肉の壁
予定より少しだけ早い更新になります。
これからは一週間おきになるとは思いますがよろしくお願いします。
イリアが去ったオフィス内に取り残されたカーティスと、その意識下にあるイレースは、2時間の待ち時間を使って現状を改めて整理していた。
カーティスは人間が住んでいる場所とは隔絶された場所にある魔天コミュニティの軍事研究施設にいるようだ。その原因は一切不明で、体の持ち主であるイレースの体につながってしまった。その為、持ち主であるイレースは体をコントロールすることはできず、肉体の持つすべての権限が人間であるカーティスに委ねられてしまったのだ。
一方、魔天コミュニティは現在「メルディス」という人間との友好的な関係維持に努める派閥がコントロールしているが、それとは全く逆の目的を標榜する「トゥール」という派閥が台頭し始めているという状況だった。現在、どちらが政権を持つかは国民投票により決められるとされているが、どうやらトゥール派はメルディス派を武力行使で屈服させることを考えているらしい。そして、それを遂行するためにトゥール派は、魔天で構成された戦闘や工作などを生業にする利益集団「宴」を活用しているのだという。
「そんなこと可能とは思えないんだけど。だって、武力行使で屈服させても、国民が反発すれば政権だって機能しないだろ?」
今の話に対して、カーティスは首を傾げながらイレースにそう尋ねる。
しかし、イレースの口から飛び出たことはカーティスの常識とは全く異なるものだった。
「確かにそうだ。だけど、国民も知っているとある兵器を、トゥール派は求めているんだ。それが、”エノク”と呼称される存在だ」
「”エノク”?」
「うん。エノクっていうのは、魔と天の子ども、所謂ハーフを指す。そして、そのエノクはたった一個体で国を滅ぼすほどの力を保有している」
「さっき言っていた”エノクε”がそれに当たるのか?」
「そうだ。ε、つまり5体目のエノクを、今我々は確保している。現状はこちら側に分があるといえるが……」
「何か、あるのか?」
「純粋な戦闘力で言えば、我々メルディス派は圧倒的に弱い。戦闘に従事する魔天の殆どはトゥール派についてしまっているし、相手は”宴”も味方に引き入れている。メルディスに賛同するものは少ないといえるだろう。つまり、これ以降はどんどんこちら側が不利になるといえるんだ。それに、これからは戦闘が激化することが予想される。だから、一般人であり人間でもある君を、僕としてはあまり巻き込みたくない。だけど、この研究所に配属しているものの中で、戦闘が可能な者は僕と、イリアしかいない。だから、否が応でも君に戦闘を任せることになるかもしれない」
「……俺、すごい最悪なタイミングで巻き込まれたんだな」
「ごめん…………」
その言葉を聞き入れたカーティスは、大きく頭振りながら、自分のことを尋ねる。
「イレースが謝ることじゃない。俺のことは、何かわかる?」
「いや全然」
「あ、そこは回答早いんだな」
「本当に君のことは全然わからないから……もしかすると、君が体に繋がったときに周辺の記憶が飛んだのかもしれない」
「最悪だな」
「悲しいけど、仕方がない。どっちみち君の体も探さないと、ずっとこのままだ。それに、今回のことと少なからず繋がっているのかもしれない」
「どうして?」
「都合が良すぎる。こんなタイミングでこんなトラブルが起きるなんて、偶発的とは思えない。君についても、何かしらの関与があるとみるのが妥当だろう。君こそ、何か気になることとかないの?」
ここに来て話を振られるが、カーティスは本当に心当たりがない。
そもそも、カーティス自身、こうなる直前に何があったのかはわからない。覚えているのは自分の素性位のものだ。
カーティスは、「グルベルト孤児院」という孤児院出身で、つい最近ようやく独立することができた。現在の日にちが不明であるため何とも言えないが、1年も経っていないはずだ。一番最後に残っている記憶は、孤児院で散々世話になった、親代わりのアイザック先生から独立記念に貰ったプレゼントのお礼をしに、幼馴染のケイティとともにショッピングモールに買い物に行ったことくらいだ。
今回の大それたトラブルに巻き込まれそうな痕跡は皆無に等しいだろう。
とりあえず自分のことも少しずつ思い出してきたカーティスだったが、あまりにも状況が整合せず、無自覚に大きく首を傾げる。
