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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

嗚呼恥ずかしい

作者: 小野口英男

嗚呼二部作

2 嗚呼恥ずかしい。


         一

 名村妙子は平成三十年の今年二十五歳になる。中堅総合商社に勤める彼女は、大卒後三年で社内営業の仕事にも慣れる。前に出る声と明瞭な話し方で、得意先からもご氏名で電話が掛かってくる程である。外部の良い評判に比べ、社内の評判は至って良くない。原因は同僚の女性との付き合いの悪さである。彼女はお世辞にも美人とは言えない、嫌早く云えばブスである。その上彼女は太っている。しかし世の中のブスで太っている女性が、全て同僚の評判が悪い訳ではない。いや逆の場合も多いはずである。要するに彼女の性格が影響しているのである。彼女は至って内気で同僚とは殆ど話しをしない。昼の休み時間に同僚の女性がグループごとにレストランや喫茶店に行って、談笑に花を咲かせるのに、彼女は何時も一人で自分作った弁当を食べている。

 そうは云っても彼女も年頃の若い身空である。同僚特に男性の事が気に成らない筈は無いのである。彼女は密かに心に思う男性が居るのである。同期の男性で同じ部署の背が高くスラッとしたイケメンである。彼は彼女の事を妙ちゃんと呼んでくれる。今日も朝、

「私の得意先から今日電話が入るけど、私は出掛けて居ないので妙ちゃんの名前を先方に教えておいたから、電話が掛かったら内容を聞いておいてね。妙ちゃん頼むよ」と彼から頼まれる。

頃は二月、明日はバレンタインデーである。

「受け取ってくれなくてもそれはそれで良い。明日は彼に贈ろう」

 彼女は会社が終わると近くの百貨店で箱人チョコレートとネクタイを買う。両方で一万七千円である。ネクタイがヨーロッパのブランド物で予想外に値段が掛かる。翌日彼女は昼の休み時間に彼にそっとプレゼントを差し出す。

「有り難う」彼はプレゼントを受け取ると直ぐ引き出しに入れる。

 彼がすんなり受け取ってくれた事に彼女は安堵する。これを機に彼女の彼に対する気持ちは益々強くなる。彼女は人が人に引かれるのは心だと信じている。彼女は内心、

「街中を歩く若い男女を見ていても、不釣り合いな男女も多い。背が高くイケメンの男性に女性はチビの事も多いし、デブもいる。その逆の事もある」と思っている。

 彼女は女性には珍しい位頑固である。一旦思い込むと一途にまっしぐらである。周囲の事が見えなくなり、思い込みが益々強く成るタイプである。

「彼に結婚を申し込もう。結婚が前提のお付き合いをお願いしますと言うのは煩わしい。何だかんだ言っても年頃の男女なら結婚が前提に決まっているわ。断られたらしょうがない、彼の心に掛けよう」

 バレンタインから一ヶ月経ち年度末を控え、忙しい中での昼の休み時間に彼女は彼に結婚を申し込む。周囲の人に聞こえないように小声で、

「あのぅ、お願いがあります。私と結婚して下さい」

 突然の唐突ではあるけれども、彼女は彼に真摯に頭を下げ懇願した。彼は暫く考えた後、大声で笑い出す。笑ってばかりで結婚の申し込みには一向答えない。彼女には答えが無くても彼の態度で既に返事は分かっている。それとなく事の成り行きを見ていた周りの女性達もクスクス笑い出す。

「断られるかも知れない事は覚悟していたわ。これほど笑われるとは嗚呼、恥ずかしい。私は何て馬鹿なの、笑われる様な事をしてしまうなんて。本当に笑われるのは辛いは」

「嗚呼、恥ずかしい」

「嗚呼、恥ずかしい」

「嗚呼、恥ずかしい」

「嗚呼、恥ずかしい」

「嗚呼、恥ずかしい」

「嗚呼、恥ずかしい」

「嗚呼恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

 我慢仕切れず彼女は食堂へと走って行く。自分の弁当は止め食堂のランチにし、ランチを食べるも喉を通らない。暫くすると先程の同室の女性達が来て、盛んに彼女の先程の顛末を話している。次第に話しの輪が広がり殆どの女性が彼女の方をみてクスクス笑いをしている。言葉を発しない分彼女は傷つく。

