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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
お祭りの季節は忙しいんですよ編
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チーズの試食

 今回はネパール軍駐屯地前で軍の偉い人に呼び止められて、一緒にチヤ休憩をさせられてしまったゴパルとカルパナであった。

 軍の偉い人が、カルパナのジプシーを見てニヤニヤしている。

「軍仕様じゃなくて民間向けだが、なかなか良い車だよな。小さくて荷物があまり積み込めないのが難点だが」

 カルパナがチヤをすすりながら、軽いジト目になる。

「パメの段々畑を回るには、このくらいの大きさがちょうど良いんですよ、叔父さん」

 笑って聞き流した軍の偉い人が、ゴパルに話を振った。

「そういえば、ヤマとかいう日本人が使っていたバイクだが、インドの盗賊市場で見つかったよ。一応、日本政府には知らせたんだが、ゴパル君にも教えておこう」

 ゴパルが目を点にしてチヤをすすっている。

「ひええ……インドまで流れていったんですか、ヤマさんのバイク」

 ゴパルの反応を見て楽しんでいる様子の軍の偉い人だ。

「盗難には気をつける事だな。インドまで取り返しに行くのは、なかなか面倒だぞ」


 チヤ休憩を済ませた後は、まっすぐにリテパニ酪農へ向かった。

 シスワ地区に近いので視界が大きく広がり、収穫を控えている水田が道の左右に続いている。道端の稲は、放牧されている牝牛や水牛、山羊どもによって食われてしまっているようだ。

 リテパニ酪農の駐車場に到着すると、レカが小走りで駆けてきて出迎えてくれた。服装は相変わらずのヨレヨレなサルワールカミーズでストールも無しだが。髪型もなんとなくボサボサである。

「らっしゃーい。新商品ができるかもー」

 ゴパルにもニマニマ笑いを直接向けている。もうスマホ盾は必要なさそうだなあ……と思うゴパルだ。


 事務所の応接間に入ると、クリシュナ社長とラジェシュが出迎えた。既にテーブルの上には試食用のチーズがいくつか並んでいる。

 挨拶を交わしてからクリシュナ社長がニコニコしながら、モッツァレラチーズを乗せた皿を手に取ってゴパルに見せた。

「ゴパル先生。乳酸菌で固めたモッツァレラチーズです。結構良い感じですよ」

 この乳酸菌は微生物学研究室で培養したものだ。その中から三種類を選んで混合培養して使っている。その一つはポカラで採取した乳酸菌だ。以前にカルナが持ってきたラプシの果実に付いていた菌である。


 多くのチーズでは、つくる際に凝固剤を使用する。

 伝統的なものはレンネットと呼ばれる子牛から採取した酵素なのだが、ヒンズー教徒が多いネパールでは使うのが難しい。そのため、毛カビの一種から分離した凝固成分を使用している。

 しかし、特許やら何やらがあって欧米から輸入しているのが現状だ。輸入するとなると、税関やら物流の問題で安定調達に不安が出てしまう。


 クリシュナ社長がニコニコし続けながら話を続けた。

「ようやく国産の凝固剤ができつつあって、幸先が良いですね」

 ゴパルがラジェシュからモッツァレラチーズを受け取って、早速一切れ口にした。幸せそうな表情になっていく。

「美味しいですよ、これ」

 レカがジト目になってゴパルの脇腹を小突いた。さすがに今のゴパルの体型はそれなりに引き締まってきているので、横腹の脂肪がボヨンと波打ったりはしていない。

「だーかーらー、もっと他に感想を言えー」

 ゴパルが真剣な表情になって、改めてもう一切れ口に入れた。

「……ええと、水牛乳の風味がはっきり出てますね。口当たりも滑らかで、弾力も良い感じです。それから、それから……」


 レカとラジェシュがニマニマ笑い始めて、クリシュナ社長が苦笑しながら口を挟んだ。

「ラビン協会長に頼んで、試食会をポカラで開いてもらう予定です。風味の評価とお披露目は、その時にしますよ。今回お呼びしたのは、その前にゴパル先生にお礼がしたかったからです」

 恐縮し始めたゴパルに、ラジェシュがニマニマ笑いを続けながら補足した。こうして見ると、笑い顔はレカとよく似ている。

「菌の安全試験はもう済んでいて、あとは商標登録だけなんですよ。本格的な生産は、それが終わってからになりますかね」


 なるほど……と素直に聞いているゴパルに、クリシュナ社長が今度は申し訳なさそうな口調に切り替えて謝ってきた。

「馬乳のチーズ化ですが、これは難航しています。クシュ教授から送ってもらった菌を使ったのですが、全てダメでした」

 こちらの話題には、気楽な表情になるゴパルだ。

「馬乳の成分に問題があるんですよ。凝固剤が効きにくいんです。世界中を見ても、馬乳のチーズ化に成功した企業はごく少数です。そんなに気にする必要はありませんよ。馬乳酒の方向で商品化すれば良いと思います」

 馬乳酒のアルコール度数は一般的にビールよりも低い。そのため、会社によってはアルコールを添加したり、糖分を多く入れてから発酵させたりして度数を上げている。


 ゴパルが別のチーズに手を伸ばして試食した。

「これはカマンベールチーズですね。白カビが上手く働いているようで良かったです。青カビチーズは……今一つかなあ。こちらはグリュイエール風のチーズですね」

 レカとカルパナが、青カビチーズと聞いて眉をひそめた。カルパナもチーズを試食しているのだが、青カビチーズ以外はニコニコして嬉しそうに食べている。

 その青カビチーズが乗った小皿から一歩引き下がったカルパナが、ゴパルに同意した。

「青カビチーズを食べると、舌がピリピリするんですよね……口当たりもザラザラしていますし。要改善だと私も思います」

 レカが少し青い顔になって、ゴパルのシャツの裾を引っ張った。

「ゴパルせんせー。まさか毒が混じってるとかー、ないよねー?」

 ゴパルが気楽な表情で首を振った。

「毒性試験は全て終えていますよ。問題ありません。セヌワで採取した青カビも有望だったんですけれどね……停電で腐ってしまいました。涼しくなったら、もう一度採取する予定です」


 そう答えてレカとカルパナを安心させてから、顔をクリシュナ社長とラジェシュに向けた。

「今回のモッツァレラチーズでは、三種類の乳酸菌を混ぜて培養しています。農家さんでも続けて培養できる事が分かりましたので、ほっとしました。いちいちチーズをつくる度に、混合菌を買うというのは面倒ですよね」

 クリシュナ社長とラジェシュが顔を見交わして、ニッコリと笑った。

「首都から買い続けるのは構わないんだが、燃料不足でトラックが走らなくなる時があると困るな」

 ラジェシュがゴパルに聞いた。

「ゴパル先生。培養できる回数って何回までが目安になりますかね? 永久に培養できる訳ではないでしょ」

 ゴパルが軽く腕組みをして思案した。

「……そうですねえ。とりあえず三回を目安にしてみてください。それ以上やってしまうと、種菌会社から怒られてしまいます」

 ニマニマ笑いをするクリシュナ社長とラジェシュ、それにレカだ。

「だよねー」


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