第7話「vs クラーケン」①
夜明け前。
準備を終え、最低限の休息を済ませた一同は、船の停まる海沿いの広場に集結していた。
冒険者と傭兵が入り乱れた20人弱の聴衆が一様に仰ぐ先には、一人クルーザー上に上がり、残るは激励の言葉のみとなったピエトロがいる。
「ーーー以上が作戦の段取りだ。全員頭に入ったな?」
張りのあるピエトロの声がまだ暗い町並みの中に響き渡る。
それから、ゆっくりと聴衆を見回したピエトロは、返ってくる視線から自身の言葉が届いていると確信し、強く頷いた。
「ーーーそれでは皆、始めるぞ!!」
☆
ーーー暗い海の、水底にて。
どこまで続くとも知れない海溝の途上につかまり、緩やかな海流に揺られながらまどろんでいた怪物は、不意に起こった自然のものとは違う小さな振動で目を覚ます。
ごく最近、初めて知覚した振動とよく似たそれが、海の上に現れた人間たちによってもたらされたものだということを怪物は既に認識していた。
一度、心地好い微睡みを妨げたその不快な振動の再来に明確な敵意と苛立ちを覚えた怪物は、速やかに自身の穏やかな眠りを取り戻すべく、その巨体を浮上させ始めた。
☆
同時刻、水上。
古びた一隻の漁船が、白波の軌跡を残しながら一心に湾の出口を目指して突き進んでいた。
その後部デッキで、半ば身を乗り出しながら海中の様子を見ていたレイの目が、海の底から立ち上がった巨大な気配を捉えた。
「ーージャンさん、クラーケンが来る!」
「ちっ、やっぱり見逃してはくれないか…。クソっ!!」
一縷の望みもあっさりと覆され、舵を握るジャンは悪態を吐きながら魔石の出力を最大まで引き上げた。
既に原動機を移し替えられ、動くことのなかったはずの漁船は、クリス特製の風の魔力を込めた魔石を載せることで最後の航海に漕ぎ出していた。
船尾からは漁船を捕らえようと伸ばされた幾本もの触手が次々海面を突き破って出現し始め、船との距離も急速に狭まりつつある。
「ジャンさん、操縦はなんとかなりそうか!?」
「けっ、万全とはいかないが、なんとかーーーくっ…!?」
船の進路に突き立った触手を辛うじて躱し、ジャンは好戦的に歯を噛み締めた。
「もう少し…あのアーチまでーーー!!」
☆
速度を増したことでより海をかき乱すそれは、既に頭上を通過し外洋へ続く岸壁の狭間へと向かっているようだった。
その小賢しい意図を理解した時、思い通りにはさせない、という衝動に任せて水を蹴り、残る触手を獲物へと伸ばす。
同時に、開けた口から吸いこめるだけの海水を飲み込み始めた。
☆
「ーーっ!?」
「来たか…」
出口を目掛けて突き進んでいた船が、まるで海面ごと持ち上げられたような衝撃を船底に食らい、船内に動揺が走る。
咄嗟に視線を船の外に向けたレイたちの目に入ったのは、まさに船の真下まで迫った巨大な魚影が海面を埋め尽くす光景だった。
「掴まれ…っ!!」
ほとんど条件反射による叫びと同時に船を中心とした海面が隆起、次の瞬間には猛烈な勢いで膨れ上がった海水が吸い戻され、大渦を形成する。
クラーケンは、為すすべなくその中央に囚われたレイたちに決定的な最期を与えるべく、船体に食らいつくように水上に姿を現した毒々しく蠢く口を大きく広げーーー
「ーージャンさん!!」
「ぐっ…!?」
伸ばされたレイの手をジャンが掴むか掴まないかというその刹那、漁船は躊躇なく閉じられた口の中へと丸飲みにされた。
☆
「ーーー!!」
レイとジャンの乗る船がクラーケンの口に飲み込まれ、次いで起こった凄まじい規模の水飛沫が視界を埋め尽くす。
傍目から見て、どう考えても生きてはいないだろうその光景に、メルはこみ上げる悲鳴を必死に押し込めながら、それでも視線だけは逸らさなかった。
メルたちが待機していたのは、本島を取り囲む 外周島の頂上。まさにレイたちが目指していたアーチの上だった。
メルたちの出番はこれからだったが、それもレイが生きて役目を果たせたらの話だ。
だからこそ、自身と同じ役を担うエイリーク、ニーナ、クリスと共に、固唾を飲んで吹き上がる水飛沫が晴れるのを注視していた。ーーーその時
「ーーーいた…、二人とも無事だよ!!」
「「「!!」」」
鋭い声を上げたニーナの指差す先、消えつつある飛沫を突き破って現れたレイとジャンの姿をメルたちも認め、吹き荒れていた不安の嵐は瞬く間に底なしの戦意へと変わる。
あらかじめアーチに巻き付けていた特殊金属による命綱は、狙い通りに作動したらしい。レイはみるみるうちに高度を上げてこちらへ向かってきながら、果たすべき役目のその最後にかかる合図を叫んだ。
「ーーークリス! 魔石を!!」
その声に応えて頷き、クリスは杖を掲げる。
「轟けーーー雷の魔石!!」
間髪を入れない詠唱はただちに漁船に残してきた魔石に届き、その命令に従って凝縮されていた魔力を開放した。
☆
自身が引き起こした怒涛を感じとりながら、クラーケンはゆっくりと海中へとその巨体を鎮めていく。
荒れ狂う海流は未だ激しく前進を叩いているが、いずれ元の穏やかな海へとその姿を戻すだろう。
満足気に手足の力を抜きながら、つい今しがた取り込んだ獲物を咀嚼しようとした、その時。
不意に、獲物のさらに内側で魔力が瞬くのを知覚しーーー
〈ーーーーー!!!?!?〉
瞬間、膨れ上がった電に全身を貫かれ、怪物の意識は真っ白に塗り潰された。
☆
海中で起こった雷は凄まじい稲妻を放出しながら大気を揺らす。
そんな中、とうとう岸壁の頂点に達したレイは臨戦態勢の仲間たちの間に着地する。
未だ電弧を迸らせる海面を睥睨するクリスの視線の先には、電撃によって四肢を痙攣させながらなお、触手を伸ばそうとするクラーケンの姿があった。
「クルーザーを丸三日動かし続けられる魔石でも倒しきれないか…、タフね」
満足に体を動かせない状態にも関わらず、クラーケンの敵意を伴った視線を感じたような気がして身震いするクリス。
でも、と、その視線に真っ向から笑い返しながら杖を掲げた。
「魔石だけで倒せないのは、想定してたわ」
杖に付いた宝玉が紅く瞬き、それに応じるようにアーチの付け根から複数の爆発が起こった。
「みんなーーー頼んだわよ!!」
轟音と共に崩れ始めるアーチから飛び退くクリス。
それと入れ替わるように、三つの影が躍り出る。
「よっしゃー! 真打ち登場オォ!!」
「おおおおおおぉぉぉーーー!?!?」
「はあーーーッ!!」
ニーナ、エイリーク、そしてメルの三人はクリスが施した強化魔術を纏い、もはや一つの巨大な岩塊となったアーチの一端へと殺到する。
「「「行っけーー!!!」」」
籠手をはめた拳で、両の手に握った得物で、全霊の一撃を叩き込まれた岩塊は落下の体勢変え、その先端をクラーケンに向けてもたげる。
ーーー海面で身動きが取れずにいるクラーケン目掛け、アーチの大質量が容赦なく墜落した。