天涯孤独
赤ん坊のせいなのか、やたら一日が長く感じる。
あの壮絶な出産シーンから一週間ほどなのに、既に半年過ぎた気がする。
吉田香織とは分娩室で死別して以来、どうなったのか、赤ん坊の俺に知る由もなく、彼女の両親さえ新生児室を訪れなければ、このまま天涯孤独で成長しなければならないのかと諦めていた。
「吉田ベビー、あれから一度も泣いてないみたい」
「脳波は正常だし、遺伝子検査してみますか。でも保護者の同意がないと、さすがに難しいですよね」
そんな達観した俺は、誕生した日こそ大泣きしたものの、あれから泣かなかったので、発達障害を疑われているらしい。
看護師を心配させない程度には、赤ん坊らしい振る舞いをしてやっても良いのだが、なんて言うか、めんどくせえんだよ。
「父親は?」
「お父さんは認知していないみたい」
吉田香織は未婚だったらしく、俺が生まれても、父親は名乗りを上げなかったし、病院に迎えには来なかった。
つまりヤンキー風情の吉田香織は、父親の解らない俺を身籠ったあばずれだった訳だ。
仮にも俺のために死んだ母親を悪く言いたくないが、病弱なくせに、ヤリマンとか後先を考えないバカ女か。
「こうちゃん、僕がこうちゃんのパパですよお〜」
俺の見知った人物が、新生児室のガラスの向こうに現れたのは、そんなときだった。
生前の俺の父親、棚橋友蔵である。
ちょっと待て!
生前の俺の名前は、棚橋康一だ。
しかし俺の母さんは棚橋雅子であり、吉田香織でなかった。
なんで、お前が吉田香織から生まれた俺のパパが、お前なんだ!?
お前、まさか浮気してやがったのか!?
「棚橋康一ちゃんは、今日で退院ですね」
「はい! 母子ともに大変お世話になりました」
「では、こちらへ」
えーっ!
どういうこと!
俺の隣に寝ていた赤ん坊が、倉橋友蔵(生前の父親)に抱かれて新生児室を出ていく。
つまり俺の隣に寝ていた赤ん坊が、転生前の俺で、友蔵が迎えに来たのは、俺じゃなくて、隣に寝ていた俺だったの?
混乱するわ!
オギャー!
鈴木は、俺と生年月日と出生地が最も近い赤ん坊に、俺が転生すると言ってたけれど、じゃあ俺は生前の俺と、同じ病院で生まれた赤ん坊に転生したのか!?
この状況は、ちょっと待てよ。
転生後の俺は、転生前の俺より劣化してないか。
父親はサラリーマン、母親がスーパーマーケットのレジ打ちのパート、平凡な家庭に生まれ育った一巡目の人生より、確実にハードル上がっている。
「吉田ベビー、今日は元気ね」
オギャー!
いやいやいやいやいやッ、母親と死別、父親が誰かも解らない、親戚の誰も迎えにすら来ない二巡目の俺の人生は、理不尽にも程度があるだろう!
まてまてまてまてまてッ、ともぞう!
お前の息子の隣には、天涯孤独の元息子がいるんだぞ!
生前の俺は、てめえと反りが合わなくて親孝行なんてしたことなかったが、それでも今は、てめえの良心に訴えかけるしかねえんだよ!
オギャー!
「あの子、元気なお子さんですね」
オギャー!
「普段は泣かないのに、どうしたのかしら?」
オギャー!
友蔵っ、気付いてくれ!
俺は、お前の息子だよ!
てめえとは折り合いが悪かったが、そんな一巡目の俺より、二巡目の俺の方が上手く折り合いをつけられると思うぜ。
オギャー!
うん、知ってた。
生前の俺を抱いた友蔵と雅子は、退院の手続きを済ませると、新生児室で泣き叫ぶ俺を無視した。
元両親は、俺が息子の生まれ変わりだと解らないのだから悪くない。
「あら、吉田ベビーが泣き止んだわ」
そりゃあ、精根尽き果てますよ。
元両親に引き取られる自分を見たら、どんだけ元自分が恵まれた環境で育ったのか痛感させられる。
両親揃って健在、ろくすぽ勉強なんてしなかった俺を、大金を出してFラン私立大学まで卒業させてくれた。
今にして思えば、一巡目の俺は恵まれている。
「す、すいません、吉田香織の生んだ赤ちゃんは、どの子ですか?」
新生児室のガラスの向こう側、額の汗を拭いながら、吉田香織の赤ちゃん……、つまり俺の所在を確認するハゲた男が現れた。
「香織ちゃんの赤ちゃんは、どの子なの!」
ハゲのおっさんの背後から、新生児室の赤ん坊を覗き込んでいるのは、品の良さそうな着物の女性だった。
二人は慌てた様子で、看護師に俺の所在を詰め寄っている。
「ど、どちら様ですか?」
「私は、吉田香織の姉です!」
「ぼ、ぼ、僕はっ、彼女の夫です! 香織ちゃんの産んだ赤ちゃんがいるなら、ぼ、ぼ、ぼ、僕らが引き取って、そ、そ、そ、育てます! ぼ、ぼ、ぼ、僕らの子供としてえい!」
いや、おっさんテンパリすぎだろう。
どうやら、新生児室のガラスの向こうに現れた女性は、亡くなった吉田香織のお姉さんで、テンパっているハゲた男は、彼女の夫らしい。
ハゲたおっさんは、袈裟を纏っているのだから、ヤクザではなく、お坊さんなのだろう。
「ぼ、ぼ、ぼ、僕らが、あ、あ、あ、あの赤ちゃんを引き取って育てます!」
よし、状況を整理しよう。
吉田香織から生まれた俺は、天涯孤独であったところ、寺に嫁いだであろう姉の夫婦に引き取られる感じだ。
住職の慌てようから察するに、義妹である香織が出産したことを知ったのは、ついぞ直前だったのではあるまいか。
俺の引き取りは香織の両親はおろか、親戚が拒否したのであれば、テンパって病院に駆け込んでくれた姉夫婦は、俺の育ての親に相応しい善人だ。
であれば、アピールだ!
俺の有能さをアピールして、是が非でも彼らの養子になる必要がある。
俺は右手を上げて、左手を下げた。
「ふぇんひょうへんへ、ひゅいぎゃどくべょん」
アルカイックスマイルを浮かべたが、これはサービスだ。
お前が住職ならば、この意味を理解しただろう。
天上天下唯我独尊とは、釈迦が誕生した時に言ったとされる言葉であり、お前たち人間にしかできない尊い使命があると言うお言葉だ。
俺が、こんな含蓄のある言葉を口にしたのだから、信心深そうなお前たちが、この俺を養子に迎えぬはずがなかろう。
「わあ、なんか可愛いね」
「発達障害なんて間違いよ。だって、この子は賢そうな顔をしているわ」
「そうだね」
まあ歯が生え揃わないうちは、上手く喋れないので、こちらの意図が上手く伝わらないのは仕方ない。
でも発達障害ではなく、香織の姉が賢そうと見抜いてくれたのならば、それはそれでも問題ないだろう。
ほほひく、めひゃどっきゅ。
親指を立てた俺は、養父母の二人にウインクした。
こうして俺は、死別した香織の姉である、お寺の住職夫婦に養子とし引き取られた。
(つづく)