第5話「事件の顛末」②
「それでは、諸々聞かせてもらおうか?」
「はい」
メルと別れたミライがアナベルに連れられてやってきたのは、白い天幕が林立する中にあって一目でそれらとは異なる役割を持たされていると分かる赤色の、他より一回りも大きいテントの前だった。
それがギルドの要人専用のものだと知っていたミライは先に入ったアナベルに続いて入り口の垂れ幕をくぐる。
5メートル四方程度広さのあるテントの中は、中心に焼却施設の見取り図が置かれた広いテーブルとその奥にアナベルが掛ける用と思われる執務机が置かれている様子が、吊るされた魔石灯の橙色の明かりによって照らし出されている。
どちらも板と木箱を組み合わせただけの簡素なものだが、仮設の指揮所が元来こういうものだと知るミライにとっては見慣れた景色だった。
報告のためにミライが中央のテーブルの前で姿勢を正す横で、アナベルはそのまま奥まで歩を進めていき、しかし、自身のために用意されたであろう席に座ることはせずにその手前で立ち止まる。そしてその場で姿勢を正すと、執務机の向こうに溜まっていた影の中に声を投げかけた。
「プリム様。ミライが到着しました」
「っ…!」
驚くミライをよそに暗がりから姿を現したのは、女神アウロラに仕える神官であることを示す純白の司祭服を身につけた女性だった。
彼女の名はプリム。ギルドランク第三位“白のQ”の爵位をいただく冒険者たちの頂点の一角である。
そのプリムは、執務机の端に指を沿わせながらゆっくりとミライの方へと回り込んでくる。
「プリム様、確か帰還は3日後だったはずですが…もう到着されていたんですね」
「ギルド内部でのテロと聞いて飛んで来たのです。事件の解決自体には間に合いませんでしたが、それでもサン・スノーチェニスカ王国における事後処理が終わるこのタイミングでの発生だったのは幸運でした。後詰めとして副局長さんたちを支援することはできましたから」
薄明かりの中でも艶めくブロンドの長い髪に、ミライは普段なら身につけている尖り帽がないことに気づく。恐らくは身支度よりもこちらへの急行を優先したのだろう。
「そうですね、感謝しています」
礼をしつつ内心で合点がいくミライ。
実のところニーナが連れてきた増援部隊の出所に疑問は持っていた。事件発生当初に招集した救出部隊の人員は、その時手の空いていた戦闘職を片っ端からかき集めたものだった。だから、そう簡単に増援部隊を編成することなどできなかったはずなのだが、その穴を埋める形でプリム率いるサン・スノーチェニスカに派遣されていた主力冒険者たちが駆け付けてくれたのだろう。
「無理を押して来ていただいたようで、ありがとうございました。例え事件を解決できていたとしても、お二人の差配が無ければ負傷者の治療や犯人の捕縛などに支障が出ていたことは違いありません」
「まあ、私の場合、立場上何もしないというわけにはいかないからな」
「私もアナベルと同様です。このような事態に際して動くのは冒険者として当然のことですから。ーーそれに」
と、深く頭を下げたミライの前でプリムはその細い手を優雅な仕草で口元に寄せながら言葉を続ける。
「身体能力を強引に上昇させる魔薬というものにも、少なからず興味を惹かれますし、ね?」
桜色の唇から紡がれた、しかして微かに不穏な気配をまとう言葉。
「プリム様、それはーー」
ミライが思わず声を出すが、対するプリムは冗談だというように肩を竦めて微笑むだけだった。
ミライがそれに反応しようするが、それも前にアナベルが発した声によって遮られてしまった。
「ーーさて、役者は揃ったことだし、いつまでも無駄話というのも良くはない。そろそろ本題に入ろうか。ーーミライ」
「は、はい…」
「報告を始めてくれ」
「かしこまりました」
アナベルの凛とした声を受け、ミライはその背筋を無意識に伸ばした。
☆
「ーーー以上が経緯となります。最終的に、当初の目的であった人質の救出には成功し、主犯である札付きの捕縛することができました。その反面、事件に巻き込まれた冒険者及び施設の職員は全員が死亡し救出に参加した者の約半数が命を落とした上、残った人員にも多くの負傷者を出してしまいました」
アナベルに促されたミライの報告が終わりに差し掛かったのは、執務机の上に置かれた時計の長針が半分ほども回った頃だった。
それまで黙って話を聞いていたアナベルとプリムだったが、話がひと段落ついたところでアナベルの方がゆっくりと口を開いた。
「ふむ…職員と救出部隊の被害については撤退してきた連中から聞いた通りだな。…まあ、首魁を捕らえられたことがせめてもの救いだが、らしくない失態だな。“冒険者の鏡”とまで謳われたお前らしくもない」
「はい、面目しだいもありません。責任は全て、私にあります」
「責任て言ってもお前、失われた命の分は取り返しようもないだろう。…まったく、セントラル・ギルド直下の冒険者の補充なんてそう簡単には行かないんだからな?」
