況は、やや落ち着かないと気持であったのは事実です」
「落ち着かないってか、ちゃっかりここのメイドに混じって働いてたりしてたけどな」
「エイリーク様?」
「はいはい、悪かったって。睨むなよ」
懲りないエイリークといよいよ殺気をはらんだシーリンのある意味親し気なやり取りに食卓に笑いが起こった。
そんな軽やかな空気に後押しされたのか、今度はレイが会話の球を拾う。
「落ち着かないっていうのは俺も少しあったな。普段は何をするにしても自分たちでやってたから。逆に何もかもやってもらえるってなるとどうにも手持ち無沙汰だった」
「だと思った~。ずっとそわそわしてたもんネ。もうちょっと、心の底から楽しんでたクリスを見習った方が良いんじゃナイ?」
「ほんと、もっと私を見習いなさい」
「あー、いや…」
「なに、何か文句あるわけ?」
反射的に出てしまったらしい曖昧な返事にもちろんクリスは嚙みつき、食堂はより一層楽し気な雰囲気が流れていく。
そんな様子を見て、ピエトロも満足気に頷いた。
「とりあえず、各々に楽しめたらしいことはわかった。招待した甲斐もあったようだな」
「はい。本当に何から何までありがとうございました」
「気にすることはない。元はと言えば私の命を救ったお前たちへの報酬なんだからな」
改めて頭を下げたメルに向かってピエトロは鷹揚に頷いて見せた。
そんな彼に、今度はメルの方から浮かび上がった疑問をぶつける。
「ところでピエトロさんはどうしていたんですか?ここ数日、忙しかったみたいですけど」
「ああ、そうだったな。その話もしたかったんだ」
問われてから、ピエトロは思い出したように身を乗り出して皆の顔をぐるりと見回す。
「ここ数日私の方でやっていたのは今回の事件の事後処理だ。お前たちの頭に残っているかどうか正直怪しいが、そもそもの発端はベネット公国議会で私と対立している派閥を暗殺試みたところにある。お前たちの尽力もあって無事に帰還したわけだが、当然ながらここまでのことをした相手を放置しておくわけにもいかなかったからな」
口をつけたブドウ酒の入ったグラスを静かに置きながらピエトロは話を続ける。
「ここ数日の大半は首謀者連中の捕縛と取り調べに費やしていた。まあこれが全く面白くないにもかかわらずまどろっこしい処理が多くてな。もう二度とごめんだ」
「へぇ〜…」
”面白くない”などとは言っているが、起こった出来事は事実上国家元首を相手としたクーデターだ。その後始末が簡単なはずもなく、もっと言えば今こんなところで冒険者程度の相手をしている場合ですらないはずなのだ。その後始末が簡単なわけもなく、もっと言えば今こんなところで冒険者程度の相手をしている場合ですらないはずなのだ。
だと言うのに、それを口にするピエトロの様子は驚くほどに軽かった。
「ま、一番苦労するはずだった首謀者一味の捕縛が、元々繋がりのあったレオンが手引きしてくれたお陰で楽に済んだからな。良くも悪くも刺激には欠けていた」
「刺激、ですか…。でも、レオンさんたちほんとにピエトロさんのところで雇ったんですね」
「約束は約束だからな。商人の誇りにかけて結んだ契約は守るさ」
「でもまあ、雇われて早々嫌な仕事やらせてるわね。やったことを考えればすぐに次の職にありつけただけでも恵まれてるか」
「ダネ。その辺は傭兵だし、冒険者よりもシビアな世界で生きてきたんなら覚悟はできてるでショ」
「そうだな。奴らもそういった仕事を任されることについては予想していたような態度だったーーーふむ」
そこまで話して、ピエトロは不自然に言葉を途切れさせる。その、珍しく歯切れの悪い様子に一同の視線が集まり始めた頃合いで、迷いを振り切ったように顔を上げた。
「ーーーそれで、だな。折よくレオンたちの話が出たついでに、実は私からお前たちに提案がある」
「提案…、ーー?」
「……」
首を傾げるメルの向かいでは、既にその内容を知るかのようにレイが沈黙を深めている。
そんな相反する反応には構わず、ピエトロは言葉を続けた。
「ーーーお前たちも、レオンたちと同じように私の元に来る気は無いか?」
そう尋ねたピエトロの表情は、これまでのどんな場面よりも真剣だった。