厄災の起源
前回から引き続き見ていただいた方、ここから読み始めた方、いつもありがとうございます(*´ω`*)
今回で重要人物の正体が確定しますが、ここに至るまでも結構長くて個人的に驚いています。それ以上に、差し迫るお休みの4文字に怯え始めているのはここだけの話。
次回の更新は来週月曜日8月6日20時となります!興味がある方はぜひぜひどうぞ!☆(´ε`
イレースらがアーロン・ベックの家を出たのとほぼ同刻、イリアはすぐにメルディスの元へ向かっていた。
目的は、25年前の事件収束時にメルディスがエノクαとの取引について聞きに行くことであるが、正直なところ、イリアはメルディスがそのことを話すとは思えなかった。なぜなら、メルディスはあの取引についての情報を徹底的に隠しているからだ。そのまま聞きに行っても、シラを切られることを目に見えている。
しかし、イリアにはメルディスが取引した内容について、心当たりがあった。
実は、25年前の事件を皮切りに、当該事件に大きく関わったとされているアイザック・マクグリンに関する情報の殆どが削除されていることがそれに当たる。本来、アイザックは魔天コミュニティの防衛システムにもなっているDADの基礎を作り上げた偉大な科学者である。そんな人物の資料がほとんどないなんてありえない話だろう。
恐らく、メルディスはエノクαとの取引にて、エノクαレポートと引き換えにアイザックの情報の抹消を行ったのだろう。だが、それであれば、どうしてエノクαは、アイザックに関する情報を、取引までして抹消しようとしたのだろうか。
この疑問を明確にするものをイリアは持っていなかった。これらのことを積み上げて、メルディスに対して詰めようとしているものの、抱えている不安の大きさは拭えない。
メルディスは、他の最高位の権力を持つものから比べて、特殊な戦闘能力を保有するわけではない。そればかりか、彼女は魔天という力においては、最下層に所属しているだろう。これは、今までの魔天コミュニティの歴史の上では考えられないことで、武力に直結しない技能が認められた初めての事例である。その功績に違わず、メルディスは恐ろしいほどの知識と話術、そして軍略を持ち合わせる。今回のことも、どこまで彼女が関与しているのかは不明であるが、エノクαについて秘匿にしているのは何かしらの関与が疑われる。
つまり、現段階では彼女がどれほどのことを知っているのかわからない。これが厄介極まりなく、少なくとも対等な土俵に立てていないというのは、彼女と対話する上でかなりのハンデとなる。
そんな不安を抱えたまま、イリアはメルディスの部屋の扉を叩いた。
「はい、どうぞ」
彼女は落ち着いた調子で扉を開く。そして、扉を叩いたのがイリアだと気づくと、にこりと笑い、空いた方の手で中に促してくる。
イリアはややぎこちない仕草で室内に入り、メルディスの言われたとおり来賓用のソファにゆっくりと腰を下ろす。室内は重々しい空気に満ちていて、いかにも社長室的な佇まいの机と、逆向きになっている大きな椅子が印象的である。
室内を認識した後、イリアは同じように座るメルディスを強い視線で一瞥すると、すぐに聞きたい事柄について話し出す。
「実は、25年前の取引で生じた、エノクαレポートについて、聞きたいことがあるのですがよろしいでしょうか?」
それを聞いたメルディスは、一切表情を崩すことなく首を縦に振り、「なんでも話しましょう」と笑いかける。
「ありがとうございます。まず最初に、エノクαが自らの研究資料と引き換えに、何を要求したのですか?」
「そうね……貴方であれば、話してもいいのですが、どうしてそれを?」
意外な反応に対しても、イリアは冷静さを保ちつつ、エノクαと接触したい旨を伝える。
「今回の騒動では、最高軍事機密であるエノクεのことがありますから、できる限り安全性を考慮する方法を講じたいと思っています。それについて、エノクαレポートは非常に有用であるとは言えますが、残念ながらエノクεについては、我々で調べなければなりません。しかしそれには膨大な時間がかかります。なので、エノクαと再度接触することが最も最短であると考えました。そのためには、25年前の取引から当たる必要があると思いまして……お話ください、メルディス様」
それを聞いたメルディスは、何度も首肯しながら、納得しながら話し出す。
