後編
後編です。よろしくお願いします
「これで今回の仕事は終わりだから、帰ろうか」
そう言って一成とリーパーは出会った場所である学校の屋上への帰路につく。
あと一時間もすれば夜が明けるという時点で、町並みは見覚えのあるものに変わってきた。
一成にはそれが、たった一晩離れていただけなのにひどく懐かしく感じていたのだが――
自宅近くの駅を通りかかったところで突然リーパーの胸元から陰気な電子音が鳴る。
まるでラスボスが登場したときのBGMのような着信音だった。
リーパーはすぐに止まって、震える手でスマホの画面を確認する。
「……ごめん。電話かかってきたから待っててくれないかな……? 多分長くなるかもだけど……」
その顔は明らかに青ざめていた。
流石に一成も察したのか無言で頷く。
そのジェスチャーを受け取ったリーパーは腹をくくって通話ボタンを押した。
「もしもし、お疲れ様です。リーパーです。どうしました部長……はい。はい。すいません」
一成的には画面越しに謝るリーパーは見ていて面白かったのだが、それよりも一成には気になっていることがあった。
「…………」
踏切の前でセーラー服の少女がじっとこちらを見上げていたのだ。
それは往路で一成を見つめていた少女だった。
一成はリーパーの方をチラッと見る。依然として謝り倒しているリーパーを見る限り、本当に長くなりそうだ。
「あの……見えてる?」
本当になんとなくのつもりで、一成は地面に降り立って少女に話しかけた。
「ふぇっ!? 何で分かったの」
少女はひどく驚いたのか、顔を赤らめてそう言った。
一成はあきれ顔で小さくため息を吐く。
「あれだけ見られていたら気づかない訳は無いんだけど……」
「ご、ゴメンね! 私、人間観察が趣味みたいなものだから!」
身振り手振りで弁明する少女の顔は完全に真っ赤だ。そして、その動きに合わせて動く物を一成は見逃さなかった。
(精神の糸が地面にくっついているのか……?)
少女からも一成や竹之下のように腰から精神の糸が伸びていたのだ。だが、一成の違うのは、精神の糸がまるで枷のように地面に張り付いていることだ。
「それにね、こうやって久しぶりに誰かに話しかけてもらったからどんなことを言えばいいか分からなくなっちゃって……」
「え? それってどういう――」
「おーい! 一成君! 終わったよー!」
一成が言い切る前に、リーパーは一成の前に降りてきた。
だが、一成の目の前に居る少女を見た瞬間、リーパーの表情が明らかに変わる。
悲しさと動転が同居している表情だった。
「遅かったな。それよりさ、この子の精神の糸が地面にくっついているように見えるんだけど、仕事を一件見逃しているんじゃないのか?」
「そんなことはないよ。さぁ、早く行くよ!」
一成は少女を指さすが、リーパーはまるで少女がそこに存在しないような振る舞いを見せる。
「おいおい待てよ。流石にそういう冗談はタチが悪いだろ。アンタも何か言ってやったらどうだ」
「……」
少女は何も言わない。ただ、俯いているだけだ。
「早く! 行くよ!」
強引にリーパーは一成の手を掴む。見た目から想像できないような膂力だ。
「いいの、行って。本当に久しぶりに誰かとお話できたのは本当に嬉しかったから……ありがとう」
少女は気丈にそう言うが、その目からは一粒の雫がこぼれ落ちていた。
大地に繋がれたまま飛ぶことの出来ない少女を置いて、半ば無理矢理連れて行かれる形で一成達は上空に浮きとどまる。
一成の中には少女の涙が忘れられなかった。
その涙を見たときから、一成の中で沸々と湧き上がる物があった。
そして、それはついに爆発する。
「何だよ……! どういうことか説明しろよ! このまま帰らされても納得いかないだろうが!」
声を荒げて、かなりの膂力を秘めているはずのリーパーの手を力任せに一成は振り払った。
その衝撃で、リーパーは後ずさる
「部外者の君には関係無いことだ!」
リーパーも声を荒げて一成をにらみつける。
それでも、一歩もひるむことなく一成はリーパーの胸元を掴む。
身長差のせいでリーパーの体が僅かに浮かぶ。
「確かにそうかも知れないけどな! このまま帰らされても納得いかないだろうが! 理由があるなら言えよ!」
何故ここまであの少女のことで熱くなっているのか一成自身理解できない。だが、今聞いておかないと絶対後悔するということは確信していた。
