03話:入浴中にて
世界を四つに分つ大陸の中で、最も小規模な大陸が東大陸――即ちファールシア大陸であった。小規模というのは単なる大陸面積を評しての表現であって内面を含めての事ではない。
というのもファールシア大陸の抱える国家数はざっと百余ヵ国。それに乗じて人口の総数も億単位にまで達していて『人口密度の濃い大陸』――、そう表現するのが最も妥当な大陸なのであった。
小規模な大陸に百余ヵ国の国々が所狭しに領地を張っていることもあって、貿易、経済、文化の共有など様々な点で恵まれているのである。更には遥か昔に滅びたとされる魔術、魔法もやや層が薄いものの、僅かに残っているのであった。
しかし近年、国と国の間が近すぎるというのが逆に国家間の摩擦を大きくしてしまったらしく、数百年保たれてきた『平和』が次々と崩壊しつつあった。要するに戦争が大陸内で広がってしまったのである。
近隣諸国同士政治上、上辺であっても仲の良い国々は共同戦線を張って敵国を迎え撃つ。敵国を倒すことによって以前より有する領土が更に広がるならばそれ即ち、経済、産業などの発展にも繋がるので同盟を組んだ国々は惜しみなく敵国を迎え撃つために兵を出兵させる。そして戦争に更なる火種を持ち込んだ国々は次、そしてまた次へと『戦争』を飛躍させていくのであった。
そんな戦争一色に染まりつつあるファールシア大陸の東の端にポツン。他の国々に比べて異様な程領土の小さい国――スリフィナール王国があった。大陸からは除外されたよう、極東に位置するスリフィナール王国はあまり他国との関わりが無い為、同盟などによって戦争に引き出されることもなく(戦力として見られていないというのが正しい)、大陸内で平和を現状維持している唯一の王国なのであった。
そのスリフィナール王国の小さな領土内にひと際目立つ大きな城が建てられていた。国王の据えるクーリッジ城である。現在も国王、それに仕える兵士達が住み込んでおり、それを抱え込む城の広さは何とスリフィナール王国全土の五分の一以上。大都市一つ分を飲み込んでしまうほどの広さをを誇るものなのであった。
その広大なる広さを誇ったクーリッジ城の上層階で十五歳くらいの少女が鼻歌交じりに入浴をしようとしていた。その少女の名は『シュリア・ラフィドール・アマリリア』といい、貴族の子である。それもスリフィナール建国時から代々名の知れた名門貴族の令嬢なのであった。
シュリアは見纏っていた衣服を一通り脱ぎ終えると、それらを床から掻き集め設けられた籠へと放り込む。その際投げ込んだ手で棚に積み上げられたバスタオルを引き抜き、くるっとそれを細い肢体に巻いて肌の露出を控えた。シュリアはその格好で浴場の入口の前まで行くと、ふと立ち止まり人の丈程もある鏡の前で深い溜息をついた。
鏡に映る癖のない腰まで伸びた金色の髪、そして大きな瞳に浮かぶ空を思わすような碧眼はスリフィナールの貴族特有のものであった。鏡に映る自分はそれをちゃんと自分のものにしているし、額の辺りで二つに分けられた金髪はしっかりと筋の通った小さい鼻、そして整った唇、緩やかな曲線美を描く顎などをより引き立てているようにも思えた。実際、身分関係なしに自分を美しいだとか、可愛らしいなど褒め言葉としての称賛を投げかけられた事は幾度となくあるし、そりゃもちろん多少なりとも自身の容貌が他人よりも優れているということは自負しているつもりだった。そうは言ってもそれを鼻に掛けて威張り散らす気など毛の先ほどもないし、そもそも容貌だとか身形だとかそんな浮ついたことには興味が湧かないのである。無関心と言い換えても良い。
けれども、そんな自分を見て「可愛いね」だとか「愛らしい」など、まるで幼子のような扱いで言葉を掛けられるのだけは許せなかった。そこは数少ないプライドによるものである。しかし現実的にはそのような言葉を投げかけられることが殆どだし、年齢を間違えられることがしばしばであった。
「……少々悔しいな、この体形は。せめて十センチ、いや五センチだけでも伸びてくれれば世界がガラッと変わると思うのだ……」
