発端となった聖人
前回から引き続き見ていただいた方、ここから読み始めた方、いつもありがとうございます(*´ω`*)
今回の最後に出てくるとある人物ですが、残念ながら今回の物語で彼についての記述はこれくらいです。世界観に絡むことではあるんですが、今回のプロットでは記述の必要は薄いので(・∀・’)
次回の更新は今週月曜日8月27日20時となります!興味がある方はぜひぜひどうぞ!☆(´ε`
「分身だった……それは考えられない?」
「……どういうことだ?」
「今宴で活動している者が、エノクδが分身であり、宴を操作するために本物のエノクδがけしかけたものなら説明がつく。元々エノクδは、αやノアとともに行動しているという前提を作れば、ある程度の利害関係がなければ宴の行動は邪魔にしかならないだろう。つまり、宴を一旦潰すために、エノクδは自らの分身を潜入させ、内部崩壊を狙った。こうは考えられない?」
それを聞いたイリアは、十分筋が通っていると思われる、イレースの想定に表情を強張らせた。
しかしその想定は、エノクδの分身の強さを誇張するには十分な代物である。
「もしあれが分身であるなら、敵側はあの程度の兵をぼこぼこ作り出せるってことか?」
「そういう事になっちゃうよね……」
一方、同じくイリアと同じくやるせない表情を浮かべているカーティスは、事の重大さを笑いながら口走る。
「あっははー、冗談きついって。お前も見ただろう? あれは分身を最低でも3体作り出してこちら側を攻撃していた。それってつまり、分身が分身を作ってたってことだろう? そんなことできるのかよ。お前の話しによれば、分身一体を使役するのもかなりの高等技術だって言うじゃないか。不可能だろう、そんなこと」
カーティスの冗談っぽい言葉に、補足したのはイリアだった。
「どこまでがδ本体が仕掛けているのかわからないから、なんとも言えないけど、相手がエノクδなら十分考えられるだろうな。50年前に、二家がδを封印しようとしたとき、魔天コミュニティのほとんどの軍事力を使ったらしいが、そのときに出現した分身の最大数は5体、たった5体でこのコミュニティの最大軍事力と並んだことに鑑みれば、分身一体があれ程の力を持つことは十分考えられる」
「……あるね。全然、むしろ本気を出してないとするほうが理知的だろう」
「エノクδ、そんだけやばいのかよ」
「やばいどころの騒ぎじゃない。エノクδのエネルギー量と分身に割かれたエネルギー量を計算すれば、最大分身数はおよそ20体になる。単純計算で、この国家の4倍に匹敵する軍事力を即席で作り出せるっていうことだ。もし本格的に、δが絡んでいるなら交渉しかない」
「やっぱり一般市民は逃げるべきだな!」
あらぬ方向に話が進み始めた頃合いで、イレースは、これが自らの推測であることを補足する。
「いやいや、二人共、これはあくまでも推測だからね?」
しかし、イリアはすぐにそれに反論を述べる。
「だけど、十分筋は通っている。可能性としてはかなり高いと思う。これを想定して行動したほうがいい」
「でも、これはエノクδが、αやノアと同じ団体であり、宴が滅ぶことでメリットがあることを前提にしている。可能性としては不明瞭な箇所が多すぎる。エノクδが単体で動いている可能性は一切考慮していないし、これだと断定して行動するには少々早計だ。少なくとも、断定するためにはエノクδとα、ノアがどの組織に所属しているのかを明確にしないことには、なんとも言えないっていう状態が続くだろう」
「それなら、とっととそれを明確にするのに努めよう。トゥール派の責任者に宴に関する情報を吐かせ、どの程度のつながりがあるかを調べる、そんな感じにしたほうがいいな」
「それで行こう。此処から先はある程度のマンパワーが必要になる。コクヨウとも連携していこうね」
方針が決まり始めている2人の会話に、カーティスはひっそりと話に入ってくる。
「方針決まるのはとてもいいことだと思うんだけど、そこに俺の体探しが全く含まれていないのが悲しいなぁ?」
「あ、忘れてた」
「そういえば、カーティスの体はどこにあるんだ?」
イリアの発言に、カーティスは死んだ表情で「俺が知りたいよ」と口走る。
「俺の体……どこかな!!」