最後の一言が効いたのか、悲痛な面持ちでリーパーは言う。
「彼女は君の末路……つまりは自殺者だ」
今度こそ一成は言葉を失った。
「自殺って言うのは、ただ人を殺すよりもずっと重い罪なんだ。そして自殺者には自殺した場所で永遠の時を孤独に過ごす罰が与えられるんだ。誰にも触れられず、誰にも見られること無く永遠に……」
完全に一成の体から力が抜け、リーパーは一成の足下に崩れ落ち、咳き込みながら静かに口を開いた。
「僕だってなんとかしてやりたいよ……! でも、死神が自殺者に話しかけたり、ましてや救済することは禁じられているんだ……! 見つかれば僕ばかりか、彼女にまでさらに重い罰が下るんだよ……!」
行き場のない怒りを感じた一成は、無意識のうちに拳を強く握りしめる。
リーパーに向ける怒りでも、自殺した少女に向ける怒りでもない。何もしてあげることが出来ない自分にその怒りの矛先が向いていたのだ。
「彼女は……沢木茜は、君の前に僕が自殺を止めた子でね、今日みたいに死者の話を聞いて、思いとどまってもらおうと思ったよ……。でも、彼女はそれを聞き入れずに電車に飛び込んで死んでしまったんだ。言っただろ。僕が君を助けたのは、自己満足だって。僕は今度こそ自殺しようとている子を助けたいが為に君の自殺を止めただけなんだ……。幻滅しただろ。僕は自分が救われたいから君を助けただけなんだよ……」
静かに語るリーパーの瞳には諦めと後悔が宿っていた。
(リーパーはリーパーなりに苦悩していたんだな……)
それを理解した一成はリーパーの目を見つめて
「たとえリーパーの自己満足でも、、俺はこうやっていることに感謝してる。たくさんの人の話を聞くことができた。自殺したらどうなるのかも分かった。だから、そんなことを言うなよ。お前は間違っちゃいないから……」
「……ありがとう、一成君……」
リーパーはずっと感謝の言葉を漏らし続ける。
そうしているうちに、一成の目に陽光が入ってきた。
山の向こうから朝日が少しずつ差してきているのだった。
「リーパー。もう一回だけ、彼女に会ってきてもいいか? 今なら答えがつかめそうな気がするんだ」
死神ではない一成が茜に会っても禁忌には抵触しないだろうと一成は考えていた。
「……分かった。でも、そんなに長い時間は待てないよ。完全に夜が明ける前に君は体に帰らないと死んでしまうからね」
「そういうことは早く言えよ!?」
ふざけたことを言いながらも、リーパーの目は真剣だ。
「それでも……行くのかい?」
死のリスクを孕んだ選択。一成は竹之下の言葉を思い出していた。
『人生にはどちらを選んでも後悔する選択が必ず来る。そんな時はの、自分がしたいと思った選択をした方しなさい』
それを思い出した一成の目から迷いが消えた。
「……ああ。行ってくる」
そう言って一成はリーパーに背を向けた。
リーパーと出会うまでの一成ならば、夜明けを待って死を選んでいただろう。
だが、一成の中で何かが変わり始めていたのだ。
幸いここは勝手知ったる地元の待ちなので、空から行けば、駅の踏切までそうかからなかった。
踏切では、茜がたたずんでいた。
涙は止まっていたが、目が少し赤い。
「あれ? 死神さんといっしょじゃないの?」
茜は踏切を背に微笑んでいた。
「君のことはリーパーから聞いたよ。君がリーパーに自殺を止められたことも、結局自殺したことも」
「そっか……」
茜はすべてを悟ったような表情で踏み切りの向こうへ飛びだした。
丁度始発の電車が駅から発車した瞬間だった。
一秒後の惨劇を危惧して、一成は目を深くつぶった。
けれど、電車がレールを通る以外には音はしなかった。
恐る恐る目を開けると、迫る電車が茜の体を透過して、何事もないように突き進んでいたのだ。
「こんな風にね、飛び込んだんだ。死神さんにもそれだけはやっちゃダメだって言われたのにね……」
茜は寂しげにそう言った。
きっと最初に飛び込んだときは湿った音と肉塊が飛び散ったのだろう。そう考えると、一成は中に薄ら寒い物を感じた。
「なんで、なんで自殺したんだ……?」
こんな綺麗な人が自殺なんてする理由がないと一成は考えていた。少なくともの何も持っていない、足りてない自分とは違うと思っていたからだ。
「私が自殺しようと思った理由? あるにはあるけどそんなに大した理由じゃないよ。それでも聞きたい?」
茜は一成にそう問いかける。その目は試すような目つきになっていた。
