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原子力な彼女

作者: 村崎羯諦

『人間の方が安上がりであり、何より経済的である』


 一昔前、国策のもと進められた原子力発電所の大増設に伴い、日々大量に生み出される高レベル放射性廃棄物の処分場をどのように確保するのかという議論が行われていた。固化技術や放射能の無害化技術も飛躍的に進歩していたものの、なお放射性廃棄物が発する微量の放射能を完全に抑え込むことはできず、放射能が一定基準まで減衰するまでのおよそ二十年間、廃棄物をどこかに貯蔵しておく必要があった。しかしながら、議論が行われた時期は折しも世界的な地価上昇が始まった時期であり、放射性廃棄物の処分場のための土地を提供しようとする民間や自治体はなかなか現れなかった。


「現代の技術では土地の汚染自体はもほや無視できるレベルまで抑え込むことができるけど、放射性廃棄物の処分場に使われたという事実によって、その土地と周辺の土地の市場価値が大暴落してしまうの。例えば、何百億円もの市場価値がある土地を買い上げてそこを処分場にするということは、何百億円のお金を使って、何百億円以上の市場価値を消してしまうということになる。経済的に考えてこんな馬鹿なことはないでしょ? そこで、さっきの言葉に表されるような発想の転換が行われたわけ。人間という動く処分場に放射性廃棄物を埋め込んだほうが安上がりで経済的だって」


 大学のキャンパス。向かいの席に座る明穂が『現代原子力工学基礎Ⅰ』講義の内容を噛み砕いて説明してくれる。僕はメモを取りながら、人間の方が安上がりで経済的ってのがいまいちよくわからないだけどと尋ねる。明穂はタブレットに書き記したメモを見ながら説明を続けてくれた。


「放射性廃棄物をある人間の体内に埋め込む場合、その人には協力金という名のお金が支払われる。だけど、その協力金は高くても一億円程度だと言われてる。今もなお上がり続けている地価と比べたら断然に安い。それにね、支払った協力金は、その人がサービスや生活費として消費することになるでしょ。そうすると、そのお金は市場へと流れ、波及効果として協力金以上の経済効果を生み出すことができる。他にも理由はあるの。放射性廃棄物を埋め込んだことによってその人の寿命は内部被曝の影響で縮むけれど、それでも平均寿命は四十前後。十歳のときに放射線廃棄物を埋め込まれたとしても、それから三十年程度は生きながらえるわけだから、放射線量が基準以下になる二十年という時間は保証されやすい。ちょうど放射性廃棄物を埋め込んだ人間が死んだときに、遺体から完全無害化された放射線廃棄物を取り出せるってわけ。理にかなってるでしょ?」


 彼女がタブレットを電子ペンでいじりながら僕にちらりと視線を向ける。細い前髪がはらりと落ちて彼女の藍色がかった瞳にかぶさった。どうしたの、そんなきょとんとした表情しちゃって、と明穂が笑う。部屋の照明にあたって、彼女の肌の白さがより際立って見える。


「別に気を使わなくても大丈夫だよ」


 彼女が右手で髪をかきあげた。彼女の服の袖から覗く、放射線治療によってできた炎症の跡から、僕は反射的に目をそらした。


「私自身が放射性廃棄物を埋め込まれた当事者だからってさ、同情なんてして欲しくないの。特に、君にはね」



****



 白い肌。絹のような細い髪。大学のオリエンテーション合宿で初めて白井明穂の姿を見た時、僕が彼女に抱いた印象はこれだけだった。後に知ることだけれど、その白い肌は病弱ゆえにあまり外へ出ることができなかったからで、絹のような細い髪は、よくできた女性もののカツラだった。原子力チルドレン。子供の頃に体内に放射線廃棄物を埋め込まれた人のことを表した、メディアが生み出した言葉。彼女はそのことを隠しもせず、卑屈さを感じさせない明るい口調で自分のことを話してくれた。僕は話を聞きながら、彼女の気丈さに、気高さに、強く心が動かされた。


「同情の気持ちからそう言ってくれた人は今までたくさんいたの。だから、ごめんね。いくら君が私のことを好きだって言ってくれても、私には同情から言ってるだけなのか、本気で言ってくれてるのかわからないの」