「わかりました。彼との取引は、最高機密に値していて、私以外取引の具体的な内容について知りません。それは、エノクαがこの取引を外部に漏らした場合、他のエノクと共同してこのコミュニティを破壊するという脅しをかけてきたからです」
「他のエノクと繋がっているのですか?」
「えぇ、まぁ、エノクαレポートを見れば、少なからず関与があるのは明白です。しかしながら、私たちにはどの程度関わりがあるのかわかりません。正直に言って、この情報を外部に漏らすことはリスクにしかならないでしょう。ですので、今までこの情報は秘匿にしてきました。エノクαが、自らの資料と引き換えに要求したのは、アイザック・マクグリンの情報の完全消去です。恐らく、これについては貴方も推測済みでしょう?」
思わぬタイミングで本音を突かれたことで、イリアは露骨に驚いた表情で返す。
「どうしてそのことを……」
「ふふ、私は貴方の、穿った見方ができる能力を信用しています。機密にしている情報を、わざわざ直接聞きに来るということは、ある程度それについての当たりをつけていると考えるのが妥当です。ですから、こうやって話しているのです」
相変わらず何手も上をいっているメルディスに対して、イリアは感服するように息を吐く。
しかし、メルディスは大して表情を変えずに続ける。
「ここからが重要です。貴方も疑問でしょう? どうして彼が、そこまでしてアイザック・マクグリンの資料を隠そうとしたのか、私はこれに対して、一つの推測を立てました。それは、エノクとアイザックに何かしらの接点があったからではないか、ということです。恐らく、貴方も同じでしょう?」
メルディスは至って冷静に笑っている。その機械的とも言える表情は、アンビバレントな側面も持ち合わせているようだった。冷たさと優しさの両側面を持ち合わせる表情は言いしれぬ凄みを感じさせる。
それに加えて、こちらの思考すべてを見透かされているという圧迫が、イリアの表情筋を強張らせる。
しかし、メルディスはそれを悟ったのか、途端に優しさのみを表情に表し、ゆったりと口角を上げた。
「イリアさん、落ち着いてください。私は、何も貴方を殺そうとしているのではありません。ましてや、私にそんな力ありません。ご承知でしょう? かのベルベットの分家であるソロモン家なのですから」
「……そんなことありません。ただ、非常事態ですから、少々緊張が顔に出てしまっていただけのことです。まさか、エノクδが動いているとは、到底想定できていませんでしたから」
イリアは自らの心境の変化を見透かされないように、本音で現在の気持ちを偽る。
すると、メルディスはそれに共感を示す。
「確かに、それは言えていますね。エノクδの力は、この魔天コミュニティの総戦力を軽く上回りますからね。だからこそ、早急な対応が求められるのでしょう。その鍵がエノクαである……私と貴方の見解は極めて酷似していますね。いえ、ほとんど同じとみてまず間違いないでしょう。αと接触して、協力を促す、そうでしょう?」
「えぇ……、喫緊の脅威となるエノクδと、トゥール派、宴の活発化は、今のメルディス派のみでは止められません。何かしらの協力を仰ぐ必要があります。メルディス様はどのようにお考えになりますか?」
そう尋ねられたメルディスを少しだけ困ったような調子で笑みを浮かべながら、話し始める。
「私も同じ意見ですが、正直なところ、どこに助けを求めていいのかわからないのです。今の所現実的な人物はアーネストとベルベットの、二家でしょうが、彼らはコミュニティに有益な方に傾倒するので、トゥールの動向によっては味方に率いることは困難でしょう。今大切なのは、トゥールについての動向の明確化だと私は考えています。ただし、それすらもゆっくりして情報収集できるわけではないので、できる限り迅速に行わなければなりません。使えるマンパワーも相当不足していますから、唯一使える軍事力、コクヨウも有効的に使ってください。イレースたちにつけている、フラーゲルから繋がるようにすれば円滑です」
「わかりました。それと、エノクαについての手がかりとして、メルディス様が知っている情報はありますか?」
イリアは、再び探るような視線でそう尋ねる。
すると、メルディスは意外にもあっさりとそれについて話した。
「αについて、私は実際に会って話しましたが、外見についてはむしろ聞かないほうがいいでしょう。ダウンフォールは自在に外見年齢を変えられるので、先入観になりかねません。特にαは最も人生経験豊富なダウンフォールなので、定期的に外見を変えているはずですからね。加えて、かなり警戒心が強い人物なので、彼に接触するのは容易ではありません。そもそも、25年前の取引では、彼自身から提案したものなので、情報は殆どありません。ごめんなさいね、役に立たなくて」