「いや、全然わからない……だが、今回のトラブルとの関係はないと言っても過言ではないと思うぞ。俺は一般人だぞ? 関与しているとは到底思えない」
「僕もそう思うけど……」
状況の整合性を述べるカーティスに対して、イレースは未だに納得できない調子の声を上げ、悩ましげな苦悩音が聞こえてくる。
そんな様を見て、カーティスはもっと建設的な考えをする必要があるということ無自覚に感じ、イレースに提案する。
「それより、”宴”をメインに探ったほうがいいんじゃないのか? そのついでに、俺は俺で自分の体を探すから」
「僕らもそのつもりだよ。でも、とりあえず君のことも知っておきたいだけだったんだけど……あまり有益な情報はなかったね」
「そうだな……そういえば、”宴”っていう呼称がついてるくらいなんだから、国家側もこの集団については何かしらの情報はないのか?」
カーティスの尤もな意見に対して、イレースは思い出すように話し出す。
「今まで”宴”が活動していたっていう情報はない。だから、ここに来て活発な動きが起きたことに注目すべきだ。実は、国家が最も危険であると判断している犯罪者が、中枢にいるのではないかと言われているんだ」
「そいつが犯人じゃないのか?」
「わからない。だが、最高機密犯罪者、”ノア”と呼ばれる人物は、国家に準ずる危険性を持つとされている。具体的に言えば、”ノアに接触した場合は戦闘を行わず、冷静に会話をすること”と定められているほどの危険人物だ。どっちにしても、そいつが中核にいるなら、僕らだけでどうこうできる存在じゃないよ」
「……そいつ、何をやったんだ?」
カーティスは、率直に「ノア」のやったことを尋ねる。
すると、イレースは露骨に口調を変え、戸惑うように喋りだす。
「さっき、エノクという存在について触れたよね。その時、僕らが確保したεは5体目であるといった。他の4体はどこにいったと思う?」
「もしかして……殺したのか?」
「いや、殺したんじゃない。もともと、うち3体のエノクは厳重に封印されていた。ノアはその封印を解き、3体のエノクを魔天コミュニティ外に連れ出したんだ。その封印は、コミュニティ上部の魔天が数十人単位で施すものであるはずなのに、ノアはいともたやすくそれを解いたんだ。どれくらいの能力者なのかは一目瞭然さ。恐らく、あんな奴に敵うものはいない」
「ちょっと待て、もう1体のエノクはどこに消えたんだ? 1個体ですべてを滅ぼすような生命体を放置するなんて、ありえないだろう?」
「賢いんだね。残された1体のエノクは、実はどこにいるのかわからない。この封印されていないエノクは、4番目に生まれたエノクδで、エノクの中でも最も大きな力を持つとされている。だから、本来封印を行うものたちが匙を投げたんだ。それで、エノクδはどこかに投棄されたんだ。これが50年位前の話だ」
「……信じられない。どうしてそんな無責任なことをしたんだ?」
「それほどに大きな力だったと言われている。実は、5番目に生まれたエノクεは、コミュニティが兵器開発により意図的に作り出した存在で、意図的に軍事兵器として起用されることを中心にしている。元々エノクが誕生する可能性は極めて低い。歩いていて、落雷に当たるくらいの確率だからね。それを意図的に作り出したのは良かったんだけど、エノクをコントロールする術は見つかっていない。だからεも幽閉されるはずだったんだが、今回のことでとりあえず一時的に保護している」
「かなり複雑になってきたな」
「まぁ、今はエノクとコミュニティの歴史の話をしたいんじゃない。これらの話から、どうするかがポイントだ」
イレースがそこまで話したときだった。
不意にオフィス内にインターホンが鳴り響く。けたたましい音だった。沈黙を遮るような音は恐ろしげでもある。
「……こんな時間に、誰だろう?」
「危険だ。もしかすると、敵かも……」
イレースの言葉を認識し、ゆっくりとインターホンのディスプレイの前に移動して、ゆっくりと画面を覗き込む。
すると、そこには不気味なローブを纏った男が、機械的な動きでインターホンを押している。髪の毛は短髪で、色まではディスプレイに映し出されたことを視認することはできない。
その動きはとても人であるとは思えないほどぎこちない。出来損ないのアンドロイドが、不格好な動きでインターホンを押しているようだった。
