おハナ様と散歩の夜に
「さっびー。クリスマスの夜だっつーのに寂し過ぎる」
「クゥ」
「いや、ハナに同情されるのも微妙」
電灯の下なので我が家のアイドルおハナ様のつぶらな目がよく見えた。こいつは黒柴で一見そう感じないが実は顔のバランスのわりに目が小さい。
その見上げ俺を見つめる仕草、犬なのに上手いよな。
「なぁ、可哀想だと思っているなら早く済まして帰ろうぜ」
室内犬だが家でトイレをしないハナの為に毎晩11時頃に近くの並木通りを歩くのが我が家の、いや普段は親が散歩しているのに今日に限って両親揃って親戚の家に泊まりでいないんだよな。
「まぁフラレたお一人様の俺だし?」
ああ、自分で自分の心を抉ってしまった。
「ワン!」
「コラッ!柵の中はいんなよ!」
家からは少し離れている場所とはいえ何処で近所の煩い方々に見られているか分からない。
「そっちは何もないぞ!」
よりによって人気がない場所だからとリードを長くしていた俺は、グイグイ奥へ連れていかれた。
「おいって!」
周囲のシンと静まりかえったこの場所で大きな声を出す根性はない俺は声を潜めながらハナに話しかけたが、コイツ聞く気ゼロだな。
「ワン!」
「わっ、急に止まんなって…ぎゃ!!」
毎度おやつをオヤジに媚を売りせしめ立派な体のハナのくせに難なく次の柵を越えた先には、女の死体?!
「辰にぃマジ煩い。死ねないから止めてくれない?」
「もしや…さくら?」
手を組み仰向けで横たわる女は、まさかのお隣さんだった。
「お前、こんな時間に何やってんだよ」
ダッフルコートから見える下は紺色の制服だ。ほっそい足がスカートから出ているのを見てこちらまで寒くなる。
「辰にぃのエッチ」
ムカッ!
「お子様の足なんて興味ねぇよ。つーか飯食ってんのか?」
「食ってるよー」
未だ起きようと目すら開けないさくらの顔をみている内に気づいてしまった。
「なぁ、何してるんだ?」
並木通りは木に電飾が飾られまさにクリスマスイブの雰囲気のなか、こいつは、わざわざ人気のない木の下でこんな時間に、しかも一人で転がっている。
俺が知る限り、さくらは過去ふざけた事をたまにやらかしていた。だが、それには必ず理由があった。
「死体ごっこ」
根気よく待ち、白い息と共に飛び出した言葉は、イブには到底似合わない台詞だった。
俺の年末の業務で疲弊しきっている脳よ。どうかもう一度稼働してくれ。
「ハナ、伏せ」
珍しく一発で言うことをきいたおハナ様は、さくらの隣で待機した。
「何?」
「なんもねーよ」
ハナを挟み俺も寝転んだ。
「お、電気で着飾ってるよりこっちのが景色いいじゃん」
仰向けになれば、葉の間から月と星がよく見えた。なかなか風流がある。
「ぶへっくし!」
いや、俺の体は違ったようだ。だが素直な反応だろう。
かなり寒いんだよ!
「辰にぃのせいで、なんかアホらしくなった」
「はぁ? この優しさ対応にケチつけるとかひどくない? って」
仰向けの小さな青白い顔は、いつの間にか此方に向いていた。しかも気のせいではなく目から涙が流れている。ここは、指で拭ってやるとか、頭を撫でるとかするべきなのか。
「ふっ、くすぐったい!」
どうやら、その役目は俺ではなくおハナ様だったようだ。ハナ様よ。良いとこどりだな。
「おい、とりあえず帰るぞ」
危うさが消えたのを感じた俺は、立ち上がり服についた枝やら葉をはたき落とす。
「聞かないの?」
半身は起こしたもののまだ座りこんださくらは、もっと撫でろとすり寄るハナの首を掻きながら、聞いてきた。
「聞いて欲しいなら聞く。だけど、そんなの望んでないだろ?」
さくらの家は色々複雑なのは知っている。冷たいようだが、それを俺がどうにかできるのかと問われたら無理だ。
だけどな。
「カニ雑炊食うか?」
「え?」
ぽかんと口が少し開いたさくらは、昔を思い出させた。
「温かいもん食うと気分も上がるだろ?」
とたんに薄い頬がふくらんだ。よくそこまで空気はいるな。
「死体ごっこしたくなったら、家でしろ。俺んちの親達ならいつ来てもさくらなら喜ぶ」
本気で俺より待遇は上だろう。
『男の子ってつまんないわよー。買い物だって、せいぜい重い物の時だけだし。さくらちゃんこの前みたんだけど、随分可愛くなっちゃって。やっぱりいいわー女の子!』
息子のいる目の前で話す母親もどうかと思うがな。
「俺も死ぬほど嫌な事あったら、死体ごっこしてみるわ」
「…しても変わらないよ」
「ハナ、許す。行け」
嬉しそうにさくらに飛びかかる。
「うわっぷ! ちょっと!」
ハナのベロベロ攻撃は、有効だったらしく顔を舐められたくない彼女は立ち上がった。
「ハナの勝ちだな。ごっこ、意味あったじゃん」
「え?」
「星、作った電飾より綺麗なの気づいたし、なにより」
「…もったいぶらないでよ」
気が短いのも変わんないな。
「高級ガニ使用の雑炊まで食える。ほらっ持たせてやる」
おハナ様のリードをさくらの手に握らせた。
「わっか、抜けないようにしっかり握れ。ハナ、よし!」
「えっ! ちょっ辰にぃ!」
ダッシュした黒柴と追いかける二人。イブらしからぬ光景だが、まあ、いっか。
途中から笑いながらハナと走るさくらを見て俺は、ボッチの寂しさを忘れていた。
この深夜の出来事から暫くして、さくらと付き合う事になるとは、親達に夜のおハナ様の散歩に任命され毎晩のように散歩デートするなんて、この時の俺は一ミリも察知できていなかった。