第48話 旧友の危機
「おかしなことが起きたのは昨夜だ。気がつくと風変わりな町のそばにいて、手のひらに【6】と数字が浮いてた」
サンドイッチボックスを開けもせず、明人の旧友――幸十はそう語り始めた。
昼休みの用務員室である。
明人、千星、幸十の三人と、それからベルとアナの二柱が集まっている。もちろん生徒が使う部屋ではないのだが、どんな裏技を使ったのか幸十が利用許可を得てきた。
ただ幸十にはベルとアナの姿が見えないようで、二柱には視線をむけることさえない。
他の生徒たちの明るい話し声が、用務員室のドアごしに聞こえてきた。『板子一枚下は地獄』と言うが、この場合はドア一枚隣は地獄といったところか。
事件に関係ない生徒たちにとって、今日は、平穏な日常のたかが一日だ。だが余命あと数日の明人たちにとっては、重い一日である。
「普通に考えりゃ『夢だな』で終わりなんだがな。あちこち歩いて調べまわってみたんだわ。なんせ、以前にゲームのフレが話してた町の姿そのまんまだったからよ。……そしたら案の上だ。町でみつけた『死んだ人間リスト』にオレのフレの記録が残ってた。ログインが途切れた日に、あっちで死んでたわ。あいつはおかしくなんかなってなかった。ガチのデスゲームに巻き込まれてたんだ」
と幸十はペットボトルの茶を一口飲んだ。
デスゲーム、とゲームにたとえるのが彼らしい。
「だがここまでなら、『ただの夢かも?』って可能性がまだある。だから、その死人リストの連中を憶えられるだけ憶えておいた。で、朝に検索してみた。そしたら、ひどいもんだ。SNSやブログを更新していた奴がひとりもいねぇ。お悔やみを代理投稿してもらったヤツをのぞいてな。おまけに手のひらの数字も、しっかり残ったままだ。あっきーや早池峰の手にも数字が見えやがる。……かんちがいじゃすまねえわな。ここまでくると」
と頭をかいて、幸十はサンドイッチボックスに手をかけた。
一見落ち着いているようだが、サンドイッチボックスを何度も開けそこねた。内心はおだやかでないのだろう。
話の内容からして、彼も三界に誘いこまれたのはまちがいない。おそらく虚栄界に入ってしまったのだろう。
(ゆっきーまで巻き込まれるなんて……)
明人は唇を噛んだ。
このようなことになるとは思ってもみなかった。
もし自分が三界からの脱出に失敗することがあっても、この旧友には日常の世界で暮らしていける日々がまっているだろうと信じていた。
それがまさかこのような形でくつがえされるとは。
いちおう不幸中の幸いもある。
幸十が入ったのが虚栄界であったことだ。
もし闘争界に入っていたら、透良の攻撃で昨夜のうちに死んでいたにちがいない。
(けど、どこまで話したものか)
迷った。
問題は二つ。
第一に、ベルとアナの件である。
二柱のことを話さずに説明するのは難しいが、幸十にはベルたちが見えないようだ。これでは話しても信じてもらえるかわからない。
第二に、こちらが主な問題なのだが、へたに説明するとかえって幸十を早死にさせかねない。
世界を崩そうとする者に三界は容赦しないのだ。
「明人よ。ある程度は話していいのではないか。どのみちお前の友人もすでに巻き込まれているのだ。それに虚栄界を経験した人間の話は聞いておきたい。私も昔の虚栄界は知っているが、今回は一度も入れていないからな。情報提供をむこうにだけ要求するのも悪かろう」
「そうだねえ」
と明人はなんの気なしにベルを見て相づちをうった。
あちゃっ、と言わんばかりにベルが顔を押さえた。
「え?」
千星もいぶかしむように明人を見た。
(あっ)
明人が己のミスに気づいたときには、もう手遅れであった。
幸十の不審者を見るような視線がつきささっていた。
「誰と話してんだ、あっきー。……もしかして、まだオレだけ見えてないものがあんのか? 前に手のひらの数字を見られなかったときみたく」
「あー。ええとだね」
「明人、かまうまい。私のことも話してしまえ。どうせ順番が変わるだけだ。むこうで出会えば、おそらく私の姿も見えるであろうし、隠す意味もたいしてなかろう」