「どうせ私の事を噂しているんでしょ。馬鹿な女が馬鹿な事をするって。いっそハッキリそう言えば良いのよ。クスクス笑なんかしていやらしいわ。でも笑われるのは辛いわ」

「嗚呼、恥ずかしい」

「嗚呼、恥ずかしい」

「嗚呼、恥ずかしい」

「嗚呼、恥ずかしい」

「嗚呼、恥ずかしい」

「嗚呼、恥ずかしい」

「嗚呼恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

 話しは男性にも広がり、彼女の方を見てうわさ話をしている。

「何とでも言って下さい。普段周りに気遣いをしない人間はこうゆう時に遣られるわね。自業自得という訳ね、負けないこんな事で、しかし笑われるのは辛いは」

「嗚呼、恥ずかしい」

「嗚呼、恥ずかしい」

「嗚呼、恥ずかしい」

「嗚呼、恥ずかしい」

「嗚呼、恥ずかしい」

「嗚呼、恥ずかしい」

「嗚呼恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

「恥ずかしい」

 胸がつかえ食べられないので途中で終えて、食堂を後にトイレに行くと大先輩の女性に会う。四十台半ばの普段仕事に厳しく叱られる事の多いこの女性に遣られる事を覚悟する。

「今日はきついわね。結婚の申し込みを笑いで答える様な男は此方から断りなさい。笑う奴には笑わせなさい。言う奴には言わせておきなさい、馬鹿は何処の世界にも居ます。でもそんな人間ばかりでは在りませんよ。貴女は悪くないんだから、此処はしっかり耐えるんですよ。私だって随分人に助けられたのよ。助けたり助けられたりで人間は生きて行くのよ。話しをしたい時、相談したい時は何時でもしなさいね」

話し終わると大先輩は一枚のメモを彼女に渡して行き去る。メモには携帯の番号と住まいの住所が記録されている。

 人は苦しい時にこそそれを助けてくれる人、その人のその真心が本当に分かるものである。大先輩の予想外の優しい言葉に胸が詰まり、こぼれ落ちそうになる涙を必死に堪える。正に捨てる神在れば拾う神在りである。

「大先輩は普段色々と些細な事で細かい注意をするので、嫌な奴だと思っていた。偏狭な女に成ってしまう、オールドミスにはなりたくないものだ。大先輩の事を常々そう思っていた。私は間違っていた、今後は改めよう」

 午後からの仕事に取り組むのは、今の彼女にとって正に地獄である。しかしどんなに苦しくてもそれに立ち向かう気概が彼女には備わっている。

         二

 苦しみを堪えながらも、何とか仕事は終業を迎える。彼女は足早に会社から駅に向かい、駅近くの居酒屋に入る。

「今の自分にとって此処が一番落ち着く。嗚呼今日は本当に辛かったわ。結婚を申し込むにしては唐突で軽率だったわね。でも軽率と言う事は悪い事をしたのとは違うわよね」言い訳なのか愚痴なのか盛んに自分に言い聞かせる。

 大の生ビールと串カツが二本運ばれる。飲めない口ではないけれど余り飲む事も無い。恋人や飲み友達が無いので、飲む機会がない為である。ビールを一口グッと飲む。独り言を話し始める。

「嗚呼ビールが上手い。思い切りバカヤローって叫びたいわ。しかし恥をかくと云うのは辛いものね。早くその場から逃げ出したいと思う。その一方で笑う奴に対する怒りもすごいのよ。大声で笑ったりしなければ周りの女性達にも気づかれないし、笑われずに済んだのに、彼奴は意地悪な男よ。あんな人間を好きに成るなんて私も馬鹿ね。そうは云っても人間の本性なんて中々分からないのよね。今日は十年分を一日で経験したわ。嫌な思いをしたけど彼の本性が分かったのは大収穫ね。あんな男と結婚したら一生泣かされるは。クスクス笑い女性は全て若い人、クスクス笑い男性も全て若い人。年配者は一人も居ないわ。流石年配者は年の功というやつね。同じ会社同士の男と女の話は蓋をしてソッとして置くと云う配慮があるんだ。若いのはそんなの有るわけ訳ないわよ」独り言は更に続く。

「辛い思いをしたわりには美味い、ビールが美味い。こんなにビールが美味いとは思わなかった。串カツも意外にビールと合うわね。恥をかいてそれをビールのおかずにすれば世話がない。しかし今日程ビールを有り難いと思った事は無いわよ」