苦しいカーティスの声が室内に残響した。
カーティスの体が見つからないという悲惨な状態のため、イレースとイリアはとりあえずそれをおいておき、偽物のアーロン・ベックに対してアプローチをすることにした。
その手段として、エノクεの情報を捏造して渡すことで反応を見るというものだった。実際、あれ程の知識を持っているのならば、捏造された情報も看破される可能性が高いが、エノクεについての情報はまだまだ乏しく、こちらの情報偽装を見抜くことはかなり困難なことになる。
つまり、捏造した情報を看破するかしないかで、次の行動を変えるということだ。看破されればアーロン・ベックになりすました人物が更に絞り込まれることになるし、逆に場合でも限定される。
相手の神経を逆なでする可能性もあるが、もし仮に、相手がエノクαであるのならば、こんな回りくどい方法を行う意味がない。回りくどいやり方を取っているということは、少なくともそれを行う理由があったのだろう。虚偽情報を掴ませても攻撃される可能性は少ないと踏んだのだ。
2人はそう判断して、アーロン・ベックに捏造した情報を送信する。
***
同刻 ベルベット邸
「おかえり、どうだった?」
二家会議から戻ってきたフィリックスを迎え入れたのは、留守番をしていたフィリックスの夫であるメアリーだった。メアリーは眠たそうに目をこすりながら、大あくびをしつつフィリックスのコートを受け取り、それをハンガーに掛ける。
「今回の騒動、ノアとδが組んでいるらしいよ。うちら、とっとと逃げたほうがいいかもしれないねぇ」
フィリックスが若干の呆れを込めながらそう言うと、メアリーは特に気にした調子を見せずに、独り言のようにつぶやく。
「まぁ、今回のことに絡んでいても、直接的な実害にはならないだろうけどね。そういえば、”パッソム”あるけど、食べる?」
「食べる食べる! で、食べながらメアリーの意見を聞こうかな」
「大したことないって」
メアリーは相変わらずぽつりと呟くようにそう言うと、「パッソム」という食べ物を運んでくる。その食べ物は、薄いパイ生地をクリームではさみ、いくつかの層ができているケーキだった。メアリーが用意したパッソムはイチゴがふんだんに使われたもので、非常に丁寧な作りである。
「ずいぶんキレイなパッソムねぇ。作ったの?」
フィリックスの問いかけに対して、メアリーは無表情の顔を少しだけ崩して笑った。
曰く、それを作ったのは、ベルベットの次期跡取りであるルークのようだ。
「それ、ルークが作ったんだよ。まぁ、あの子いわく、それは”ミルフィーユ”って名前らしいけどね。僕らはパッソムで言い慣れているから、パッソムでいいや」
「ルークは異国の文化の子だから、そういうところあるわよね。全く、あの子にしても、ヴェルタインにしても、ちょっと変な交友関係があってちょっと困るわ。話、合わなくて」
「てか、25年前の事件でルークが巻き込まれたのって、トゥール側の策略なんでしょう? それなら、トゥール側に回るなんて嫌だよ?」
メアリーは、ルークのことを思い起こしたようにトゥール側の胡散臭さを指摘する。しかし、フィリックスはそれに反論するように、メルディス側の不審な点も話し始める。
「トゥール側も最低だけど、メルディス側だって胡散臭さは変わらん。つい最近導入された、想起阻害システムのことは知っているでしょう? それが”メモリーボックス”に組み込まれたことで、それの利用履歴を見ることができるんだけど、そこに現メルディスことベヴァリッジの名前があったんだよねぇ。何かあると思わない?」
「確実になにかあるだろうけど、なんていうんだろうね、どっちもどっちじゃない?」
「いやぁ、まぁそういうことだねぇ。うちらは結局、様子見が一番だと思う。アーネストも恐らくは同じ見解だろう」
「君もそうだけど、ビアーズにしても、このコミュニティを重視する割には自分のしたいことするよね。僕はもともとこの家の者じゃないけど、そういうところ本当に意味わからないよ」
メアリーの言葉に対して、フィリックスは大きく笑う。
「二家っていうのはそういうものさ。恐らくは、ベルベットという家系は最もありきたりな真理に近い存在であろう。そういうものっていうのは、最奥の真理の深さを理解しちゃって、何も考えたくなくなるものさ。だから、楽しむべきさね」
