第35話 新しい女王
小広場の空気が張り詰めた。
厳しい声でベルが透良に問うた。
「透良。お前の銃についたその杖はなんだ? 飾りには見えないが」
「【女王の王笏】。クイーンの権能そのものさ。モンスターや銃を創ったり、あるいは銃をモンスターに変えたり……、まあ色々できる。あのデカブツは、モンスターを創るのと、自分を撃ってきた奴の銃をモンスターに変えるためにしか、使ってなかったみたいだけどね」
つまらなそうに透良が言った。
戦闘中にクイーンが落とした光るものは、あの杖だったわけだ。さきほどの一斉射撃もあれによるのだろう。
透良だけが生き残れた秘密もおそらくあの杖が握っている。杖を奪い取る前はカウンターをもらわないよう立ち回り、杖を奪い取るなり全力で攻撃した、といったところではないか。
「……?」
だが、おかしな点もある。
千星が訝しむように眉をひそめたが、明人も気持ちは同じだ。
そんな杖があることは今初めて聞いた。
透良がそれを予め知っていたことも。
「なるほど。我らは誤解していたのだな。クイーンとは、モンスターを産むボスモンスターのことではない。その杖を手にした者のことなのだ。そうだな?」
「そだよ。モンスターを産む女王アリだからクイーンと思った? そうでないよ。この杖で【戦士の楽園】を統べる女王だから、クイーンなんだ」
透良がちらりと遠くに残る血痕を見た。
「ベレッタの銃やお姫のガトリング砲が処刑者に変わる直前、いったん黒い煙になったっしょ。あの黒い煙こそがモンスターや銃の本当の姿なんだ。その正体は、『勝りたい』とか『殺したい』とか『悔しい』とか、そういう人の思いや欲望そのもの。それに銃やモンスターなんかの仮初めの形を持たせてるわけ。来たときに武器がある理由も同じだね。あれは自分の欲望に形を取らせてるの。ここは人の心でできた世界だから、そういうことが起こるんだ」
そう言って、透良は左手の人差し指を上に向け、くるくると回した。世界全てをさすように。
「けど、しょせん仮初めなんだ。仮初めは、仮初めにすぎないから、後から変えられる。モンスターや銃を煙に戻すこともできるし、煙から銃やモンスターを創ることもできる。この【女王の王笏】があればね。……もう想像ついてるしょ。お前らが探していた、世界を維持する鍵ってのは、これだよ」
「……!」
冷水を浴びせられたかのように体がふるえた。
実のところ、そうではないかと思っていた。
それでもショックが大きかった。
「透良よ。今お前が話したことは神秘の奥義、そしてこの世界の秘奥だ。いくら才にあふれるお前でもその境地にただ一人でたどり着けたはずがない。いったい誰からその教えを受け取った。お前は、何者だ?」
厳しい口調でベルが問うと、透良は口だけをねじ曲げて皮肉げに笑った。
「馬鹿くさい。聞くまでもないしょや」
とたん、周囲によどんでいた黒い煙が透良のほうへと急速に集まり始めた。
つなを縒るように、最初は細く薄かった煙が、徐々に太く濃くなって集まり、そのつま先から、すね、太もも、尻、腰、腹、肩にまで、うねりながら巻きついていく。
透良の瞳が赤光を帯びていく。
燃えるような紅眼を爛々と光らせ、全身に黒い煙をまとうその姿は、まるで――
「クイーン……!?」
愕然とした。
いや、だが、驚くほうがおかしいのだろう。
あの杖を持つ者がクイーンなのだ。
である以上、現在のクイーンは透良に違いないではないか。
聞きたくなかった、あの耳障りな羽音が右側から届いた。
「なっ!?」
蠅の羽音だ。
慌ててそちらに視線を移した。
「バカだね」
透良の呆れたようなつぶやき声が耳に届いた。
「え……?」
透良が右手に持つAK-47が、片手ですばやく腰だめに構えられた。
その銃口は明人に向いている。
その指先も、トリガーにかかっている。
「嘘だろ」
「古宮くん!」
次の瞬間、千星が明人の前に飛びこんだ。
わずかに遅れてAK-47の発射音が続いた。