 三杯目の大生ビールと串カツが二本運ばれる。周りを見渡すと若いカップルが多い。カップルと云っても、男女より男同士の方が多い感じである。一方一人で飲んでいるのは殆ど年配の男性である。女性はどうかと云えば彼女一人である。再び独り言を呟く。

「美味いわ。病み付きになりそうな位美味いわ。こんな美味い物を気づかなかったなんて随分人生を損した感じね。明日からは毎日でも来たいけど一人の女性は私だけで目立つわね。女が飲み屋で一人飲んでいると如何にもやけ酒みたいなのよね」この後彼女は物思いに耽る。

         三

「お母さんの言う事を聞いておけば良かった」

 実は彼女は前日母親に相談している。

「お母さん、結婚したい人がいるの」突然の話しに戸惑う母親。

「それは良かったわね、長いお付き合いなの」

「お付き合いは無いの」

「ええ、お付き合いが全然ないの。男女の愛は天からいきなり降って来るものでは無く、少しずつ育んでいくものよ」

「そう、お付き合いなしで、結婚申し込んだら可笑しいかしら」

「そんな事はないけど、私もお父さんとはお付き合いは無いの」

「いきなり結婚申し込まれたの」

「そうじゃないの、話すと複雑なのよ」

「聞かせてお願い」

「会社の同僚だったお父さんが暮れに、私の家に正月遊びに来たいって言うのよ」

「それで遊びに来たのね」

「そうなの。しかし正月過ぎても帰らず、そのまま居着いてしまったのよ」

「要するに同棲したんだ。私の両親は意外に今風なのね」

「そうね、だから結婚式はやらないで入籍の日に写真だけ撮ったのよ」

「じゃ、意気なり結婚申し込んでも可笑しくは無いわね」

「その辺難しい処ね」

「どうして」

「男性の気持ちがどうなのかよ」

「普段から妙ちゃん、妙ちゃんって呼んでくれるし。バレンタインデーの贈り物も快く受け取ってくれたわ」

「男性が結婚の意思があれば良いけど」

「明日結婚の申し込みをするわ」と云う事で、結婚の申し込みとなる。

 話しは戻り、再び居酒屋での彼女の独り言。

「そうだ、あの大先輩を誘えば好いわ。私は人を見る目がないのね。あんな素晴らしい人を、最悪の人の様に思っていたわ。反対にあんな嫌な奴を良い人だと思っていたんだから」

 既にビールは四杯目を飲み干し、五杯目とつまみの串カツを注文する。更に彼女の独り言が続く。

「恥ずかしいから次第に悔しい気持ちになって来たわ」

「嗚呼、悔しい」

「嗚呼、悔しい」

「嗚呼、悔しい」

「嗚呼、悔しい」

「嗚呼、悔しい」

「嗚呼、悔しい」

「嗚呼悔しい」

「悔しい」

「悔しい」

「悔しい」

「悔しい」

「悔しい」

「悔しい」

「悔しい」

「悔しい」

「悔しい」

「・・・」

「悔しい」

「悔しい」

「・・・」

「悔しい」

「悔しい」

「・・・」

「・・・」

「悔しい」

「・・・」

「・・・」

「悔しい」

「・・・」

「・・・」

「・・・」

「悔しい」

「・・・」

「・・・」

「・・・」

「・・・」

「・・・」

         四

 ふと気が付くと右手に日本刀を持っている。彼女は剣道の有段者で有る。十五歳の時、五段であった父親の影響で剣道に入門する。大学剣道部の唯一の女性で三段まで行く。

「有り難い、天の助けだわ。私にこんな恥をかかした彼奴をこれで思い切り切って復讐してやる。この刀で恥の恨みを思いのままに晴らしてやるわ。今昼だから皆食堂にいるわね。彼だけじゃなく、私を笑った奴は皆復讐してやる」

 彼女は日本刀を持ったまま小走りに食堂に急ぐ。殆どの同僚の女性が食事をして居るも、日本刀を上段に構えたまま、鬼の形相で迫って来るのに皆驚く。一瞬怒号と叫び声の渦となる。彼女はそのうちの逃げる一人を後ろから鋭く切り込む。飛び散る血飛沫。血の赤は一方で人を興奮させ一方で恐怖にもさせる。

