女
むせび泣いて逃げようとする女の髪を、力まかせに鷲づかみに引っぱり、僕は女を捕まえた。
女は助けを求めていたが嗚咽のせいで明瞭に声を出すことができず、
貧弱な握力と腕力しかない細い腕と手で、僕の指を引き離そうとする。
女の手が、髪を掴んだ僕の手に触れた。
細くて冷たかった。愛らしい手だと、僕は思った。
僕は手を離し、こめかみを殴り、横腹を足で蹴り上げた。
女は脇腹を押さえて、這うようにして窓際へ行き、カーテンで身を包んで体を隠すようにし、
顔だけはこちらに向けておびえた目で僕を見ていた。
目は涙で溢れ、マスカラが頬にこびりついていた。
女はさっき仕事から帰ってきたばかりで、外はもう日が暮れてまっ暗になっている。
ここは、もとは女の独り暮らしのアパートなのだが、一ヶ月前から僕らは同居している。
女への暴力は今日に限ったことではない。初めて女を殴ったときのことはほとんど憶えていない。
しかし、これほど人間を殴ったり蹴ったりしても、人は死なないものなんだと感心したことだけは憶えている。
女は体も細く、力も弱い。
ほとんど毎日と言ってもいいほど、顔が赤くなるまで殴打し、
身体に痣ができるまで蹴っても、骨が折れることも皮膚が破れることもなかった。
人間は結構丈夫にできているものなんだ、と僕は思った。
最初こそ罪悪感のようなものを感じはしたが、一見華奢そうにみえる女も案外丈夫だと分かると、
たとえ相手が泣き叫んで必死に懇願しても、僕はあまり気にせず殴れるようになった。
咳き込んでおびえている女を尻目に、僕は冷蔵庫からビールを取り出して飲んだ。
僕が動くのを見て、女はびくっと体を震わせた。
僕が来ないことが分かると、再び咳き込み、カーテンの縁で涙を拭っていた。
その姿を見ていると、僕は女のことを愛おしく感じ、抱きたい衝動を感じた。
向かってくる僕を見て女は身構えたが、僕が優しく首に手をまわして包みこむようにし、
顔を近づけてキスすると、女も優しくそれを受け入れた。
今でも、僕はこの女のことが好きだ。
はじめてのキスはどんなふうだったか、僕は思い出そうとした。
温かくて、ぬめぬめとした感触。味覚で感じられるものは何もなかった。
しかし、不快ではなかったと思う。
一度目が終わったあと、僕も相手も二度目を求めたからだ。
その相手というのは、目の前のこの女である。
その時から、僕はずっとこの女のことが好きだ。
僕は再び、女を殴りたい衝動に駆られた。
了