第50話 虚栄界
空と黄土のツートーンが明人の視界にとびこんだ。
わずかに浮いた白雲と乾いた青空、石と砂ばかりの荒れ地。
ぽつぽつと生えた背の低い枯草さえも、黄土色で染められている。
四方を囲むようにそびえ立つ丘陵は、風食のためかゴツゴツしていて、表面をすべらかに整える豊かな雨水がこの地にないことを語っていた。
(これは……)
明人は思わずつばを飲んだ。
おそろしく潤いを感じさせない世界である。
三界の最後の世界、虚栄界に入ったようだ。
ベルが隣にあらわれた。
が、来るなり、奇妙な顔をして周囲を見まわした。まさかと言わんばかりの表情だ。
「どうかした? ベル」
「……いや。なんでもない。私の気にしすぎだろう。三界は参加者のイメージの世界らしいから、たまたま似通っただけだな」
納得していなさそうだったが、ベルはそれでも首を振った。
「ふうん?」
と言いつつ明人はなにげなく下を見て、気がついた。
足下に短剣が落ちている。
大きめのボウイナイフだ。
(初期武器かな? ゆっきーがソシャゲのような世界と言っていたし)
そう思って、拾いあげた。
闘争界とちがって普通に持てた。
ナイフには値札がついていた。
『S2』と記されている。このSはおそらく通貨の単位だろう。\(円)は使われていないようだ。
ともあれナイフをありがたくちょうだいして、鞘の吊り紐をベルトに回そうとしていると、
「あ、いたいた! おーい」
聞き慣れた愛らしい声がした。
振りむくと、歩み寄ってくる千星の姿が見えた。
千星はアラブ風の上品な民族衣装を身にまとっていた。しなやかなボディラインをおおう長衣、頭に巻くスカーフ、肩を包むショールは、いずれも軽やかな白い生地が使われていて、実に涼しげだ。あれならきつい日光をさえぎり、かつ風がよく通るだろう。
(さすがちーちゃん)
千星の艶姿に、明人はときめくやら感心するやらであった。
もしかするとあと二日の命になるかもしれなくても、美しくあろうとする。その姿勢は彼女の美意識のあらわれだろう。適当に学生服を着ておく明人とは心構えからちがう。
ただ軍刀がなかった。
かわりにアナがピンクのネコ姿で隣にいた。闘争界とちがって直接攻撃をさほど警戒する必要がないので、そのようにしているのだろう。
「いいね、その服」
と、近くに来た千星に、明人はさっそく率直な感想を伝えた。
「アナちゃんに手伝ってもらって、アラブ風の服にしてみたんだ。かわいいでしょ」
「うん。ちーちゃんが着ているから尚更だ」
「ありがと」
嬉しそうににっこり笑う千星は本当に美しかった。
見とれるあまり、明人は結びかけのナイフを落としそうになった。
(あぶなっ!)
と慌てて握りなおし、ちゃんと結んだ。
と。
ナイフを装備したのがきっかけか、それともただの偶然か。
なにもない空間から四つ足の獣が不意に現れた。
端的に、間の抜けた感じにデフォルメされた人面ロバである。
「っ!?」
全員身構えたが、しかし獣の様子がおかしい。
ぼーっと突っ立ったままで、なにもしないのだ。
なにかと思ったが、
「……モンスター?」
と気がついた。
値札がついていたのだ。
『フィリスティン S1』と記されていた。
値札にあるフィリスティンとは、おそらくモンスター名だろう。
ぬぼーっとしているが、いちおう明人たちのほうを向いているので、エンカウントしてはいるはずだ。
「どうする、あれ」
「せっかくなので私が相手しよう。新技の試し打ちもしたいのでな」
とベルが鉾を持って前に出た。
持っていた鉾を、人面ロバことフィリスティンに向けた。
と見るや、いきなり青白い閃光と激しい音が起こり、電が人面ロバを打った。
人面ロバはびくんと跳ねて硬直し、真横に倒れた。あちこち黒焦げになった体から煙が立ちのぼった。
「おお!? なにそれ、新しくおぼえたの?」
「うむ。というか実はもともと使えたのだが、周囲をまきこみかねなかったので封印していたのだ。だが闘争界で調整のコツをつかんだのでな。このたび解禁した」
ベルがドヤ顔で言った。
おそらく透良と戦ったときに会得したのであろう。
と、千星が固い表情をしていた。
「雷を使っても、明人くんは大丈夫なんですか?」
「ああ、このていどなら問題ない。明人に憑依して前回の規模でやるとまずいがな」