とベルが言った。
明人は今度こそ返事しなかったが、もう手遅れであるようだ。
明人の顔をうたがわしげにのぞきこむ幸十の目は、
『ハンパな言い訳で流せると思うなよ?』
と語っていた。
◇ ◇ ◇
「……神様、ねえ? で、名前がベル、アナと」
幸十がたいそう疑わしげにじ~っとベルとアナのいるあたりをにらみつけた。
事情を説明した後、ベルたちを紹介した結果が、この反応だ。案の定というべきだろう。
ただし二柱からは微妙に視線がずれている。やはり見えていないのだろう。
「話を聞いてもやっぱり見えない?」
「ぜんぜん。つか神なんかいねえだろ? ここは現代日本だぜ」
幸十はバチあたりなことを本人たちの目の前でつぶやいた。
そして近眼の人がやるように目を細めたり、首を傾げたりした。しまいにはベルに向けて手を伸ばし、ぶんぶん振りだした。
手を振るたびに、幸十の手がベルのネコ顔にめり込んではすりぬけた。
だがベルも幸十もなんの反応も見せない。
なにも感じないらしい。
見えている明人にはとことんシュールな光景である。
それは千星やアナにとっても同じらしく、二人とも苦笑いしていた。
(本来はこうなんだなあ)
コロッケパンをかじりつつ、そう思った。
姿が見えないとどうなるのか、あらためて知った気分だった。
幸十の感覚からすれば、むしろ『神がいないことを体験している』状態だろう。
「マジでここにいんの? からかってるわけじゃなく?」
「いるってば。俺は姿を見えるし、声も聞こえる。ちーちゃんもね」
口の中のコロッケパンを飲みこんでから、そう言った。
「本当にそうなのか?」
と幸十が千星の顔をうかがった。
あんパンを食んでいた千星がしずしずとうなづいた。
「うん、私も見えてるよ」
「……シャレになんねえ。頭がおかしくなりそうだ」
幸十が頭を抱えた。が、ふとおもてを上げた。
「待った。あのよ。その神って日本のお金はわかるか?」
「わかると答えてくれ」
「わかるってさ」
明人がそう伝言すると、
「おし、それじゃあな……」
と幸十は何を思ったかポケットから財布を取り出した。
明人に背をむけて、隠すようにしながらなにやらゴソゴソとしはじめた。
ちゃりちゃり音がするので、どうも小銭を己の手のひらの上にのせているらしい。
「見るなよ、あっきー。その神サマから聞いて、オレが今いくら持ってるか当ててみてくれ。言ってたことが本当なら、それくらいできるだろ?」
「よかろう」
明人が頼む前に、ベルが立ち上がった。
幸十のすぐ前まで歩いて、その手のひらのうちをのぞき込んだ。
見られていることに気づいていないらしく、幸十は無反応だ。
「172円だな」
「172円だって」
「どれ。……あー、惜しい。はずれだ。ほれ」
と幸十が明人のほうを向き直って、いくつか硬貨を乗せた手をさしだした。
「な、171円だろ。おおかた音から当たりをつけたってとこ……だとしても異常にいいカンしてるが」
たしかに171円であった。
が、ベルが肩をすくめた。
「10円玉の下に1円玉が隠れている。それを足して172円だ」
「10円玉の下に1円玉が隠れてるってさ」
「あん?」
幸十が手のひらをゆすり、乗っている硬貨を動かした。
隠れていた1円玉が顔をのぞかせた。
「あ、悪い。172円だな」
と言った直後、その顔が実におもしろくなった。
豆鉄砲を食らったハトの顔。
信じられないが、信じないわけにもいかない、そんな科学教徒の顔であった。
「……シャレになんねえ……」
うめくように言ってまた頭を抱えた。
彼自身、三界に囚われ、しかも右の手のひらに数字があらわれた身である。
科学の範ちゅうをこえる出来事は初めてではないはずなのだが、それでもショックだったらしい。
「まだ試す?」
「いや、もういい。もうかんべんしろ。これ以上はマジで気が狂う」
そう言って、幸十は空いている方の手のひらを明人にむけた。そこには【5】とある。
この数字のほうは見えるのに、ベルとアナの姿は見えないというのだから、不思議なものであった。
~ 感想・評価・ブックマークをお待ちしています ~




