第66話 因縁の終焉
神殿の出口から飛び出し、明人たちは転がり落ちるように階段を駆け下りた。
長い階段の、ちょうど中ほどに来た頃であろうか。
後ろで巨大なものが崩れる音がした。
明人が振り向くと、支えを失った神殿の屋根が落ち、ゴロゴロと丘の下に転がっていくのが見えた。
階段の方に転がってこなかったのは幸いだ。
白い砂の海に落ちた屋根型の巨石は、防波堤にぶつかった波のように盛大な砂しぶきをあげ、深々と埋まりこんだ。
「シャレになんねぇ。シャレになんねぇよ。オレらよくまだ生きてるよ」
ゾッとした顔で幸十が言った。
「早く降りよう!」
明人も声をかけた。
この階段もいつ崩れるかわからない。
それに、まだ不気味な羽音も止んでいないのだ。
雲霞のごとき大軍勢は見えなくなったが、ホフニたちがまだどこかにいることは明らかだ。
階下には、膝をついてうずくまる巨人と、ネコ姿の二柱が待っていた。
「ベル! アナ様、祭司アルバも!」
「戻ったか! 全員無事だな!?」
「大丈夫!」
ベルの安否を問う声に、階段の上からこたえた。
一気に駆け下りて、最後の5段くらいは飛び降りた。
着地するなり、ベルが明人の足を叩いた。
「よく無事に帰った!」
「うん。基点らしき変な像も壊したよ。けどホフニたちが逃げた」
「ああ。だが、もはや奴らには……」
ベルがそう言いかけたのを、ぶうん、ぶうん、と気色の悪い羽音がさえぎった。
遠く、空中に黒い粒が集まったかと思うと、白い砂漠に三つの人型が落ちた。
三神官――ホフニ、エルロアザル、セネメレクだ。
うめきながら立ちあがった。
「――ッ!」
すぐさまベルとアナが明人たちを守るように立ちはだかった。アルバが脇を固めた。
だが、
「あれ……?」
明人は首を傾げた。
三神官たちの様子がおかしい。
視線が誰にも向いていないのだ。
その場に立ちつくしたまま、濁った目を左右に何度もキョロキョロと向けるばかりだ。
「おお。おお。なんたること」
「よく見えない。よく聞こえない」
三神官たちが恨めしげにうめいた。
手を前に突きだして、手探りしはじめた。
なんと、その手のひらに数字が浮いていた。【1】、と。
「数字があいつらの手のひらに……!?」
「破れた呪いが呪者に返ったのだ」
驚いて言った明人の疑問に、ベルが答えた。
「今や奴らこそが呪われた。奴らはただちにここから出なければならない。出られないなら、枯れ果てねばならない。自分たちが、そう定めたのだから」
三神官の手のひらの数字が点滅しはじめた。
残り時間があとわずかであることを示すものだ。
「おお。神よ。呪わしき悪魔の使徒どもを我らの手に渡したまえ」
「呪われてあれ。呪われてあれ……!」
三神官たちはうめくように呪い続けた。
闇雲に呪いの言葉をまき散らしながら、しかし、荒涼とした砂漠の上で立ち尽くしていた。
その幽鬼のごとき様子は、なにも見えておらず、なにも聞こえていないのではないかと思えた。
「神よ。神よ。どうして我らを救わないのか。我らはあなたのために殺し続けたというのに」
ホフニが空を見上げて両手を広げ、恨みごととともに訴えた。
だがデタラメだ。彼の行いは彼自身のためのものであり、神のためのものではなかった。そうでなければ、徹底した超然主義をもってなる光の神が、どうして三界を消滅させるために自ら出ばるだろうか。
呪詛めいた祈りは、しかし、広大な砂漠の、無限に存在する砂に吸いこまれて消えた。
返答はなかった。
虚言に応える神はないのだ。
いるはずがない。
――その、はずだった。
「おお……神よ!」
とつぜん、三神官がそろって狂喜に満ちた卑しい笑みを浮かべた。
まるで勝ち誇るかのように。
いぶかしげにその視線のほうを見たベルが、ビクッと体を震わせ、目を見開いた。
アナもだ。
アルバが恐懼するようにその巨大な体を縮めた。
なにごとかと明人もそちら側、つまり自分のすぐ後ろを見た。
(え?)
皆の視線の先にいたのは、後ろに控えていたサラだ。
正視に耐えぬ有様の三神官を、彼女はそれでも正面からまっすぐに見つめていた。
その青い瞳は、優しく、だが厳しかった。
いつものサラとなにかが異なるその雰囲気と、そして己の矛盾した感想に困惑した明人だが、次の瞬間、はたと気がついた。
今そこに立っているのは、きっとサラではない。
『人の子よ』
はたして厳かな声が響いた。
いつもの関西訛りがまったくなかった。
ただ一言、口にしただけであるはずなのに、思わず背筋が伸びる厳粛な空気が一瞬であたりを支配した。
(――光の神!)