茜の目をまっすぐ見つめ、一成は答えた。
「教えてほしい」
目が合って数秒。合格だったのか、茜は一成に背を向けて語り出す。
「正直に言うと、生きることが分からなくなったからかな。ある日突然思っちゃったんだ。私は何のために生きているんだろうって。考えれば考えるほど分からなくなっちゃって、最後には行き止まりまで来ちゃった」
「同じだ……」
思わず一成は呟く。
「俺も、なんで生きているのか分からなくなって、死のうと思ってリーパーに出会ったんだ……」
「それじゃあ私たちは似たもの同士だね」
振り向いた茜は少しだけ笑っていた。
「でも、だからこそ言っておくよ。自殺した後は楽になると思ったら大間違いだよ。死神さんも言ってたとおり、一人きりでい続けるのは生きることより辛いから。これだけは覚えといて」
「じゃあ。俺は何を糧に生きていけばいいんだ?」
「それは自分で探しなよ。君は私と違って考えて、それを実行できる時間があるんだから」
突き放すような一言だが、それを重く受け止めた。竹之下の時には響かなかったが、同じような境遇を持っていた茜の言葉は届いたのだ。
「分かった。探してみるよ」
「そうそう。その意気だよ。君なら私の代わりに答えをきっと見つけられるから。大丈夫」
そう茜は微笑む。そして、小走りで一成に急接近して、一成に抱きついたのだ。
「!?!?!?!?!?」
当然一成は何が起こったのか分からずに困惑と恥ずかしさで頭がない混ぜになる。
柔らかい感触と、腰まで腕を回した手は一成の顔色を変えるのに十分な一撃だった。
「お願い。少しの間こうさせて……多分これから先ずっと私はひとりぼっちだから」
先ほどまでとは打って変わってシリアスな声色に変わった。
茜にとって人の温もりを感じられる最後の機会なのだろう。と一成は察する。
のだが、一成は思わぬことを口走ってしまう。
「俺、毎日ここに来るから! 絶対に寂しいなんて思わせないから!」
自分で何を言っているんだろうかと一成は自分自身でもそう思ったが、言ってしまっては仕方が無い。
茜は一成の方をじっと見る。一成も茜も顔は真っ赤だ。
一瞬が永遠に思えたが、終わりは唐突に訪れる。
一成の体が、朝日に透き通ってきたのだ。
タイムリミットが近づいていることを悟った一成は、腰に回っている茜の腕を優しく振りほどく。
「ゴメン。もう行かなきゃ」
一成は茜に背を向け、ゆっくり空に浮き上がる。
茜は何も言わずに手を振っているだけだったが、素敵な笑顔で見送ってくれた。
そうして、あと少しで夜が明けきるところで、一成は学校の屋上に到達した。
一成の体の前ではリーパーが座っていた。
「終わったのかい?」
「ああ」
「そうか。じゃあ魂を体に戻すよ」
一成が瞬きするほんの刹那に、魂は体に再帰し、一成は立っていたはずなのに仰向けになっていた。
「これで僕の仕事は終わりだ。後は君の自由にしたらいい」
もう空中に浮かび上がることが出来ない一成を置いて、リーパーは空中に立つ。
朝日に溶けていくようにリーパーの姿が段々薄れていく。
最後に何を言おうかを考えたが、ふと思い立った疑問を言うことにした。
「なぁ、お前ホントは俺を彼女を会わせるために仕事を手伝わせたんじゃないのか?」
リーパーは何も言わずに、ゆっくりと消えていった。それでも、リーパーの口元は少しばかりつり上がっていた。
そのあっけないほどの別れはまるで、リーパーという死神は、初めから存在していなかったのではないかと思わせるほどだ。
だが、一成が立っている屋上には、最初にリーパーと激突したときに開いた穴が、嘘ではないと如実に物語っていた。
「さて……約束を守らないとな」
のびのびと背伸びをして、一成は屋上を後にした。
一成の中では、未だに生きると言うことの結論を見いだせていなかった。
けれども、以前の様な虚無感は消え去っていた。
「ハァ……! ハァ……!」
夜明けの町並みを一成は全力疾走する。
やはり空を飛べないのは不便だと、一成は頭の中で毒づく。
そうこうしているうちに、約束の場所へたどり着く。
通勤者や通学者が行き交う駅。その踏切には、枯れた花束が小さく添えられてあるだけだった。
一成は周りの目も気にせずに手を合わせる。
少し暖かい、夜明けの風が頬を吹き抜けた。
当然、一成の目の前には儚げな印象の少女の姿はない。
それでも、「ありがとう」と彼女は言っている気がしたのだ。