 会話を重ねて、お互いのことを知って、呼吸をするより自然に、僕は彼女のことを好きになっていた。そして、僕が勇気を振り絞って自分の気持ちを伝えたとき、彼女は痛々しい作り笑顔を浮かべながらこう言った。同情からじゃない。食い下がる僕に、彼女の表情から作り笑顔が消えていく。明穂はどう思っているの。僕の問いかけに、彼女は顔をうつむける。それを聞くのはずるいよと、彼女は小さな声でつぶやいた。


 原子力チルドレンという言葉通り、十歳前後の子供に高レベル放射線廃棄物が埋め込まれることが多い。政府は公式には否定しているが、体内に放射線廃棄物を埋め込まれた人間は内部被曝によって平均寿命が短くなってしまう。したがって、平均寿命が四十歳前後であり、その他細々としたリスクを考慮すると、逆算してこの年齢くらいに埋め込むことが一番効果的であると言われている。


「どうやって、政府が子供を見つけてくるかは知ってる?」


 電気を消した僕の部屋。身体をくっつけあい、昔に撮られた退屈なイタリア映画を見ながら、明穂が教えてくれた。


「原子力エネルギー省から業務委託された業者が子供を見つけてくるんだけどね、まあ、大体が半グレの組織なの。その組織の方が、お金に困ってて、なおかつ小さな子どもがいる家庭をよく知ってるから。でもね、それとは別のやり方もあるの。産婦人科医院と裏でつながってね、中絶に来た若い女の子を紹介してもらうの。業者はお金を払って、その子に産むはずのなかった子どもを産ませる。そして、その子を養子という形で業者が引き取って、年齢が来たらその子に放射線廃棄物を埋め込ませる。養育費は文部科学省と厚生労働省の養子縁組補助制度から引っ張ってこれるから問題ないし、さらには仲介手数料と協力金の一部を手にすることができるから丸儲けよね。もちろん、国側はこのことを知ってるけど、黙認してる。処理場が足りなくなるということを彼らは一番恐れてるから。でね、私は後者のやり方で調達された子どもなの」


 僕は明穂の頭をそっと撫で、肩に抱き寄せる。触れ合う肌から、彼女の体温が伝わってくる。彼女の体温は埋め込まれた放射線廃棄物の崩壊熱作用によって、一般的な人間より二、三℃高い。ひんやりして気持ちがいいね。初めて手をつないだ時、明穂は照れくさそうに笑っていたことを思い出す。真っ暗な部屋に浮かび上がるテレビのディスプレイの中で、イタリア人カップルが愛の言葉を囁きあい、熱い口づけを交わした。


「私や他の子たちは別にそのことを恨んでるわけでもないんだよね。幼い頃からそれがお国のためなんだっていう教育を徹底されてたから。それにね、私を引き取った業者は比較的良心的で、私達が不満を持たないように、何不自由のない生活をさせてくれるの。事実、こうして大学まで行かせてもらってるしさ。それから、私達にいつもこう言い聞かせてるの。『私達が中絶をやめさせなければ、あなたたちはそもそもこの世に生まれてくることのない命だった。だからこそ、こうして生きていることだけでも私達に感謝するべきんんだ』ってね」


 映画のエンドロールが流れ始める。バラードの曲に合わせて、真っ黒な画面の上をイタリア語がゆっくりと流れていく。彼女の汗ばんだ手を僕は握りしめた。愛してると僕はエンドロールを見つめたまま彼女に囁く。映画に影響されすぎだってば。彼女はそう言って笑い、僕の手を強く握り返した。


 彼女が妊娠し、結婚を決意した時、もちろん周りの人間からは反対された。父親には罵倒され、母親には泣かれ、姉からは『同情で自分の人生を不意にして良いのか』と諭された。それでも僕は押し切る形で明穂と籍を入れ、二人の生活を始めた。昼は大学での仕事に取り組み、夜は二人で身を寄せ合いながら、二人の未来予想図を語り合った。


「私はきっと長生きできないだろうから、この子には私の分まで生きて欲しい」


 自分のお腹を優しく撫でながら、明穂は穏やかな表情でよくそう僕に語っていた。けれど、その慎ましげな夢が叶うことはなかった。彼女の妊娠が発覚してから五ヶ月後。彼女は流産したから。