「キャー」

「助けて」

「やめてぇ」

「ギャー」

「嫌だぁ」

「ウォー」

 耳を劈く様な叫び、うなり声。倒れる女性に逃げ惑う女性達で食堂は大混乱となる。彼女は彼を探すも見当たらない。逃げ惑う女性達を追いかけ、一人二人と切って行く。次第に相手構わずとなり、刀を振り回す度に女性が次々に犠牲となる。彼女が一太刀入れると真っ赤な血飛沫、その血に誘われる様に又一太刀、更に一太刀と続く。食堂は急速に真っ赤な血に染まっていく。傷つき倒れる女性を手当てする余裕は誰にも無い。自分が逃げるのが精一杯である。呻く女性と泣き叫ぶ女性、着ている服も血の痕が生々しい。食堂は恐ろしい鮮血の修羅場となる。

「思い知ったか、私がどんなに恥ずかしい悔しい思いをしたか」堪えに堪えた、我慢に我慢をした、その悔しさが限界の緒をきって爆発する。彼女の服は血だらけである。持つ刀は血刀となり魔力の様に女性達に切り込んで行く。既に女性の十五、六人は切ったであろう。傷付いた女性の上に又傷付いた女性が折り重なる様に倒れる。血が血を呼ぶ戦場の目を覆う様な惨状になる。

「彼はここには居ない、営業の部屋だな。絶対逃がしてなるものか」

 彼女は刀を持ったまま階段を駆け上がる。周囲の者は只逃げる飲みである。営業の部屋には彼は居ない。

「畜生どこへ逃げやがった」

 数ある営業室を片端から探し回る。それはまるで刀を持ち、敵を討たんとする侍の姿である。討ち果たすべき相手を必死に追い求める。侍は一向に姿の見えぬ相手に、苛立ち焦り半狂乱と成る。

「焦ってはいけない、必ず会社の中に居るはずだから」

 自分に云い聞かせつつ更に各階を探し回る。一、二回を探し終え三階の階段で逃げる彼を発見する。

「逃がしてなるものか」

 彼は必死で上の階、上の階へと階段を逃げる。逃げる彼に追う彼女。そしてとうとう屋上に出る。

「ハァーハァー、嗚呼苦しい」息を切らす彼。

「妙ちゃん止めてくれ、妙ちゃん助けてくれ」彼は両手を合わせ懇願する。

 彼女は彼を屋上の隅に追いつめる。

「ここから下に飛び降りるか、私に切られるかどちらでも選んで下さい」

「君と僕の仲じゃないか、切ったりしないよね」

 この機に及んでも空々しい良い訳をする彼に彼女は激昂する。彼の胸目掛けて全身の力を一点に集中した太刀を思い切り突きさす。彼の絶命を確認後、恨み重なる仇を討ち果たした侍の如く、満足しきった彼女は自らの首に太刀を当て自害する。

 顔の上を光々と照らす明かりに目を覚ます彼女。

「眩しいわ。何、これ」

 眠りから覚めたばかりの彼女に看護婦が話し掛ける。

「目を覚ましましたね。あんまり飲み過ぎちゃ駄目ですよ。貴女は飲み過ぎて急性アルコール中毒になり、気を失ってこの病院に救急車で運ばれて来たんですよ」

 彼女はビールの飲み過ぎから昏睡状態になり夢を見ていたのである。駆けつけた母親の胸に抱きつき泣きじゃくる。母親は大体の事は予想付く。

「夢か、恐ろしい夢ね。嗚呼夢で良かったわ」

 凄まじいばかりの刃傷劇が現実では無く、夢であった事に改めて胸を撫で下ろし、

「もう二度と恥ずかしいなんて思わない。恥ずかしいと云う気持ちは悔しいと云う気持ちに。悔しいと云う気持ちは恨みの気持ちになる。その恨みの気持ちが夢になった。現実ではなく夢で本当に良かった。死を避けられない絶望の淵にある人間が、助けられて生の世界に戻る。今はそんな心境ね」ホッとすると同時に安堵からか大きく息を付く彼女。

 彼女はその日の内に退院し、居酒屋に詫びた上で金を支払う。土日の事で会社には知られずに済むも、翌日会社に退職届けを提出し退職する。

                                   <了>



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