鏡の前で数回背伸びをしながらボソッとそう呟く。暫くの間そうやって鏡に映る自分と対峙していたのだが、その内足首に疲れが溜まってきたのでやめにする。それにこの格好でいつまでもこの場に居続けるのは、いくら人目が無いからといって憚られるものであった。
「女体とは難しいものよ……」
鏡に映る自分を一瞥してそう呟くと、何やら諦めたように「ふぅ」、軽く溜息をついた。どうやらやっと浴場に入る気になったらしく「冷えてしまったな」、とシュリアは今更気付いたように体をさすり浴場へと足を向ける。
その際「クチュン」と、大きなくしゃみが入口付近でなされていたが、誰も咎める者はいなくただ虚しくシュリアは鼻をすすっていた。
*・*・*・*
クーリッジ城の敷地が広いことと反映してシュリアの入っていった浴場は大層豪華のものだった。入るなり感じる地面の感触はつるつるとした白い大理石であり、もわもわとした湯気の中、目を凝らして正面を伺うと壺を持った天使の石像が二つ、じょぼじょぼと音をたてて広い空間の中央に位置する円形型の浴槽へと注ぎ込んでいた。
シュリアはお風呂場に入るなり体も洗わず一直線に大浴場へと向かった。夕方に一度侍女を連れて身を清めておいたため、今回は体を洗う手間を省くことができたのだった。
「一人で入ると幾分寂しさを感じさせるな。……む、今回は少々湯が熱い」
足先を湯船に付けると体が先ほどので幾分冷えてしまったためか、いつもより数段熱く感じられた。いつもは侍女によって温度調節はなされるのだが、今回はお忍びの入浴時間ということもあって自らの手でどうにかするしかなかった。
シュリアはしばらくどうしたものか、と首を捻って考え込んでいたが、
「仕方がないな……こういったことに使いたくはないのだが」
眉を潜めてそう言うと、徐に片手を湯船へと持っていき、静まり返った水面に触れるか触れ無いかの微妙な位置で手を停止させる。その瞬間、シュリアの翳した掌を中心に幾度となく波紋が広がっていき、最終的には小さな波となって湯船からお湯がこぼれ出ていた。
その間目を瞑ったシュリアは「うむ、これくらいでよかろう」と、何を執り行ったのかは分からないが納得がいったようにそう呟き、水面に翳していた手をゆっくり浴槽から引き戻した。そしてもう一度足先を湯船へと持っていき「大丈夫だ」と、今度は引き戻す事無く静かに湯船へと身を投じていった。
暫くの間顔半分まで浸かってはぶくぶく。息切れしたらもう一度大きく息を吸い込んで、再び顔半分を湯船に浸す。それを繰り返し、暇つぶしのように行っていると外が騒がしい事に気がつく。シュリアは息を吸い込む際頭を捻って窓越しに城下を見渡す。しかし外は至って平然としていて、城門に構える衛兵も普段と変わらずしゃんと立ち構えていた。
「どうしたのだろう? 侵入者でもあれば軍が動くだろうに……。これは城内だけの騒ぎなのか?」
浴槽の淵に畳んでおいたバスタオルを徐に引き寄せて、幾分濡れてはいるもののそれをもう一度胸元辺りでくるっと巻きつける。そしてばしゃばしゃと音をたてて、浴槽から身を出した。その時である、
「シュリア様っシュリア様! いらっしゃいますか? 牢を監視していた者でありますがいたらお返事をくださいっ」
やや慌てふためく男の声がシュリアの居る浴場ないにて響き渡った。
「どうしたのだ? 城内がなにやら騒がしい様子だが……何かそれと関係が?」
「いらっしゃいましたか……よかった。随分とお探しました。……ん?この布切れは」
「主よ……籠の中を漁るでないぞ?」
「……はいっ!?」
「んまぁ良い。それでなんだ?」
シュリアは浴場から出ようにも出る事の出来ない鬱陶しさを感じつつ、いらいらとした口調でそう言う。
「その事なんですが……」
申し訳なさそうにドアを挟んで言う兵士の話を聞いている内にシュリアの顔色がどんどんと蒼くなっていく。
「急がねばっ」
聞き終えるなり叫ぶようにしてそう言ったシュリアは「ええいっ」とバスタオルを外して浴場から出ようとする。しかし、
「ぶへっ」
つるつるとした大理石に足を滑らせ、お思いっきり鼻を打つ付けてしまった。
「背がもっと大きければ……」
全ての責任をそれに押しつけるようにそう呟くと、思いっきり浴場のドアを開け放ち、困ったように棒立ちする兵士を跳ね飛ばして駆け抜けていった。