それを視認した2人は、本能的に恐怖を感じる。
「…………どうする? 少なくとも人ではない気がする」
カーティスは、とりあえずイレースの指示を仰ごうとする。
しかし、一方のイレースは混乱した声色で口走る。
「あれは、スポアだ……」
「どういうこと?」
「恐らくは、魔天双方の力を活用した高等技術の1つだ。魔は形質を司り、天は性質を司る。この2つの技術を使った分身体、それがあれだ」
「そんなことができるのか?」
「理論上は、できる。だけど、実際に見たのは初めてだ。あんなことできる者がいるとは思えなかった。そもそもスポアっていうのは、手足みたいに使うことは極めて難しい。人間に近い感じで言えば幾つものラジコンを同時に操作するようなものなんだ。それに対して更に天の力を加えるなんて、できるものはいなかった……」
「それが、眼の前にいるのか?」
「……逃げよう。危険すぎる」
イレースは、恐怖に染まった口調でそう告げる。
しかし、カーティスは間髪入れずに反論する。
「逃げられるものならとっくに逃げてる。この状況でインターホンを押したってことは、少なくともこっちが肉体的に一人であることを承知していると言えるだろう。おまけにそれだけの高等技術なら、そこまで距離が離れていないと考えるのが妥当だ。それに、魔と天それぞれの力が必要なら術者は最低2人以上、焦ってここから出れば袋のネズミだ。一応聞くが、このオフィスの出入り口と階層は?」
「え……地上3階建てのビルで、出入り口は1つ、非常口が東西に1つずつだけど……」
「無理だ。場所が3箇所、術者と分身体の数と一致する。わざわざ高等技術を使って分身体を作って、インターホンを鳴らしたのはそういうことだ。明らかにこの状況を想定して、出入り口を潰している。逃げ道はない」
イレースは状況以上に、先程まで散々一般人だと宣っていたカーティスの異常とも言える現状考察能力と、分析能力に驚愕した。
彼の言っていることは理にかなっている。少なくとも今焦って逃亡することは不利にしか働かないだろう。
「じゃあ……どうするの?」
「いや、それ俺のセリフだから」
「あ……そっか」
カーティスの能力に完全に圧倒されてしまっているが、本来は自分が対処法を提示しなければならないというのに、どうしていいかわからない。すっかり頭がパンクしているのか、普段出てくる考えが全く浮かんでこない。
あたりは嫌な沈黙で満たされる。その最中、インターホンが急かすように鳴り響き、大振りな反響音を残していく。
そんな中、提案をしたのは、「一般人」のカーティスだった。
「……ないなら、俺のプランを言っていいか?」
「え、なにかあるの?」
「分身体を倒して脱出する」
「…………」
カーティスの提案に、イレースはどう反応していいかわからず、混乱した唸り声を上げる。
「どした?」
「いや、さっきまでの冷静な君はどこにいったのかと思うほど脳筋な考え方になったなって思って」
「まぁ確かにそうだけど。だが冷静に考えてみれば、術者2人よりも分身体を叩いたほうが打開できるかと思っただけだ。分身体のほうが弱くなると考えるのは普通だろう?」
「確かにそうだけど、魔天の力は高等技能を持っているから、術者が強いって言う関係になるわけじゃない。分身を作ることに特化した能力があるのなら、攻撃能力は自ずと低くなるはずだからね」
それを聞き入れ、カーティスは言う。
「なら今は様子見だな。敵側の能力が全くわからない以上、焦って動けば危険だ。様子見している間に、スポアの使い方教えてくれ」
突如別の話を振られたイレースは素っ頓狂な声を上げる。
「え?」
「いや、使えるんだろう? 一応戦闘が可能な人に含まれてるっていう言い方をイリアはしてたからな」
「そうだけど…………」
「あー、もしかして、苦手なのか? 戦闘が」
そう言われるイレースは、少し困った調子で声を上げ、意を決したように喋りだす。
「……この際だから言うけど、僕はスポアがうまく使えない。スポアを使うには、それをコントロールする別の能力が必要だ。でも今は、君がスポアを使うしかない。だから、今から言う感覚を実践してほしい。いい? スポアは自分の体の力を外に押し出すような感覚で出現させることができる。抽象的だけど、やってみて」
「わかった。やってみる」
カーティスは言われたとおりの感覚で、自らの身体に働きかける。
