お母さん
い、息ができねえ、それになんだかヌメヌメしてて気持ち悪い。
これはあれだ、母親から産み落とされる瞬間だ。
まてまてまて、転生って、こんなリアルなところから始まるのかよ。
しかし息が出来なくてテンパるが、へその緒が繋がっているせいか、全く死ぬ気がしない。
が、しかしこれはナンセンスだ!
「この子、自力で出てきたわ……なんて赤ちゃんなの」
白衣の看護師が、腕でこじ開けるように母親の産道を這い出た俺を見て呟いた。
冷静になった俺は、強引に腕でこじ開けたことを母親に申し訳ないと思う。
出産は、ただでさえ激痛なのに、追い打ちをかけるような真似をした。
母よ許せ。
「はあ、はあ、私の赤ちゃんは?」
貞子スタイルで分娩台に這い出した俺が泣かなかったので、看護師は脚を持って逆さにすると、幼気な俺のお尻を引っ叩く。
ふざけるんじゃねえぞ、こちとら生まれたばかりでぐったりしてんだ。
少しは、休ませろ!
おぎゃー!
と、看護師にクレーム入れようにも、舌が回らないので、とりあえず泣いてみた。
「元気な男の子ですよ」
「良かった……、本当に良かった。この子を生むことがてきて……、本当に良かった」
「ほら、ママとご対面よ」
俺は看護師に抱かれたまま、出産を終えたばかりの母親を見た。
俺の母親は、まだ若く十代後半、目鼻立ちがしっかりしているし、切れ長の目をした美人である。
母親の容姿が良いのは、彼女の遺伝子を継ぐ俺にとってはメリットだ。
しかし幼くして出産する茶髪、父親が立ち会っている気配がないも気にかかる。
俺の妊娠が若気の至り、両親揃ってヤンキーならばデメリットだ。
「良かったわね吉田さん、本当に良かったわ」
「良かったわね」
出産に立ち会った看護師たち口々に『良かった』と言うと、皆さん振り向いて泣いているのだが、かなりの難産だったのか。
感動的ではあるが、ちょっと大袈裟過ぎる。
「あなたは……、私の分まで長生きしてね」
母親は不穏な台詞を口にした瞬間、糸の切れた操り人形のように脱力して、首を横にした。
「吉田さん、吉田香織さん、しっかりしてください。吉田香織さん、気をしっかりね。ストレッチャーを用意しろ!」
「は、はい」
「輸血量を増やして!」
俺の母親は、吉田香織と言うらしい。
そんなことより分娩室が急に慌ただしくなったが、俺のせいじゃないよな。
ピッ、ピッ、ピッ、ピィィィイー
嘘だろう。
この音は、テレビでよく聴く心停止のビープ音じゃねえか。
冗談じゃねえぞ!
生まれたばかりで、いきなり母親と死別なんて冗談じゃねえ!
「これ、壊れてないよね」
「正常です」
分娩室の医者が心音計を叩いているが、なんで心音計が壊れたと思ってんだ。
医者は俺の母親より、心音計を心配してやがる。
ポンコツなのは心音計じゃなくて、お前の頭だ!
「じゃあ、吉田さんのご家族の方に連絡して」
「でも先生、吉田さんの処置は良いんですか」
「彼女は、虚血性心疾患と血友病を併発していたんだ。出産の死亡リスクは承知の上だよ」
「わかりました……、手配します」
「よろしく」
よろしくするな!
なに、こいつら悪魔なの?
これが俺の作り出した幻想世界の現実だとしたら、あまりにもふざけてないか。
看護師は泣きながら、母親の腕に巻かれて輸血用の管を抜いた。
「吉田さんは、分娩中に二度心停止した。そんな彼女が、出産を終えたことが奇跡なんだ」
「はい」
「我々は、手を尽くした」
あの涙の意味は、そういうことか。
母親は、既に何度も蘇生措置を施されていた。
オギャー! オギャー! オギャー! オギャー! オギャー! オギャー! オギャー! オギャー! オギャー! オギャー! オギャー! オギャー!
俺は、今更ながら元気よく泣いた。
心停止した吉田香織も聴覚だけは残っているかもしれないし、俺のように幻想世界に旅立ったかもしれない。
「本当に元気な赤ちゃん」
「ううっ……、お母さんに、泣き声が聞こえると良いわね」
鈴木は、俺が生まれなかった肉体に転生すると言ってたんだから、吉田香織は本来、子供を生むことなく死んでいたんじゃないのか。
俺が転生するために、無理矢理に命を繋いでいた。
だとしたら、命がけで生んでくれた母親のお腹をヌメヌメして気持ち悪いとか、文句を垂れて申し訳ない気持ちになる。
(つづく)