「それっぽいこと言ってるけど、君が楽しみたいだけでしょ。今回のトラブルを本気で解決しようとしているのって、ビアーズくらいだと思うしね」
「ビアーズは堅実だね。今回コクヨウをコントロールするって言ったのは、コクヨウ側に明らかなトゥール派がいるからだろうね」
フィリックスの考察に、メアリーは首をかしげる。
「そういえば、どうしてコクヨウにトゥール側が混じっているの? ルール違反だと思うんだけど」
「ちっち、コクヨウっていうのは確かに最高権力者が統括するんだけど、コクヨウはあくまでもその戦闘能力を始めとする客観的に判断することができる能力でメンバーを決定する。合理的にね。この取り決めはメルディスとトゥールが直々に決めており、特に軍事力を司るトゥールがその決定に深く関わっている。だから、所属しているコクヨウが何をしても不思議じゃない。今回だって、指示されたことを完全に無視して行動することだって考えられる」
「そうなったら、コクヨウでの立場はどうなるの?」
「国家的に見れば、そのまま音沙汰なしじゃないの? コクヨウの待遇って破格だし、一度決定したメンバーをかき乱すようなことはしないだろう。その決定に直接介入できるのはビアーズくらいだろうね。ただこっちとしても、考えあって決めてるメンバーを変えたくはないし、できる限りはこっちのトラブルの前に対処しないといけないねぇ」
「なるほど。聞けば聞くほど面倒くさいよ。あんまり僕らを巻き込まないでほしいね」
「そうも言ってられないさ。下手をすれば、今回のトラブルは今まで起きたトラブルの中で最も大きいね。さっさと行動しよう」
フィリックスの言葉を聞き、メアリーは深くため息をついて、整然と並ぶパッソムを口に含む。
そして、ゆったりと事が動くまで待機することを沈黙によって答えた。
「25年前の事件……随分と、厄介なトラブルばかり持ってくるんだね」
沈黙の隙間を縫うように、メアリーはポツリと呟く。
すると、フィリックスは大きく首肯しながら共感を示す。
「確かに、あの事件は他方に与えた影響からみれば最悪の事件だっただろうね。というか、旧ザイフシェフトと旧リラは元々魔天に縁がある場所っていうのはあるだろうけど、実際にわからないことが多すぎるのよね」
「このベルベットの資料の源泉である学者、”リンネ”の出身地何でしょう? あの街って」
「彼の事もよくわからないからね。本当に、あらゆる真理を知る唯一のものなのかもしれないね」
ベルベットに存在する多くの蔵書の中で、最も古い蔵書の著者は「リンネ」と呼ばれる人物のもので、魔天に関する記述というよりも、どちらかというとその祖先である可能性が高い生物についての研究をしていたらしい。既に紙としての媒体ではなく、電子データとして保存されてしまっている上、リンネが生きていた時代に関する事柄も一切ないため、どのような年代を生きていたのかは不明である。それに加えて、リンネについての情報もことごとく存在しないため、リンネという人物で残っているのは、微量に残る資料のみである。
その資料には、魔天コミュニティの中にある情報を簡単に凌駕しうる情報ばかりであり、現存する資料の中で最も「自然神」について記述したエノクαレポートを上回る程の情報を知っていたと考察できる記述がある。
それに加えて、「創造神」、「天命」など、現在の科学からは想像もつかないことまで記述されていた。これらについての記述は科学的根拠に乏しかったがゆえ、ベルベットの中では、これらはあくまでも「リンネの妄想である」とするものが多かった。
しかし、フィリックスもメアリーも、恐らくこれは実際に存在するものであると考えていた。
「”創造神”、”天命”、そんなものは本当に存在するのか……それはわからないけど、リンネという人物がそんな妄想を連ねるとは思えないねぇ。ただ、あの資料の中で、ノアの名前が出てきているあたり、不審な予感しかしない」
「リンネっていう人が今も生きてれば話を聞けるんだけどね。僕もリンネさんの話聞きたいなぁ」
「うちも聞きたーい。ベルベット特有の好奇心ががが」
「別に特有でもないでしょ」
2人はそんな話をしながらお茶会を楽しむことにした。