メルディスはそう言いながら、悲しそうな笑みを落とした。
「いえ、話していただきありがとうございます」
「少しでも役立つ情報があれば、すぐにまた連絡します。私は今から、二家会議に参加しなければならないので、これで失礼しますが、今共有したほうがいい情報はありますか?」
メルディスの言葉を聞き、イリアは深々と頭を下げる。
「二家会議だったんですね……タイミングが悪くて申し訳ございませんでした」
二家会議については、イリアもどれほどの重要性があるのかを理解している。その会議の直前で訪ねてしまったことを詫つつ、逃げるように部屋を後にしようとする。
それを引き止めたのはメルディスだった。
「イリアさん、あまり気を遣わないでもらっていいのですよ。確かに二家会議はありますが、その中で議論されることは、少なからず今の会話に関与することですから」
「……そう言っていただけると、有り難いです。それでは、失礼します」
「あぁ、それと、イレースに”無理はしないように”と伝えておいてくださいね。当然、貴方もですが」
メルディスはそう言いながら、机の脇に移動し、ゆっくりとメルディスに微笑みかける。
一方、イリアはそれを一瞥し、ゆっくりと頭を下げて部屋を後にする。
イリアが部屋から出ていった後、残されたメルディスは、再び座っていたソファに腰を下ろし、ゆっくりと話し出す。
「……こんな動機説明で宜しいですか? エノクα……いえ、”セフィティナ”さん?」
メルディスの言葉が完全に室内を反響した後、逆側に向いていた椅子がくるりと正面を向き、エノクαことセフィティナが姿を表す。
「相変わらず、食えない奴だな。ベヴァリッジ……」
「あら、そんなつもりは一切ありませんよ。折角、貴方がグルベルト孤児院の務めているセフィティナであるとは伝えなかったのですから、少し位、信用してもいいんですよ?」
「……知るか。大体、お前を殺さないことを誠意だと思え」
「それは私も理解していますよ。そもそも、誠意だと思っていなければ、イリアに”アイザックとエノクが何らかの接点があったかもしれない”、なんて伝えないですよ?」
セフィティナはそれを聞き、ベヴァリッジを睨みつける。
「どうやら、俺がアイザックについての情報を抹消した理由を知ってるようだな」
「大方想像はつきますよ。貴方の、大切な人なんでしょう? アイザック・マクグリンさんは」
ベヴァリッジの言葉に、セフィティナは深くため息をつく。
「穿った見方ができる、それはお前の事だろう」
「貴方にとって、本質であるのならば光栄ですわ。ダウンフォールは、名前をつけられた相手に、強い執着をする。貴方の名付け親なんでしょう? アイザックさん」
ベヴァリッジがそう口にした瞬間、ベヴァリッジの数センチ隣の壁が大きく歪んだ。
強烈な轟音の後、ベヴァリッジは大量の粉塵が瀰漫した壁を一瞥し、小さく笑みを浮かべてセフィティナを据える。
そこには、机に土足で立ち上がり、金属製のペンを手に持ち、片方の手で大きな鎌のようなものを握りしめ、殺気に満ちた表情をしているセフィティナがあった。その鎌は、刃の部分がスポアのように変形していて、柄の部分は金属製になっているようだった。しかし、金属製に割には恐ろしくしなり、不気味な蠢きをしている。
それを見ても、ベヴァリッジは一切表情を変えることなく話し出す。
「あらあら……気軽に貴方の想い人の名前を呼んだことを謝ります。私も、尊敬している人を同じようにされたら嫌ですしね」
それを聞いたセフィティナは、大鎌を持ったまま机に座り込み、大きく鼻を鳴らす。
「見上げた度胸だ」
そう言われても、ベヴァリッジは少しも表情を変えようとせず、微笑をかぶったまま続ける。
「お褒めの言葉、ありがとうございます。それで、本日はどのような用事でこんなところに?」
「そうだった。その話だ。取引をしよう。あんたが消したがってるトゥールを滅ぼす代わりに、”ウロボロス”を起動させろ」
「それが取引をする態度ですか? そんな取引に応じることはできません。馬鹿馬鹿しい」
そう言い切るメルディスは呆れた調子で更に続ける。
「周縁DADエリア、通称ウロボロスシステム……どうやってこれについて知ってるんですか?」
