第53話 大神官
明人が皆とともに丘の上の神殿に続く階段を登っていくと、敷地との境目に奇妙な二本の柱を見つけた。
どこか神社の鳥居を思わせた。不思議と気になった。
柱にびっしりと刻まれているおかしな模様が珍しいからだろうか。
(まあ、いいか。気にしてもしょうがない)
そう思って、二本の柱の真ん中を通り抜けた。
とたん、急にめまいがした。
なにやら気分が悪い。車酔いにも似ている。
そばのベルが薄く見えた。アナもだ。一瞬消えたような気もした。
おなじく足を踏み入れた千星も、どこか苦しげにしている。
「だいじょうぶ、ちーちゃん?」
「なんとか。でも、ちょっと気持ち悪い。明人くんも?」
「あまりよくないね。何時間も車に揺られた感じがする」
「私も思うように動けん。どうやらここの主である大神官がなにか仕掛けを施しているようだが、まずいな。どうやら預言者の中継を妨害する効果があるようだ」
とベルが言った。
ベルとアナはそれぞれ明人と千星を中継して三界に来ている。二人の中継が妨害されると上手く力を振るえなくなるのだ。
「恐るべき力量のほどがうかがえますね。大神官を名乗るだけのことはありそうです。用を済ませたらそうそうに退散しましょう」
とアナも同意した。
幸いというか、待ち合わせの巨大神像は探すまでもなく見つけられた。
単純に大きいし、神殿の前に鎮座ましましているので目立つのだ。神殿より目立っているかもしれない。
が、
「いないな」
幸十の姿がなかった。
影に隠れているのかもしれないと思って、大きな神像をぐるりと回ってみたが、やはりいない。
「まだ来ていないのではないか」
「そうかも。あいつ、今日は早めに寝るって言ってたんだけどな」
そう言ってなんとなく上を見上げた。
それで気がついた。神像の顔がレリーフに彫られていた大神官とうり二つだ。
神像ではなく大神官の像であったようだ。
(どういう神殿だ)
首をかしげた。
普通、この位置に飾るのは神像だろう。
やや顔色の悪い千星が、不安そうに言った。
「八神君、実は捕まってたりしないよね。正体が知られていたとかで」
「む……」
ないと思いたいが、可能性はある、と思った。
敷地におかしな妨害を用意されていたことといい、どうもこちらの狙いがかみ合っていない。
「ここでずっと待つのもなんだし、いったん露店街まで戻ろうか」
と明人は提案した。
いったん避難する意味もある。それに、幸十がまだ来ていないだけなら、階段前にいれば行き会えるだろう。
「そうだな」
とベルがこたえ、アナと千星もうなずいた。
だが、
「そう急がずともよかろう」
ゆっくりとした低い声がかけられた。
驚いて振り返ると、白ひげをたくわえた老爺が、神殿と神像のまんなかあたりに立っていた。先ほどまで誰もいなかったというのに、そこにいた。足音もしなかった。
(いつのまに!?)
明人は急に胃が締めつけられる感じがした。
ベルと千星、アナの顔も強ばっている。
「何度も階段を上り下りすることはない。せっかくここまで来たのだから、奥へ入るといい」
と老爺が言った。
その姿は、レリーフに彫られていた大男の姿そのままだ。
金色の飾りのついた重厚な白頭巾、白い長服の上に着た青の上服、宝石をあしらった布製の胸当て。
けっして出会いたくなかった相手――
「大神官のホフニである。そう驚くことはなかろう。神殿に来れば、大神官と会うこともある」
と大神官を名乗った老爺、ホフニは笑って言った。
ただし目は笑っていない。あの貪食界の鬼婆がかわいく見えるほどの、ただならぬ威圧感があった。初日のころの明人だったら震え上がっていたかもしれない。
(待ち構えられていたのか? 正体がばれていて、ゆっきーも捕まっている?)