「……っ!?」
フルオートの連続する銃声とともに千星の体が震え、明人のほうに飛び退く。
一瞬そう思ったが、違った。
千星の背が明人にぶつかったとたん、カナヅチで殴られているような凄まじい衝撃が、細い胴体を通して明人にも伝わってきた。
銃撃の運動エネルギーで後ろにはじかれていたのだ。
十度以上。あるいはもっと。
鈍い音が千星の体を何度も響かせ――ようやく止んだ。
金属の弾頭が千星の足下にバラバラ落ちた。
明人にもたれる形になっていた千星のひざが崩れた。
「早池峰さん!?」
「だ、大丈夫、死んでない。アナちゃんが守ってくれてるから耐えられる。それより、背を低くしてて。私の後ろから出ちゃだめ」
千星は透良から目を離さず、苦しげに言った。
片膝をついてえづいた。
それ以上は動こうとしなかった。
動けば透良が明人を撃つから、ということもあろう。
だが単純に苦痛で動けないのかもしれない。
後ろの明人にまで衝撃が伝わったほどだ。まともに受けた彼女のダメージは相当なものだろう。
「ムチャクチャだね。なに着こんでるのさ」
AK-47を構えたまま、げんなりした顔で透良が毒づいた。
「透良、そこ動くなっ!」
ベルが怒声とともに飛び出し、空中で鉾を振りかぶった。
だが同時に、透良の足下から蠅の群れがわきあがった。
手の形をとった蠅の群れが、ぱしんという乾いた音とともに、ベルの振り下ろした鉾を受け止めた。
「なに!?」
「怒んなよ、ぬいぐるみ。『あのデカブツを倒すまで』って約束はギリ守ったしょ? 勘違いにはつけこんだけどさ!」
透良の左手に黒煙が集まった。
その手の内にUZI短機関銃が現れたと見るや、ドラムのごとき連続射撃音が起こった。
ベルが後ろに跳ね飛んだ。いや、滅多打ちにされて後ろにはじかれた。
地面に転がったベルに、透良がUZIを捨てAK-47の銃口を向けた。
何十何百という機関砲弾が容赦なく撃ちこまれた。
「ベルっ!?」
叫んだ。
撃ちまくられたベルは全身がへこみきって、元の姿の原型さえわからない。
いったいどれほどの銃弾がその身に突きさされば、こうなるのか。
「悪いね。この煙って、ここで殺された奴の恨みや怒りも含まれるからさ。まとってると加減する気にならないんだわ」
透良がそう言うと、周囲の黒い煙がくつくつと笑うようにゆらめいた。
「なに、かまわんさ。私を殺すにはほど遠かったしな」
「ならいいか」
そう応えた透良が眉をひそめた。
おそらくは、耳に届いたのがベルの平静な声であったがために。
「……まだ生きてるの?」
「ああ」
声をだせることさえ不思議な有様だというのに、ベルの声はいつも通りだった。
「驚いたが、大事ない」
泥まみれの塊が起き上がった。
だがどう見ても大事なくはない。ぼろきれの山がうずたかく集まっているようにしか見えない姿だ。
「見ているがいい」
塊が大きく息を吸い込んだ。
お腹のあたりから風船のように膨らんでいった。
かと思うと、耳抜きするように、顔なのであろうあたりを手で押さえて鼻をかんだ。
全身に潜り込んでいたたくさんの銃弾が一斉に飛び出し、地面にこぼれ落ちた。
それで、元通り。
いつもの丸みのある姿のベルに戻った。鉾を持つ手もしっかりとしている。
「この通りだ」
さしもの透良がぽかんと口を開いていた。
「……なるほどね。神か悪魔かしらないけど、人間でないのは本当か」
「神だと言っている。だが驚いたぞ。正直、今のはなかなか痛かった。人の子の攻撃が私に通るとはな」
「人の心の世界にいるんだ。神でもなんでも無敵ってわけにいかないしょ」
「なるほど、そうかもしれん。……ところで、そろそろそっちの連れを紹介してもらえるかな。お前にあれこれ入れ知恵した存在なのだろうと思うが」
蠅の群れにベルが鉾を向けた。
おぞましい黒いシルエットが、人の形を取り始めていた。
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