「ノーコメントだ。そもそも、今のお前たちは決定的に軍事力が乏しい。ウロボロスを起動させることで、トゥール派の戦力も削げる。素敵なプランじゃないか」
「貴方はウロボロスについて何も知らないようですね。教えてあげましょう。あれは魔天コミュニティの周縁に設置した機器で、それを適用させることで、その中の魔天エネルギーをすべて無力化するものです。承知していますか?」
煽り立てるような説明口調に、セフィティナは首をかしげて言う。
「勿論」
「それならば貴方は、阿呆としか言いようがありません。今日コミュニティでは、魔天エネルギーが様々なことで応用されています。主に軍事力ですが、医療や社会福祉にも応用されていますからね。それをすべて無力化するなんて、私一人の判断では不可能です」
「何かしらの言い訳でもすればいいんじゃないの」
「ふざけないでください。もっと素敵な取引をお待ちしていますよ」
ベヴァリッジは、セフィティナのことを突っぱねて部屋を出ようとする。
そんなベヴァリッジに対して、セフィティナはとある提案をする。
「それなら、お互いに知りたいことを1つ交換しよう。ここまで来たんだからな」
「素敵な交換ですね。何が知りたいのかしら?」
「天獄を潰そうとしている、メルディスさんとお前、何かしら関係があるのか?」
意外にも取引に乗り気なベヴァリッジは、含みのある口調で言う。
「……どうかしらね。ただ、私は”オス型”は好みません。私からも1つ、貴方とδ、繋がっているのですか?」
代わりにと言わんばかりに尋ねられた言葉に、セフィティナ同じように答える。
「どうだろうな……ただ、”δが動いているとは限らない”さ。これでいいか?」
その言葉を聞き終わると、ベヴァリッジは満足げに扉を開く。
「勿論。では、さようなら。もう二度と会わないことを祈りますよ」
そう残して去るベヴァリッジは、手をひらひらと振りながら部屋から出ていってしまう。
取り残されたセフィティナは、薄い笑みを浮かべつつ、自らが座っていた椅子に座り込み、広がる魔天コミュニティの展望を仰ぐ。
「……忌々しいほど美しい場所だな。ここは……」
舌を打つようにそう告げたセフィティナは、小さな感傷に浸るように瞳を閉じる。想像に浮かぶ上がってくるものたちは、この場所の忌々しいと形容して差し支えない記憶の数々だった。
その闇の中に、セフィティナが感じた不気味な蠢きに、瞳を開くと、にこやかな表情でよだれを垂らしている少年が目に飛び込んでくる。その少年は、いつの日か宝石たちを束ねていた少年で、つい先程アーロン・ベックになりすましていた人物だった。
「あ、生きてる」
「煩い。何しに来たんだよ」
「なんだよ、トラブってるって聞いたからフォローしに来たのにさ~」
少年は大あくびをしつつ、ソファに腰をおろし、暇そうに笑う。
「あのさ、アイザックにバレたってマジ?」
その言葉に対して、セフィティナは開き直るように言い放つ。
「アイザックを安心させるために写真を渡しただけだ。しかもほとんど情報がばれないようにしてるし!」
それを聞き、少年は大きく口を開けて嗤笑する
「馬鹿だねぇ~。ミラとルネとアイザック、洞察力化物組に今回のことを言ってないのに、そんなふざけたことするなんて、本当に馬鹿だなー。ていうか、もう君と仕事したくないんだけど」
「おいこら、どういうことだそれ」
「言葉通りだよ。カーティスの体を保存するためにかなりのコストが掛かってる。それに加えて、そんな設備があるところなんて限定されるでしょ。だからお前は馬鹿なんだよ!」
「大丈夫だって。問題ないさ」
「保管場所が”グルベルト孤児院の地下”だっていうのに、のんきなもんだね」
「灯台下暗し、むしろ問題ないさ。これでトラブったら責任取るって」
「トラブったら、多分もろとも吹き飛ぶことになる。失敗は許されないよ」
「最悪、自然神組を頼ろう。流石に、”テンペスト”が絡んでいるとわかれば、”ククル”も手を貸してくれるでしょ」
「あんまり頼りたくないなぁ」
「そんな事も言ってられないだろう?」
少年は不貞腐れたような顔でため息をつき、続いて大あくびでソファに寝転がる。
一方のセフィティナ、それを見て失笑しつつ部屋から出ていってしまった。
扉から出ていったセフィティナを見送った少年は、暇そうな顔をして電話をかける。
「あぁ、サファイア? ノアだけど、カーティスの体の場所を変えてほしい。もうあんまり時間がないからね。え? 場所がないの? じゃあ時計塔にでもぶち込んでおきなさい。んじゃ、よろしく~」