一番最初はほとんど何も感じなかったが、数分もすれば体全体からぼこぼこと何かが飛び出てくる感覚が全身を支配した。更に数分経てば、全身が裂けるような感覚とともに、大量のスポアが四方八方に伸び始める。さながらそれは、大きな花弁のようである。
しかし、その間インターホンはなり続けている。
「すげーな。これ」
「カーティス、物質化したスポアには絶対に触れるな。その状態になったスポアは、表面が幾つもの刃が連なったようなものだと思ってほしい。一振りするだけで凄まじい殺傷能力があるから、敵からの攻撃も喰らわないようにして」
イレースがカーティスに説明した瞬間、後方の扉が開け放たれる。
そこには、先程までインターホンを押したいたはずの分身体が佇んでいる。
黒色のローブの隙間から見える肉体はほとんど人のそれと変わらない。だが、部分的に色が紫色に変色しているようだ。よく見るとそれは、イレースの体から出ている物質化したスポアと同じようにみえる。
「こいつ、いつの間に一瞬で移動したんだ!?」
一方のカーティスは、大量のスポアを携えながら尤もな反応する。
「これだけの移動スピード……相当な手練と考えるのが妥当だ」
「とりあえずは、逃げることを優先しよう。これだけのスピードで動く分身体を操る本体がいるのなら、勝ち目なんてないからな」
カーティスは冷静に目の前の分身体を見据える。
対して分身体は、フードを外して、右腕をスポアに変形させて臨戦態勢に入る。右腕はまるでドリルのような形状になっていて、歪な回転を起こしながら奇怪な音を立てる。
そして、一瞬の隙間を残して凄まじい速さで右腕を大きく振り払う。
一瞬、イレースは視界がぐらついたが、すぐにカーティスがその攻撃を避けたことに気がつく。
視界が床に向いていることから、反射的に伏せたのだろう。
「すっげー速さだな」
「逃げられるの!?」
「今はわからんな。だが、よくわからないやつだ」
カーティスは、感覚的に目の前にいる敵が明らかな殺意がないように思えた。
今の攻撃が本当に殺意によってもたらされた物ならば、とっくに体を飛ばされてしまっているだろう。
そんな考察をしながら、カーティスは自らのスポアを分身に向けて攻撃しようとする。
だが、スポアは明後日の方向に飛ぶばかりで、一向に敵の方向に攻撃しない。
「ラジコンって言う表現、かなり当たってると思う」
カーティスは恨み言のようにそう言うと、適当にスポアを動かして感覚をつかもうとする。
一方の分身は自らのスポアの一部をへし折り、唯一の出口に貼り付け、巨大な肉壁を作ってしまう。
「なんだあれ。あんなこともできるのか」
「スポアはそもそも物質で、魔がいじれるのは形だけ。あれは完全に性質もいじってる。君の考察どおり術者は2人いて、こっちに攻撃してきてるみたい」
「反則だろ、出口塞がれたんだけど。やっぱり倒すしかないのか……」
そうこうしているうちに、カーティスはスポアの扱いに慣れてきたのか、だいぶ自由に動かすことができるようになっていた。
それに対して、イレースはひどく驚かされた。スポアの扱いに初回からここまで扱えるのは稀有という言葉では表現しきれないだろう。
もしかすると、カーティスにはスポアを操る天才なのかもしれない、イレースはふとそう感じながら、自らの持てる知識を話す。
「カーティス、聞き流す程度で構わないから、話をさせてほしい」
「大丈夫だ。できるだけ多くの情報がほしい」
そう言いながら、カーティスは、自らの体から出現した8本のスポアを器用に使い、分身体に攻撃を仕掛ける。
もちろんの事相手もただで攻撃させてくれるはずもなく、スポアの壁を用いて丁寧に攻守を行う。
それに対抗するため、カーティスは4本のスポアで攻撃を防ぎつつ、残りのスポアを少しずつずらして攻撃する。ずらして攻撃することで、細かな動きに気づかれないようにすることが目的である。流石にそこまで細かな動きはできないので、すべてのスポアが同じように動くだけであるが。
しかし、それが功を奏したのか、分身体は大きく仰け反る。
そして、その隙を突きカーティスは大振りな動きで分身体に攻撃を喰らわせる。
大きなスポアが差し込まれた分身体は、全く言葉を発さずにもがき苦しんでいる。
「スポアは物質だから、術者を殺してもエネルギーが自然消滅するまで消えない。それに、一度体外に出てしまうと鉄のように硬質化するから、もう出入り口から出るんじゃなくて、壁をぶち破って逃げた方がいい」