証拠はないが、そう確信した。
おそらく闘争界でベルが明人にそうしたように、光の神がサラに憑依したのだ。
決して表舞台に出ようとしなかった存在が、今そこで自ら言葉を発している。
『私は、私のために人を殺せと言ったことが、かつてない』
神託が『サラ』の唇から紡がれる。
その朗々として透き通った声は、張り上げているわけでもないのに、とてもはっきりと聞こえた。その響きは聖歌より荘厳さに満ち、明人の胸を打った。
その神秘的な声が、ホフニたちに毅然と告げた。
『人を殺すな、と言ったのだ』
あっけに取られたのか。
それとも神託を認めることができなかったのか。
三神官たちはだらりと腕をぶら下げ、口を開けっぱなしにして、ぼうっと声の主を見つめた。
周囲でゆっくりと動く、巨大な車輪の軋む音が、よく聞こえた。
やがて中央のホフニが口を開いた。
「……裏切った」
左のセネメレクが続いた。
「裏切った」
そして右のエルロアザルも。
「そうだ。裏切った。神は我らを裏切った。かくも奉っていた我らを……!」
閉じるべき口を、三神官たちは開いた。
「呪われてあれ。呪われてあれ。おお、神よ。呪われよ……!」
彼らの濁った瞳の光が完全に消えた。
眼球が潰れ、眼窩が暗闇に満たされた。
「なんという……」
ベルとアナががく然としていた。
『サラ』は悲しげな瞳をするだけで、沈黙を守っていた。
「神よ、死せよ」
「神よ、滅びよ」
「神よ、呪われてあれ。おお、呪われよ……!」
エルロアザルが、セネメレクが、ホフニが、呪う。
己の目が潰れたことにもかまわず、口々に呪い続ける。
呪う力を失った今も。
過去には称えていたはずの神さえも。
その様子を、『サラ』は悲しげな瞳でただ見つめていた。
三神官たちが歩き出した。
『サラ』につかみかかろうというのか、その穢れた腕を突き出した。
「呪われてあれ。呪われてあれ……!」
『サラ』は逃げなかった。その場を動こうともしなかった。
それにも関わらず、めしいた三神官たちは『サラ』に近づけなかった。
腕を憎々しげに突き出して、しかし見当違いの方へと歩んでいった。
そのまま苦しげに呻きながら茫漠とした砂漠を踏みしめ、三神官たちがいずこへともなく歩いていく。
足を引きずるように歩み、『サラ』からかえって遠ざかっていく。
「……時間だ」
ベルの宣告が、彼らの背に投げかけられた。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ…………!」
怒号とも呪詛ともつかぬ断末魔の叫びが三つ、血も凍る恐ろしい響きとなって地を震わせた。
三神官たちが崩れだす。
帽子も、服も、皮も、肉も、骨も、黄色い土へと変わり、ボロボロと崩れ、足下へ積もってゆく。
みな粛然とした面持ちでその様子を見つめていた。
やがて三神官たちがいた場所には、小さな土山が三つあるばかりとなった。
おそるおそる千星が問うた。
「死んだ……よね? 元から死んでたんだろうけど、そういうことじゃなく」
「もちろん」
とアナが答えた。
明人もベルに聞いた。
「どうしてあいつらだけ土になったんだろう」
三界で死んだ者は遺体がそのまま残る。あるいは黒い煙と化して消える。
彼らだけ違うのが気になった。
「人は最後に土に還ると、当人たちが信じていたのだろう」
とベルは静かに答えた。
「はい。彼らはそれを神の教えと信じる者たちでした」
とアルバが補足した。
「……なるほど」
一言つぶやいて、明人はホフニたちの遺した三つの土塊を見つめた。
彼らは腐敗した神官であった。
最期には神を呪いさえした。
だがそれでも、死ねば神の教えの通りになると信じる程度には、信心深くもあったのだ。
「失礼いたします、館主様」
サラがベルの元に歩み寄った。
先ほどの荘厳な雰囲気はない。イントネーションにも関西訛りがあった。今の彼女は、サラなのだろう。
「ご伝言を承りました。『お手数をかけました』とのことです」
「そうか。お応えしたいところだが、もう声は聞こえないかな」
そう問われたサラは、しばし目を閉じて耳を澄ませていたが、やがて目を再び開き、こくんとうなずいた。
「はい。そのようです」
「わかった。彼らしいな。御役目ご苦労だった」
「恐れいります」
サラはうやうやしく頭を下げた。
「直接言えばいいでしょうに」
アナが憮然とした顔で言った。
「そう言うな。直接声を聞かせただけでも希有のことなのだ」
「それはわかりますが、あの方の超然主義は徹底しすぎです」
まだ納得いっていなさそうな顔で、アナはため息をついた。
そのやりとりがおかしくて、明人はくすりと笑った後、なんとなく三神官たちが最期を迎えた場所をもう一度見た。
だが、すでに土山は風に流され、砂塵が降り積もった後と見えて、そこには茫漠とした砂漠の表土があるばかりであった。
周囲でものさびしい軋み音をあげていた巨大な車輪群が、ゆっくりと薄れ、消えていった。
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