 僕が仕事で外へ出ている時、突然の腹痛が彼女を襲い、運ばれた病院でその事実を告げられた。僕は病院へ急いで駆けつけ、ベッドの上に寝かされた明穂に歩み寄る。彼女は僕を見上げ、あの日と同じ痛々しい作り笑顔を浮かべてみせる。奇形児だったんだって。頭部が普通の赤ちゃんの半分もない、無脳児って言うんだってさ。僕は何も言えず、彼女の手を握りしめた。彼女が僕の手の甲に爪を立てる。そして、明穂は堰を切ったように叫び声を上げる。


「私は馬鹿だ!! 私は馬鹿だ!! 私は馬鹿だ!!」


 狭い病室に彼女の叫び声が虚しく響き渡った。彼女が泣き疲れ、眠りについた後、僕は明穂の担当医から呼び出された。彼は彼女が原子力チルドレンであるということを知っている医者で、幼い頃から定期的な放射線治療を行ってきた担当医でもあった。そして、担当医がいつになく真剣な眼差しで僕にこう告げた。彼女は悪性度の高い甲状腺がんにかかっており、進行速度から見るにもう長くは生きられない。担当医は言葉を続ける。残り少ない時間をどのように過ごすべきかを二人で真剣に話し合ってください、と。僕はどこか夢見心地な意識のままで、ゆっくりと頷いた。


 二人で相談した結果、最期の時間は副作用の強い治療は受けずに穏やかに余生を過ごすことに決めた。二人で思い出の場所を巡って、思い出の映画を見て、まだお互いに言ってなかった自分の秘密を教え合って、そして、担当医からがんを宣告されてから三年後。明穂は病院のベッドの上で、僕の手を握りしめたまま息を引き取った。空が高く、空気が澄んだある十一月の日のことだった。


 明穂の死亡と同時に原子力エネルギー省の役人だと名乗る人間が病室に入ってきた。行政文書を提示した上で、彼女の体内に埋め込まれた放射性廃棄物を取り出す必要があること、遺体は一般人が立ち入りできない特別な火葬場で行われることが告げられる。僕の返事を聞くこともなく、そのまま彼女の遺体は病院の裏口からひっそりと病院の外へと運び出されいった。


 遺体のない葬式が行われ、僕の知らないどこかで遺体が火葬され、数日経ってから明穂の遺骨といくつかの書類が僕のもとへと届けられた。放射線廃棄物の無害化という彼女の功績を称える、原子力エネルギー大臣直筆の感謝状、彼女の配偶者が受け取れる特別遺族年金の申請書類など。僕は書類を机の上に放り投げ、彼女の遺品整理の続きに戻った。整理の途中、彼女のパソコンの中に、生前に書き記した僕への手紙を見つけた。文面は彼女らしい淡々とした文章で綴られていて、死後の手続きや遺品の取り扱い、遺骨の埋葬方法についての細々とした指示が書いてあった。


『もしも私の人生を不憫に思った神様が時計の針を巻き戻してくれて、今と同じ放射線廃棄物を埋め込まれる人生と、普通の家庭に生まれて普通の一生を過ごす人生のどちらか一方に、もう一度だけ生まれ直すチャンスを与えてくれるとしたら』


 彼女の手紙はこんな言葉で締めくくられていた。


『私はきっと、君に出会える人生を選ぶと思います』


 明穂が残した手紙に従い、樹木葬という形で遺骨を埋葬した。霊園の一角に植えられたハナミズキの根本に、彼女の遺骨は埋められている。


 明穂が死んだ後も地球は回り続け、同情も容赦もないまま僕は彼女のいない日常へと投げ出される。きっと彼女を失った悲しみが癒えるまで、途方も無い時間がかかるのだろうし、違う恋をして、違う人を好きになっていれば、こんな気持ちを抱えたまま毎日を過ごす必要もなかったのかもしれない。


 それでも。神様が時計の針を巻き戻してくれて、今とは違う人生をやり直すチャンスを与えてくれたとしても、何度でも僕は君に出会える今の人生を選ぶと思うよ。僕は霊園のハナミズキを見上げ、自分に言い聞かせるようにつぶやく。僕は手を合わせ、ハナミズキに背を向けて歩き出す。風が霊園を吹き抜けて、木の葉が擦れ合う音が聞こえたような気がした。

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