「確かにそのほうが良さそうだな。だが、これほどのことを計画して行っているのなら、ここで交戦したって言うことを考慮して、もう包囲されてると言っていい。あいつを倒して一旦冷静に状況を打開できる策を練ろう」
イレースはカーティスの言葉に同意する。
そして、カーティスは慣れた調子でスポアを用いて、八つ裂きにするように分身体を攻撃する。
すると、分身体は攻撃とともに活動を止める。そして、分身体はローブの隙間からどす黒い液体を垂らして項垂れている。
カーティスは、スポアを使って分身を地に叩き伏せるが、その瞬間分身体は液状になって何処かへ消えていく。
「……分身体という見解は正しかったようだな。しかし、インターホンからここに現れるまで異常に早かったが、そんな素早く移動できるものなのか?」
「わからない。あそこまで早い移動速度を付与することができるって言うことは、術者は相当なものだと判断するのが妥当だ。君の言ったとおり、最低でも2人だろう。で、問題はどうやってここから出て、区域Bへ行くかだ」
建設的な会話をするため、スポアは一旦しまい込み、カーティスは更に詳細な情報を求める。
「区域Bはここからどのくらいかかる?」
「走れば10分程度、歩けばその倍はかかるだろう。どっちにしてもそこまでの距離はないが、追跡される可能性は相当高いと思う」
「確かに、このまま外に出ても追跡されて一網打尽にされる。どうするべきか」
「カーティスはどうすればいいと思う?」
突如話を振ってきたイレースに対して、カーティスは目を丸くする。
「……俺の考えってことか? イレースのほうがいい案持ってるんじゃないの?」
「あれ程の分析力を披露しておいてそりゃないでしょ。一般人気取ってるくせに、修羅場でもかなり冷静だし」
「昔荒れてただけだよ。それに、こう見えても親の虐待で孤児院にいった身だからな。胆力くらいはあるさ」
「人間の世界も大変なんだね」
「思えば、先生がいてくれたから俺は真人間になれたかな。最初は先生とは思えないほど小柄なあの人にびっくりしたよ。いや、そんなことどうでもいいや。今はここから脱出することを考えよう。逆に、イレースは何か策があるのか?」
「ないよ」
「あんた意外にそういうことについて考えないんだな」
「…………情けない話、僕は戦闘がすこぶる苦手なんだ。というのも、スポアがほとんど扱えない。実は、僕の体はエネルギーにかなり恵まれた体なんだ。僕の体、人間の子どもとほとんど同じ体躯でしょう? 魔天は力の絶対値が外見年齢に反比例する性質がある。だから、外見年齢が幼ければ幼いほどに扱えるエネルギーが強くなる。僕の外見年齢は、幸か不幸か、最強クラスの力が宿っちゃったわけ。でも、それはスポアを扱う力とは関係ないから、結構いじめられたんだ。さっき、イリアが”雑魚”って言ったのはそういうこと。宝の持ち腐れって散々言われた。だからたくさん勉強して研究者になったは良かったけど、今度は政権争いに巻き込まれるなんて最悪だよ」
イレースの苦しそうな独白に、カーティスは同情するように声をかける。
「だからさっき……そんなことがあったなら仕方がよな。イレースもつらい日々を過ごしたって聞くと、少し安心する」
「え?」
「……てっきり、ガリ勉のエリートマンかと思ったからさ。一番好かないなって思って。でも違った。大きな苦労があって今のイレースがいるってわかれば、全然印象は違うもんだ」
「カーティス……」
「この体になってしまった以上、俺はあんたとして責任を持つ。だから、一緒に俺の体も探してほしい。お願いします」
この状況で、ふたりともそんなことが思っているが、ここに来て二人はようやく信頼関係を作るスタートを切った。
「勿論。でも、とりあえずこの状況はどうしましょう?」
「相手が動くまで待機」
「それしかないよね……」
カーティスは無慈悲にそう提案すると、イレースは仕方なさそうに肯定する。
しかしそこで、イレースは思い出すようにカーティスに言う。
「カーティス、ただ待ってるのもなんだし、机の上にある真空カプセルを使って、分身体の細胞片を採取しておいてほしい。あとで調べるから」
カーティスは勿論それに了承して、分身体のものと思われる細胞片を採取する。
それから、二人は一時間ほど待機し続けることになった。