異世界転生は無理でした
これで俺の人生も終了と思い目を閉じたとき、凄いことに気が付いた。
俺がこのまま死んだら、妻のことばかり走馬灯に見たことになる。
キャバクラで入れ揚げたアケミさんのことも、出合い系サイトで見つけた不倫相手の裕子ちゃんとの逢瀬も、妻との交際に比べれば俗事だったのだろうか。
俗事は言い過ぎだけれど、俺の人生のほとんどが、あいつに振り回されていたのだから、思い返すのが妻ばかりなのも致し方ない。
「お客様には、チャンスを与えます」
鈴木の声だった。
今際の際では、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚の五感のうち、聴覚のみは運動機能の関与がなく健全に機能すると、何処かで聞いた記憶がある。
それだって話しかけられた内容を考えれば、幻聴なのだろうけれど、チャンスが貰えるなら縋ってみたくなった。
「チャンスをください」
うん?
渋谷スクランブル交差点で死んだはずの俺は、なぜかメイド服に着替えた鈴木と向かい合わせに、肘掛け椅子に座っていた。
これは、あれだ。
事故で死んだ人間が、天界の女神様に頼まれて、剣と魔法の異世界で生まれ変わり、美少女ヒロインと冒険する例のパターンだ。
俺の目の前の椅子に腰掛けている家電量販店に勤務している販売員は、じつは天界の女神様だった。
そういうことだろう。
「ここは天国なんですか?」
「肉体を失った精神世界を天国と呼ぶなら、あなたの肉体は、まだ荼毘に付されていないので、ここは狭間にある冥土でしょうか」
「俺は、まだ死んでないのか」
鈴木は哀しげ目で首を横に振るので、肉体が現存していても、俺の死は確定したらしい。
ここが天国の入口の冥土だとすると、先程までスクランブル交差点にいた鈴木が冥土にいるのは、やはり女神様なのだろうか。
「しかし鈴木さんは、まだ生きていますよね?」
「神は概念なので、特定の容姿や言語を持たないのです。お客様には、私が鈴木さんに見えているのですね」
「鈴木さんではないけど、神様なのは否定しないんだ。つまり鈴木さんが神様なのは、俺の想像の産物……。なんだ、やっぱり幻覚じゃないか」
俺は前々から事故で死んだ主人公(ほとんどクズニートか、いじめられっ子のアニメオタク)が、異世界で美少女ヒロインと冒険する物語が、じつは駄目人間が今際の際に見ている幻覚だと思っていた。
そう考えれば、妻の横暴に怯えながらも、キャバ嬢に給与を貢ぐし、女子大学生とも不倫していた俺は、駄目人間の条件をクリアしている。
となれば、あとは俺の想像力次第ではあるが、今際の際の幻覚世界を楽しく過ごせるかは、俺の想像力に託されていた。
「異世界転生とは、やはりそういうシステムだったのか」
「システム?」
「こちらの話です」
そうと決まれば、俺はチート武器かチート魔法をもらって異世界転生、物語の主人公になるだけだ。
「鈴木さん、復活のチャンスが貰えるならば、俺が異世界を救ってみせるぜ!」
「はあ?」
「あれ、なんか思っていたリアクションじゃない」
「お客様が、変なことおっしゃるから」
「いや、だから事故で死んだ俺は、鈴木さんから凄い武器や魔法をもらって、異世界の魔王とか倒すんでしょう」
「お客様は、深夜アニメの見過ぎですよ。私が与えるのは、奥様を心の底から愛しているお客様に、人生をやり直してもらい、再び愛する人とめぐり逢って頂くためのチャンスです」
そんなチャンスは要らねえ!
せっかく転生するチャンスなのに、人生二巡目のチャンスなのに、なんで悪妻と、再びめぐり遭わなきゃならんのか。
「チャンスは必要ありませんか?」
「そんな罰ゲームみたいな転生は−−」
いや、待てよ。
鈴木は『愛する人』と言ったのであり、妻とめぐり逢ってくれと言ってない。
つまり転生した暁には、べつに妻以外の女と結ばれても良いはずだ。
妻と当たらなければ、どうということはない。
「転生先は選べるのか」
「いいえ。お客様の魂は、お客様の生年月日と出生地に最も近く、本来は生まれることが出来なかった肉体に宿ります」
「なるほど」
鈴木が想像の産物ならば、俺が剣と魔法の異世界に転生出来ないのは、異世界の存在を心の底から信じていないからだろう。
俺は、死んだ人間が過去にタイムリープして、二度目の人生を歩むのは、ぎりぎり信じていたと言うことか。
我ながら理屈っぽい解釈ではあるが、この先の物語が幻覚世界の出来事だとしても、何もせず御臨終するよりマシだ。
「チャンスとやら貰おうじゃないか」
「わかりました」
まあ、酸いも甘いも噛み分けた俺の二度目の人生だ。
愛する人とめぐり逢うために、せいぜい好き勝手させてもらう。
鈴木は俺の両手を握ると、呪文のような単語を並べて目を閉じる。
「鈴木さん、なんだかとても眠いんだ」
「はい。次に目覚めたときは、新たな人生が始まります。いってらっしゃい、お客様」
俺は遠退く意識の中で、冥土にいた鈴木がメイド服だったのが駄洒落だと気付いて、我ながら発想が貧困だなと思った。
(つづく)