「透良と戦ったときか。そういえば、あのときってどうやって戦ってたの? 俺、意識が飛んでいたから、なにが起きたのか知らないんだよね」
「……とんでもなかったよ。急に濃い雨雲がわいて、ほとんど真っ暗になって。大嵐が吹き荒れて、応戦する透良と空の兵器につぎつぎ雷が降りそそいで……、あれで世界が崩れないのが不思議だった」
その時の光景を思いだしてか、ぶるっと千星が体を震わせた。
あのとき千星はアナに蹴たてられるようにして待避したはずだが、それでもよほど恐ろしい体験だったようだ。
てへっ、という感じでベルが頭をかいた。
アナがため息をついた。
「そんなに凄まじかったのか……」
今さらながら驚いた。
明人もベルとともに現象を引き起こした張本人ではあるのだが。
と、そのとき奇妙なことがおきた。
倒れていた人面ロバ――フィリスティンが、また真横に回転して、立ち上がったのだ。
ダメージのあとも見えない。
さきほど雷で打たれて黒焦げになったはずなのに、だ。
「む?」
いぶかしむベルに、
「ぶひひひいん」
とフィリスティンはウザったい顔でいなないてみせた。
「効いてなかったのかな」
「そんなはずはないが……」
「いえ、効いておりましたよ。ですが、そのあとで再生したようです。もしかすると、ここの武器で倒さないと無限に復活するのではないでしょうか?」
とアナが言った。
「さっきのナイフで退治すれば良いのかな。やってみよっか」
と言って明人はボウイナイフに手をかけ、ふと気がついた。
そういえば千星が丸腰である。
「ちーちゃんは武器ないの?」
「うん。こっちに来たときに足もとにナイフが落ちてたけど、置き捨てて来ちゃった。三界の武器なんてもう持ちたくないし」
と千星は唇をとがらせた。
「ああ……そうだよね」
納得であった。
前の闘争界で参加者に渡されていた武器は、その実、所有者を殺害するための罠でもあった。
それで千星は仲間を死なせたばかりか、自分自身も命を落としかけている。もうコリゴリだろう。
当然の反応である。
むしろ今やろうとしている明人の行為こそ無謀なのかもしれない。
だがあのときと違って、ナイフを握り直しても嫌な感じはしなかった。
(まあ平気だろ)
とそのまま引き抜いた。
とたん、ナイフの値札と人面ロバの値札が、ともにぴかりと光った。
と思うとフィリスティンの値札だけが燃え始めた。
「ぶひぃぃいいいっ!」
それまで余裕ヅラだったフィリスティンが悲鳴をあげた。
値札が焼け落ちたのと同時に、人面ロバが消滅した。銀貨一枚に変化した。
落ちた銀貨が、ぽかんとする明人の足もとまで転がってきて、靴にあたって止まった。
「……なるほど。金額同士を比べる戦いってこういうことか。本当にソシャゲっぽいや」
銀貨を拾い上げて、そう言った。
三界は参加者たちの心が創る世界だから、参加者のイメージが反映される。おそらく参加者にゲーム、特にソシャゲをやっている者が多くいたのだろう。
「銀貨をドロップするところまでゲームじみているな。どうせなら『あきとはフィリスティンをたおした! 1シェケルをてにいれた!』とメッセージも出して欲しかったところだ」
「この値札のSはシェケルと読むんだ?」
「おそらくな。かつて銀貨がそう呼ばれていた時代があった。……そんなことを参加者たちがよく知っていたものだが」
気がつくと、戦女神とその巫女がムスッとしていた。
「これを戦いと言われるのは心外ですね。八神から聞いていたとおりではありますが」
「同感」
「まあまあ。それより、ここのお金も手に入ったんだし、どこかにあるっていう町を探してみない?」
と明人は提案した。
幸十を待たせても悪い。
それに、モンスターとの戦闘がこのようなオートバトルですまされるのは、モンスター戦が茶番にすぎないからだろう。となれば、おそらく幸十の言う『古くせぇ町』こそが本番。いわばこの虚栄界の本質を体現するものであるに違いない。
「そうだね。この分だと、町のほうもろくでもなさそうだけど」
嫌そうな様子で言う千星に
「そうでしょうね。覚悟はしておきましょうか」
とアナが厳しい表情で応えていた。
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