02話:目を開いた先には
下手なブレーキ音と共に近づいてくる白いナンバープレート。自らも感じる死の訪れのためであろうか、周りの情景が今までない程鮮明に、そしてゆったりとした速度で見開く瞳に飛び込んできた。視線を少しプレートからずらして、やや雑に放った子猫を視界に取り入れる。救ってくれた自分に対して礼を言っているのだろうか、はたまた文句を言っているのかは分からない。夜空に浮かぶ月のような両目をこちらに向け、じっと動かないでそこに座り込んでいた。
(そこじゃ……まだ)
近づいてくる車の幅を考えると子猫の据える場所は未だ安全圏とは言い難い。というよりかは確実に轢かれてしまう位置取りであった。九条は直感的にそう感じると、再び助けようと試みる。が、しかし。手足に全く力が入らなかった。それはまるで自分の体でないように――。
気が付いてみるとスロー再生のような速度で近づいてくる車が目と鼻の先に迫ってきていた。タイヤと地面が擦れたためであろうか、何やら焦げくさい風が自らの鼻をかすり、そして過ぎ去っていく。
(……はっ。結局骨折り損かよ)
近づいてくるライトがやけに眩しい。そりゃそうか、九条はニヤッと場違いな笑みを浮かべてそう呟く。せめて最後くらいはと思い夜空を見上げ、月を探す。しかし、狭まった視界のためだろうか。見つけることは出来なかった。
(最後までごくろーさん、俺)
大学行きたかったなぁ、九条は心の中でそう呟くと、いづれ来る衝撃を前に瞼をゆっくりと閉じた。
すると同時にやや暖かいものが自らを包み込む。そう言えば血って温かいんだっけ、九条はそう思いながらぎゅっと拳を握りしめた。その暖かいものは次第に凍てつく風となって自分の体を裂いた。そして、グワン。体を揺らして何処かへと消え去ってしまった。
(……)
しかし、いつまで待とうも、予想していたほどの痛みは感じられなかった。というよりかは何も、というのが正しいであろう。掌で直に感じる冷やかな地面は、どこか不自然なものを感じさせたが別段気にするほどではない。続けて男の悲鳴をやや近めに聞き取ることができたが、それも不審に思う程の事では無かった。
(……ん?)
九条は力を込めて閉ざしていた瞼を少し緩め、「へ?」と気の抜けたような声を漏らす。先ほどまで自らを目映く照らしていたライトは瞼を通してでも感じられない。更には「にゃー」という猫の平和ぼけした鳴き声が足元で聞こえたのである。自分は死ぬんだ。そう覚悟したのにも拘らずこのように不可解な事が起こってしまっては何だかこう、気持ちが揺らいでしまうのだ。
「車でもなんでもこいやぁー」
九条は目を見開き、そして勢いよく立ちあがってそう叫ぶ。するとその声が幾度となく反響し、自らの耳元に返ってきた。続けて九条は「へ?」と、再び気の抜けた声を反響させる。
「……一体どこだよ。俺は車道にいたはずじゃあ……なかったか?」
込み上げてきた感情をそのまま口に出して眉をひそめる。言葉通り、意味が分からないというのが今の九条の心境であった。
「牢獄……、牢屋? そんな場所なのか? ここ」
ぎこちない動作で頭を左右に振り、辺りを確認した後にそう呟く。九条の目にしたものは至ってシンプルであり、一つの壁を除いた全ての壁が頑丈そうな石造りの壁であること。徐に上下へと視線を投げるとそれらも然りであった。
ただ、一つの壁――即ち九条の正面に位置する壁だけは石造りではなく、下手をすれば更に頑丈な造りをしているであろう黒光りする鉄の棒が数本、部屋を閉ざすように天井から地面へと貫いていた。
ドラマなどで得た知識とこの場所を照らし合わせてみるも、やはりここは牢獄、もしくは牢屋のような所であり、
「どうなってんだ? 一体……」
何故自分がここにいるのかは依然、謎のままであった。