神様の山羊(山羊の神様ではない)
パメのカルパナ種苗店へ車で到着すると、カルパナの弟のナビンが店の前に柵を作っていた。挨拶を交わしたゴパルが聞いてみる。
「ナビンさん。この柵はいったいどうしたんです? 万引き被害の防止用ですか?」
首都の高級スーパーでは、客のバッグ等の手荷物を店内に持ち込ませない店がある。店のロッカーに手荷物を預ける決まりだ。さらに店内への乱入や、店内から逃亡するのを防止するために、簡易ゲートも設けてある。
ナビンが苦笑しながら否定的に首を振った。
「いいえ。神様に捧げられた山羊の侵入防止のためですよ。この時期になると増えてくるんです。売り物の花を食べてしまうんですよ」
ガランゴロンと安物の鈴を首にぶら下げた雄山羊がやって来て、ゴパルの尻に頭を擦りつけた。振り向いたゴパルに『メエエ』と鳴いて威嚇してくる。それで理解するゴパルだ。
「ああ……なるほど。カブレでもこの時期から増えてきます。手出しできないので面倒ですよね」
鈴付き雄山羊が、ナビンが張った柵にも頭や肩を擦りつけている。それを見ながらカルパナが、ビシュヌ番頭からチヤを受け取った。彼女も困ったような笑顔を浮かべている。
「水牛の場合もあるんですよ。座り込むと、道路を塞いでしまって、通り抜けるのに苦労します」
他には鶏やアヒルに鈴が付く事もある。いずれも神様に捧げられた証だ。これらは生贄にされる日まで、牛と同じく神聖な存在として扱われる。
外国人観光客はこれら鈴付きに近寄らない方が良いだろう。牛と同じなので、傷つけたりすると警察がとんできて捕まる恐れがある。
さて、これら鈴付き連中は、市場でも寺院でもどこでも出入り自由になる。さらに、何をしても咎められない。なので、こうして柵を張って侵入防止を図るしか対処方法がないのだ。
ナビンが面倒臭そうな表情で柵を作りながら、鈴付き雄山羊を眺める。柵それ自体は完成しているので、今はその補強作業中だ。
「俺って、これでも司祭なんですけどね……やれやれですよ」
ナビンのグチを、チヤをすすりながら聞くゴパルであった。
「司祭様の手製の柵なので、それなりに加護があると思いますよ」
その後は、いつも通りに三階のキノコ種菌工場に入って記録撮影をした。従業員もすっかり作業手順に慣れた様子で、テキパキと仕事をしている。
「連作障害の発生は起きていませんね。さすがです、スバシュさん」
照れているスバシュである。
「ゴパル先生やラメシュ先生から、事あるごとに殺菌消毒しろって言われてますからね。キノコ栽培を始める農家も増えてきましたし、忙しくなってきました」
ゴパルがナヤプルで見た状況を話して、その映像をスバシュに見せた。連作障害やネズミの食害が起きている。
「きちんとした技術指導ができるような普及体制を考えた方が良いと思います。失敗例が増えると、それだけ悪評が口コミで広まりやすくなります」
難しい表情をしながらも、素直に了解するスバシュである。
「分かりました。中核農家を育てるようにしますよ。普及員を育てても、農家じゃないと信用してくれませんしね」
実際、農業開発局の普及員は、あまり信用されていないのが現状である。講習を受けただけで実際に栽培をして経験を積んでいないので、問題が発生した際に対処できない場合が多い。また、数年で担当地域が替わるので、現地農家と親しくなりにくいという問題もある。
スバシュが少し困ったような表情をゴパルに向けた。
「サビーナさんが、マッシュルーム栽培を始めろって騒いでいるんですが……どうですかね?」
ゴパルが腕組みをして否定的に首を振った。
「マッシュルームの種菌それ自体は、ここで培養して製造できるはずです。ですが、菌床がこれまでのキノコとは違うんですよ。それが、ちょっと問題ですね」
マッシュルーム栽培では堆肥を使う。低温殺菌を済ませた堆肥なのだが、それでも雑菌の宝庫だ。同じ部屋で他のキノコを栽培すると、そのキノコの菌床へ雑菌が浸食する恐れが高い。
スバシュが同意して、肩をすくめた。
「ですよね。私も色々と勉強しましたが、別の部屋を設けた方が良さそうだと思いました。サビーナさんは、馬糞と小麦ワラで作った堆肥を推してまして……それで育てたマッシュルームが良いと言ってますので、なおさらです」
正確には厩肥なのだが、馬糞の量が少ないと見た目は堆肥っぽく見える。
ゴパルが両目を閉じながら頭をかいて答えた。
「家畜糞を使うと、雑菌による汚染が酷くなるんですけれどね……分かりました、ラメシュ君と相談してみます」
キノコ種菌工場の撮影を終えると、次はパメの段々畑巡りをする事になった。
鈴付き雄山羊は、柵を押しても店内への侵入は無理だと理解したようで、どこかへ去っていた。ほっとしているナビンがチヤ休憩をしている。ゴパルが階段を下りて店先に出てきたので、手を振った。
「この後で、他の家でも柵を作る予定なんですよ。本当に面倒です……ははは」
同情するゴパルだ。
「まだ暑いですから、疲れないように気をつけてくださいね」
一方のカルパナは、ナビンをからかって楽しんでいる様子だ。クスクス笑いながらチヤを飲み終えた。
「日頃、ゲームばかりして運動不足でしょ。これも神様からの忠告だと思いなさいな、ナビン。ダサイン大祭になったら、山羊の首切りであちこち回るんでしょ。体力づくりしておかないと、途中でバテてしまうよ」
ごもっともな忠告なので、ジト目になりながらも了解するナビンであった。
「ぐぬぬ……正論攻撃はずるいですよ、姉さん」
ゴパルが、そうかそろそろダサイン大祭の時期かあ……と思案する。今年は低温蔵での仕事が忙しいので、首都へ戻る余裕はなさそうだ。
カルパナがニコニコしながらゴパルに告げた。
「それじゃあ、段々畑を見て回りましょうか、ゴパル先生」