「まあまあアナベル。その辺りはサン・スノーチェニスカに関係する人員整理に織り混ぜてしまえば問題はないでしょう。それよりも、事件の舞台になった施設の被害の方が重大なのではなくて?」
「っーーあぁ、そっちもあったんだった…」
頭痛を覚えたように額に指をあてるアナベルに、ミライは捕捉するように恐縮しながら口を開く。
「すみません。部下たちの撤退と人質の救出の両方を成り立たせようと思い、私の独断で大規模攻撃魔術を行使してもらいました。結果、施設全体が大きく損傷し、焼却炉としての機能は完全に喪失したと考えられます。…修復には相応の時間と費用がかかるかと」
「そちらはもう見せてもらった。さすがに驚いたぞ、何せ地下1から4階までの床がごっそり無くなって最下層まで丸見えだ。まったく、直すにしてもいったいどこから手を付ければいいのやら…」
「そんなに派手に壊したの? 貴方のその目的のためなら手段は選ばないところ変わりませんね。冒険者として活躍していた頃のことを思い出します」
「プリム様、あまり不必要に褒めるのはやめてください。つけ上がらせるだけですから」
「いえ、つけ上がるなど…」
できるはずもない、と力なく顔を伏せるミライ。
しかし自身の未熟さを悔いるミライの想いに反してアナベルの反応は意外なほど前向きだった。
「まあ気持ちは分かるが、そうも言っていられないぞ? お前にはこの事件をなるべく早く、そしていい形で決着をつけなくちゃならない。何せこれからはもっと忙しくなるんだからな」
「…これから? ちょっと待ってくださいアナベルさん。これだけの失敗をした私に、ギルドでの籍を残すつもりですか?」
既に自身の進退すら覚悟していたミライは、むしろその真逆の意味すら匂うアナベルの言葉を聞いてその整った眉をひそめる。
そんなミライに対し、アナベルはあくまで泰然とした様子で言葉を返した。
「落ち着け。お前の考えていることは大体想像できる。確かに、今回の事件の結果だけ見るならお前が負わなければならない責任は非常に重い。仮にだが、お前に降るだろう処分を考えたとするとーーー」
静かだが威厳を感じさせるアナベルの言葉を、今度はプリムが引き取る。
「ーーー良くて辺境にある冒険者ギルドへ左遷、最悪の場合は冒険者資格を剥奪の上でギルドからの追放といったところですね。…どちらにせよ、冒険者という肩書きは失うも同然でしょう」
そう語るプリムの表情には厳しい現実を捉えた険しさが浮かんでいる。
しかしミライからすれば、今プリムの口から述べられたことこそが自身を待ち受けている正当な処罰だと考えていた。
だからこそ、先のアナベルの発言はミライの予想とは正反対で、いやむしろ、取るべき責任を放棄した、あまりに受け入れ難い結論と言えるものだった。
「…しかし、今回の事件の責は誰かが負わなくてはいけません。そうでなければ納得できない者が、きっと大勢います」
思い浮かぶのは、猛毒の霧の中で命を落とした部下たちや、魔薬によって自由意思を奪われながら特攻させられた人質たちの姿。彼らの恐怖や無念を思えばこそ、自身が果たすべき責は負わなければならない。
去来する多くの感情に押し流されそうになりながらも、ミライはどうにか言葉を絞り出した。
しかし、対するアナベルは余裕のある笑みを崩さない。そこにはミライの心情を知っていてなお、変えるつもりのない意思を感じさせた。
「まあ、表向き、お前には責任を取る形で今の役職を辞して、一度アタシ付きの立場に落ち着いてもらう。形式的ではあるが形だけは綺麗に収まったように見えるだろう。というかそもそも、今回の事件の責任は首魁の札付きにある。被害者たちの矛先も当然そちらに向かうだろうから、ハナから心配するようなことでもないんだ」
どうやらアナベルの中には既にこれから起こるだろう事柄を解決する道筋も立っているようだった。
ミライはアナベルの考えに対する有効な反論を見つけることができず、何も言えないまま歯噛みする。
そんなミライを見て少しやり過ぎたと思ったのか、アナベルは肩の力を抜いて笑いかけた。
「ミライ、そう難しく考えなくていい。お前の昇格の件については事件以前から進めていたことだったんだ。今更の方針転換はむしろ現場に混乱をもたらすことになる。それと、事件の話にしたって未確定の部分が多い内容だ。今後二転三転することだって十分に考えられる。だからとりあえずは参考程度に聞いていればいい」
「…そう、ですか。わかりました、そういうことであれば、これ以上の追求はいたしません。沙汰が決まり次第連絡をいただければ私としては十分です」
「うん、近日中に結論は出す。約束するよ」
アナベルの答えに決して納得したわけではないが、それでもどこかで折り合いをつけなければならないことをミライは理解していた。
双方の間あった重苦しい空気が無くなったタイミングを見計らい、ミライは一度自分の主張を胸にしまって、この場の結論を後回しにすることに同意する意思を示したのだった。




