第5話 この場所を大切にしたい。そう強く思った。
(とある美少女視点の話)
いつもの時間に一人で登校すると、下足近くにある掲示板に大勢の人がいた。テストの順位発表があるというわけでもないのに、いったいなにごとなのだろうか。そう思っていると、
「佐奈、これみてよ」
クラスメイトの一人がそういってわたしを掲示板の前まで案内してくれる。
「なになに……本校生徒にふさわしい礼儀作法を身につけることができる部活……モテたい人必見? なんでこんな部活の宣伝にこんなに人が集まってるの?」
こんな部活に興味を示す人間がいることに驚きを隠せない。わたしがそんな感情を携えて彼女のほうをみやると、なにやらにやにやしている。
「ん? 肝心なところが見えていないみたいだけど」
そういわれて、彼女に指し示された場所をみやる。そこには、彼の名前があった。
「……え?」
「どうやら、彼はこの学校でハーレムを作ろうとしているみたいだね」
彼女はさらに笑みを深める。新ドラ○もんの温かい目みたいな視線をこちらに向けてくる。彼女の視線の意味を悟り、わたしは動揺する。
「な、な……」
彼が部長を務める部活なんていうものができてしまったら、この学校中にいる女子生徒が群がってくるに違いない。そうなったら、わたしなんかがつけいる隙がなくなってしまうかもしれない。
もっとも、圧倒的同調圧力の罠によって全校女子のフットワークは重くなっているからそこまで心配する必要はないのかもしれないけど。
「佐奈、この部活に入ってみたら?」
「え……なんで?」
ま、まさかこの女、わたしが圧倒的同調圧力の罠の餌食になればいいとでも思っているのでは!? 疑心に満ちた目を向けると、彼女は微笑む。天使のスマイル。
「なんでって、彼のこと、好きなんでしょう?」
屈託のない笑顔でそう小首をかしげられてしまい、ゲスな勘繰りをしたわたしの心が痛むような、痛まないような……いや、嘘です。ズキンズキン痛んでます。
「え、え、まあ、そりゃあこの学校にいるだいたいの人は彼に好意を抱いていると思うけど」
「彼の彼女になる資格は、佐奈にしかないとあたしは思ってる。だって、年季の入り方が違うじゃないか。佐奈がこの部活に入るっていっても、誰も邪魔したりなんかはしないさ」
「……そう、かな」
「もっと自分に自信を持ちなよ。佐奈はモテるんだから」
どういった根拠に基づいてわたしのことをモテるといっているのかはわからないが。男子に一度だって告白されたことなんてないのに。
「ありがとう。考えてみるよ」
彼女の言葉を胸に秘め、心を決めて部室前に向かう。おそるおそる角から様子をうかがってみると、そこには彼しかいなかった。
彼に姿をみせるタイミングを伺っていると、ふいに後ろから声をかけられた。
「もしかして、入部希望者でござるか?」
「ご、ござる? は、はい。そうですけど」
「せっしゃも入部希望なのでござるよ。上町でござる」
「は、はあ。わたしは米上です。米上佐奈です」
わたしがそういうと、彼は思案顔になる。
「どうかしましたか?」
「うーん、いや……でも…………あの子は男の子だったと思うんでござるが……それにこんな偶然が?」
「えっと、大丈夫ですか?」
主に頭が。なんていうことまではさすがにいわなかった。
「ああ、いや、なんでもないでござる」
そういってござるの人ははすたすたと歩いて集合場所に近づいてゆく。わたしもそれについて行った。
純と合流すると、職員室に行き、同好会として活動することを認めてもらった。
そこでござるの人が先輩だということを知って驚いた。この人は三年にもなってなにをしているんだろう……頭大丈夫なのかな(二度目)。
部室に到着すると、彼はこの部活の活動趣旨を説明する。それは、モテまくりになること。思わずそれに、「……困る」なんていうことをつぶやいてしまったわたし。そのつぶやきを聞いた彼は、
「これ以上モテることはないから大丈夫」
といった。
なるほど。自分がモテているという自覚はあるのか。まあ、親衛隊までできてしまうほどのモテ男なのだから、それは当然のことといえるかもしれない。
具体的にどうやったらモテるのかを考え始める三人。そこに、富士山蓮が現れた。
彼はいつもわたしによくしてくれる。ただ、それが若干居心地悪くもあった。彼がわたしに寄せている好意を、どのように解釈するべきなのか。それを今ひとつつかみきれずにいた。彼の好意を浴びていると、なにかの償いでもされているような、そんな妙な感覚に陥ってしまうからだ。
そんな富士山蓮が純になにかアイデアはないのかと尋ねると、純はいい匂いのするやつはモテるという案を出した。わたしはそれに激しく同意した。おもわず首を振ってしまうほどに。
一緒に登校しているときも、彼の匂いをかいでいるだけで安らぎを感じている自分がいる。もし、彼と付き合えるなんていうことになったら、彼の胸に顔をうずめて、一日中ごろごろしていたい。そう思うほどだ。
そして唐突に、その機会は訪れた。ほんのりの香るジャスミンと彼の匂いが混ざって、心地よかった。
しかし、
「これ、お父さんの使ってるやつとおんなじだ」
もしこの匂いを好きだといってしまったら、わたしが極度のファザコンだと彼に思われてしまうかもしれない。彼の匂いと混ざったこの香りはかなり好ましいものだったが、なにか倒錯的な感情をわたしに抱かせる。結果、わたしは曖昧に言葉を濁した。
最後に嗅いだ上町先輩の匂いは、どことなく懐かしさを感じさせるものだった。
ふと、純と幼いころに遊んだ記憶が蘇る。
あのころはずいぶんと、男の子みたいなことをしていたなあ。当時は細かい作法をあれこれいわれるのがいやでたまらなかったはずなのに、いつから進んでそういうことをするようになったのだろうか。そんなことを考え込んでしまう。ま、どうでもいいか。彼も礼儀作法のしっかりとしている女の子は好きみたいだし。
ふと、あることに気がつく。
昔のことを思い出したのは、いつ以来だろうか。
しばらく、昔のことは思い出せなかったのに。この匂いのおかげで、大切な過去を一つ思い出すことができた。
だからわたしは、この匂いを選ぶことにした。
彼も同じような懐かしさを感じてくれているといいな……そんな淡い期待を抱きながら。
子供の頃のように、自然な距離感で、みんなでわいわいすごす。
この場所は、居心地がいい。彼とこんなふうに接することができたのは、いつ以来だろうか。
気がつけば、彼は遠い存在になっていて、自然と距離が開いていった。物理的な距離のことではなく、心の距離。
交わす言葉は当たり障りのないものになっていき、それと比例するように彼のことを思う気持ちが強くなっていった。
彼のことを好きだと実感するたびに、なぜか刹那的な虚無に包まれる。なにか大切なものを失ってしまっているのではないか……そんな錯覚を抱くのだ。
この場所は、かなり居心地がいい。この空間に充満している懐かしさが、わたしから失われた大切なもの、わたしの中にある虚無を、埋めていくようだ。
この場所を大切にしたい。そう強く思った。




