第45話 姫と女王
丘の上に倒れていた人の形は、あちこちが真っ黒に炭化した透良の遺体であった。
側にはあの愛銃、改造AK-47と思しき黒焦げの物体が落ちていた。
アタッチされている【女王の王笏】もボロボロで、壊れるのは時間の問題と一目でわかった。
「……これは、やっぱりベルが?」
そう聞いた。
最後の一瞬だが、雷のようなものが見えた。
ベルが放ったものだ。
雷は大地に豊穣をもたらすものだが、人を打つこともある。
「ああ。手加減はできなかった。そんな余裕はなかった」
「そう。……そうだよね」
ぼうぜんとしながら、つぶやいた。
ベルに頼んだとき、こうなることは予想できてしかるべきだった。
それでも結末に直面したら衝撃を受けた。
無残な姿であった。
全身真っ黒で、顔も半分くらいしか無事ではない。片目ごと焼けただれている。
みずみずしい肌も、艶のある髪も、一部はそのままだ。
だがそれだけに傷ついた部分の悲惨さが際立った。
「……」
まんじりともせず、透良の遺体を見つめた。
人は死ぬ。いずれ必ずだ。いみじくも彼女自身そう言った。
そして死んだ後では、遺体がどれほど損壊しようが、死者自身には関係のないことだろう。
しかし、それを見た者は何かしらの思いを抱かぬ訳にいかないのだ。
ましてそれが、己の決断によって死なせた相手なら、なおさらに。
そのとき。
透良の片目が開いた。
元の鳶色の瞳に戻っていた。
(生きてる!?)
明人は驚き、一方で安堵した。
殺したわけではなかったのだ。
だが期待に反して、それ以上透良の体が動くことはなかった。
動いたのは片目だけだ。
片目だけを動かして明人を見、ついでベルをにらんだ。
細いかすれ声でつぶやくように言った。
「なにが、神は全知全能ではない、だよ。あたしがぶつけたのは、この世界にいた人すべての心の力、だったんだけど」
「本当のことだ。神は全知全能ではない。だが人もまた違う。それだけのことだ」
「はっ。それが人の心の世界で通用するってのがね」
透良の口の端がわずかに歪んだ。
きっと以前のように皮肉げに笑おうとしたのだろう。
「ねえ、ベル。助けてあげられないかな」
そんなことを明人は提案した。
助けられるなら助けたかった。
助けたい相手は透良なのか、それとも自分なのか、言い出した明人自身にも判別できなかったけれども。
「それは……」
困った顔でベルが言いよどんだ。
できるのかもしれないし、できないのかもしれない。
できるけれどもすべきでないと判断したのかもしれない。
「バカ言え」
だが他ならぬ透良自身が、明人をにらみつけた。
「人の人生にくちばしを突っこむな。ここがあたしの終点だ。だいたい助かってどうするんだ。なにか? あと一日、誰かのために生きろとでも? クソくらえだ。あたしは、今ここで、あたしのために死ぬ」
聞き取りづらい滑舌で、そう拒絶した。
「透良……」
名を呼んだものの、その後を続けることが明人にはできなかった。
なにか言わなければと感じたが、それでもだ。
黙りこんだ明人の隣に千星が並んだ。
地べたに横たわる透良を、複雑な表情で見下ろした。
透良も目だけを動かして千星の顔を見上げた。
一時は相通じるものを感じていた二人の、今のその姿は、光と影ほど異なる。だがこの時、きっと二人は相手を互いに鏡として、ありえたかもしれない己の姿を写していた。
「お姫。クイーンにならなかったことを後悔してないと、言ったな」
「うん」
「クイーンになっていたら、お前はこの世界の全てを手に入れられた。たとえわずかな間でも、あっちの世界じゃ決してできない体験を重ねる日々が、お前だけの物になったんだ。勝利を欲しいままにすることも、この世界のすべての人の命を捧げさせることさえも。あっちの世界じゃできないぞ。この先、万一お前が長生きできたとしても、あっちの世界じゃ絶対できない。あの、クソくだらない、あっちの世界じゃあ……!」
透良は怒りの籠もった声で語り、潰れていないほうの目でじっと千星を見つめた。
「……本当に、後悔はないのか。お姫」
千星はすぐに答えなかった。
透良も急かすことなく静かに待った。
そこに余人が割り込む余地はなかった。
明人はベルとともに、二人の様子を見守った。
千星がちらりと明人を見た。その目になんの意味があるのか、知り得るのは彼女だけだ。
だが、すぐに透良のほうを向きなおした。
「うん。ないよ。今思い返しても、後悔なんてない」
「…………」
透良は千星を無言で見つめた。
千星も逃げることなく透良の視線を受け止めた。
透良が期待していたのは、千星が目をそらすことだったのか。それとも目をそらさないことだったのか。
やがて、
「そっか」
透良は気が抜けたように言って、千星から目を離し、空を見上げた。
「お姫は、こっち側に来ると、思ったんだけどな」
細く、長い息を吐いた。
冷たく乾いた青空を映す、その瞳の瞳孔が開き――それきり透良は動かなくなった。
「……」
みな唇を結んでいた。
【女王の王笏】をアタッチした透良の愛銃が、透良に殉じるように王笏ごと崩れた。
やや遅れて、周囲にころがっていたほかの兵器の残骸も、同じように朽ちた。
大地が震え、重い響きが腹まで届いた。
丘の上にあった岩が揺れ動き、倒れた。そのまま下の塹壕のほうへと転がっていった。
その塹壕にそってクラックが入った。転がっていた岩が落ちていった。
遠くで大きな砂塵があがった。
「これは……」
あらゆるものが失われていくその姿に、明人は憶えがあった。
ベルも頷いた。
「ああ。崩れているな。闘争界の最後だ」
闘争界を維持する鍵は、やはり透良の愛銃に付けられた【女王の王笏】であったのだ。
千星が横たわる透良に近づいて、静かにその傍らにかがみこんだ。
こげた脂とも滲出液ともつかぬ、真っ黒な液体で汚れた透良の顔を、そっとなでるようにして、開いたままの瞳を閉じさせた。
永い眠りについた透良の顔は、遊び疲れた子どもにも似て、どこか満足げであった。
もうなにも答えるはずのない彼女に、千星が小さな声でなにかを問いかける。
はっきりと聞き取れたわけではなかったが、
「あなたは後悔しなかったの、透良」
そう言っていたように、明人には聞こえた。
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