緊張に耐えようと手を握った。が、
「せっかく来たのだ。奥に案内しよう。ついて来るがいい」
とホフニは軽い調子で言った。
まるで観光案内でも申し出るかのようだ。
(気づかれていないのだろうか)
とふと思った。
隠し事をする身だから、神経過敏になっているのかもしれない。
あるいは、向こうもうすうす感づいているかもしれないが、確信までは持てていないのではないか。
「いえ、お気づかいなく。これから露店街に行くところなんです」
と明人はとぼけてみせた。
「来るのだ。大神官に自ら案内されることなど普通はないのだぞ。お前たちは光栄に思わなければならない」
「ですが、来客があったりするのではありませんか」
「かまわない。来たら来たで下女にあしらわせる。それにこの町の者は不信心だ。神殿を訪れる者は珍しい。困ったことだがな」
ホフニは頑固にそう言った。
どうしよう、と明人がベルの方を向くと、ベルは苦い顔でうなずいた。
やむを得ない、と言うことだろう。
今は力を振るうのが難しい。逃げだせる状況でもない。
「わかりました。ではお言葉に甘えて」
「よろしい。ついて来るがいい」
老いた大神官は背をむけ、先に歩き始めた。
その背は無防備そのものに見える。
だがこの場合、仮に奇襲されても対応する自信がある、と思った方がいいのだろう。
やむなくついていく明人たちに、歩きながらホフニが話しかけた。
「どうかね、この町は。この地こそ富み栄えたい者の理想の世界。彼らのための楽園だ」
と丘の上から見える町全体を指すようにして、大きく腕を広げた。足は止めないままだ。
「富み栄えたい者たちの楽園、ですか? ここまで来るあいだに、貧しい人を大勢見ましたが」
不思議に思った明人がそう受け答えすると、ホフニはあざけるように笑った。
「浅いな。富み栄えたい者たちの楽園だからこそ、貧しい者たちが必要なのだ。富んだ者たちは、貧しい者たちと比べられてこそ、己が富み栄えていることを実感できるのだから。皆が平等に富む世界に、富み栄える者など存在しない」
そう言って、初老の大神官は丘の下の見下ろした。
その視線の先には、露店街で怪しげな物を売る人々や、無気力にうずくまっている人々、娼館の前で立ちん坊をやっている人々がいる。
「そのことに、この世界の住人たちも気づいている。あそこにいる貧しい者たちさえ例外ではない。己が貧しいことに不満を抱くあの者たちも、この世界に貧しい者が存在すること自体には満足している。だから、ときに自ら貧しい人間がいなくならないよう仕向けることさえある。いつか己が富者になったとき、貧しい者と比べ、富み栄えていることを実感できるように」
愉しそうに、ホフニは町を見下ろしながら笑った。
「わかるかね。この地は彼らがそう望んだから今の姿になった。この地はまぎれもなく、富み栄えたいと願う者たちが望んだ通りの世界。彼らにとっての楽園なのだ」
「…………」
明人は言葉もなかった。
下界を見下ろす大神官の、皺だらけの笑みが向けられた先には、人々の豊かさを奢る姿や貧しさに苦しむ姿がある。
だが、富んでいようと貧しかろうと皆同じだ。
働き、工夫し、助け合い……、あるいは盗み、騙し、他人を死に追いやって、幻の財産を必死に追いかけ続けている。
六日以内の確実な死を、知ることもなく。
「愉しいか。人を、騙すのは」
言葉を失っていた明人に代わって、ベルが問うた。
その目が怒りに燃えている。とつとつと話しているが、激怒しているのがよくわかった。
ホフニは、
「もちろんだとも」
あろうことか、ニタァと笑った。
「……!?」
千星とアナが、えっ、と言わんばかりの顔でホフニを見た。明人もだ。
だがホフニは気にした様子もない。
「人を騙すのは愉しく、喜ばしい。勇者の名誉が殺した者の数で計られるように、知者の名声は騙しおおせた者の数で決まるのだ」
その声はどこまでも平静であった。
偽悪を気取っている風ではなかった。
日ごろから思っていることを、そのまま口にしている――本当にそんな感じがした。
非道な思想である。
「人を助けることが大神官の務めじゃないんですか」
明人は今度こそ口を開いた。
口にしてから、やめたほうがよかったか、という思いと、かまうものか、という思いが交錯した。
大神官がどんなものなのか、明人は知らない。だが預言者とそう変わりはしないだろう。人々を教え、導くことこそがその本領であるはずだ。
にもかかわらず、騙すのが愉しいとは。
だが、それはやはり勇み足であったのかもしれない。
ホフニは一瞬目を丸くしたが、すぐにサディスティックな笑みを浮かべ、明人の顔をのぞきこんだ。
「そう思うのなら、お前があの者たちを教え諭してきてはどうかね。……異教の預言者よ」
瞬時に体が強ばったのを明人は自覚した。
異教の預言者。
それは、明人の正体を知らなければできない呼びかけ方である。
くつくつと大神官が昏く笑った。
クモの巣にかかった哀れなチョウを、もし巣の主が嗤えるとしたら、こんな笑い方をするのだろう。
「どうした。足が止まっているぞ。気づかれていないと本気で思っていたわけでもなかろうに。ほら、目当ての部屋はそこだ。早く入るが良い」
ホフニが指したのは、神殿の脇にある、目立たない小部屋であった。
外から目につかず、うす暗く汚いそこは、どうひいき目に見ても接客用の部屋ではない。
むしろ物置か、さもなければ不吉な用途に使う部屋である。
「早く。……早く」
本性を見せ始めた老妖が、うす暗い部屋のほうへと不気味に手を振って、明人たちをうながした。
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