トマトの摘芯とズッキーニ苗の定植
カルパナの車でパメに移動したが、やはり雨が降り続いていた。カルパナ種苗店の前にいったん車を停めて、店へ向かう。
ゴパルが種苗店の三階を見上げて、カルパナに頼んだ。
「すいません、カルパナさん。キノコの様子を撮影しても構いませんか? 前回は撮影していませんでした」
カルパナが素直にうなずいて了解した。
「はい。今日はスバシュさんが居ますから、大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。では、ちょっと上がって撮ってきますね」
そのまま種苗店の三階へ上がり、キノコ種菌工場をスバシュの案内で撮影していくゴパルであった。スバシュが作業員の仕事ぶりを褒めながら、ゴパルにニッコリと微笑んだ。
「雨期だと湿度が高くなって、種菌仕込みが便利になりますね。雨期明けから観光シーズンになりますんで、それに備えてキノコの増産を考えています」
ゴパルが撮影を終えて、満足そうにうなずいた。
「良い環境ですよね。雨が多いポカラはキノコにとっても育ちやすい気候です。エリンギの種菌が不足気味になるかもしれませんね。クシュ教授に知らせておきますよ」
エリンギの種菌は、今もバングラデシュの種菌会社から積極的に輸入している。ポカラで育てたエリンギと合わせて種菌を仕込んでいる状況だ。
スバシュによると、このエリンギは野生種なので品質のバラツキが生じているようだ。それでも許容範囲内だと言われて、ほっと安堵するゴパルである。
「それなりに安定しているようで良かったですよ。栽培種として安定するまで、まだ時間がかかると思います。それまでは、大規模生産は控えてくださいね」
スマホで時刻を見て、急いで階段を下りて一階に向かう。カルパナは花を買い求める客の相手をしていた。いつの間にか、いつもの野良着に着替えている。ストールもかけていない。ビシュヌ番頭は、別の客に花栽培の説明をしていた。
「お待たせしました、カルパナさん。まだ雨が降っていますが、段々畑を回りましょうか」
カルパナがビシュヌ番頭に後を頼んでから、ゴパルに微笑んだ。
「はい。傘をさして行きましょう」
二人共にレインウェアではなくて、普通の服装である。
まず最初に行った先はトマト畑だった。ゴパルが網柵の外からトマトを見て感心している。
「この大雨でも元気に育ってますね。病害虫も出ていないかな。トマトの花は……もう六段目ですか」
カルパナがうなずいて、少し残念そうな表情になった。
「はい。ここの地力ですと、この六段目までが限界です。七段目からは花の数が少なくなってしまうんですよ。ですので、一番上の芽を刈り取っています」
カルパナの口調が次第に寂しさを帯びていく。
「これ以上はもう育ちません。それにトマトの草勢が弱くなると、病害虫が出やすくなります。その予防も兼ねていますよ」
ゴパルがトマトの頂上を見上げて、目を凝らした。六段目の花房から、二枚ほど葉が出ているのだが、その先はバッサリと刈り取られている。摘芯と呼ばれる作業の跡だ。
「……ああ。言われてみれば確かに切っていますね。夏トマトもそろそろ終わりですか」
カルパナも見上げながら、否定的に首を振った。
「この畑ではそうですね。ですが、定植時期をずらして栽培していますので、他の畑ではまだ収穫が続きますよ」
病虫害の話が出たので、ゴパルがカルパナに報告した。
「そうだ、カルパナさん。桑の葉の続報がありました」
スマホを操作して、ラビ助手からのメールを表示させる。それを見ながら話を続けた。
「葉の成分を調べたのですが……虫が幼虫からサナギに変化する際に必要なホルモンがあるのですが、それに作用する事が分かったそうですよ。サナギになるのを失敗させる働きがあるそうです」
一般に昆虫は、幼虫の時期に数回ほど脱皮を繰り返して成長し、その後サナギになる。生物用語ではこれを変態と呼ぶ。特に幼虫からサナギに変態する事を蛹化という。この際に働くのが幼若ホルモンだ。
桑の葉の成分は、この幼若ホルモンの働きを阻害するらしい。結果として不完全な蛹化になり、成虫に変態できなくなる。
なお、幼若ホルモンは昆虫に特有のもので、人間や家畜には存在しない。そのため人間が桑茶を飲んだり、牛が桑の葉を食べても特に害は出ない。
「安全な農薬として使えるかもしれないとラビさんが言ってました。それと、幼虫をサナギにさせない成分も見つかったそうで、魚の餌として使えるかもしれませんね」
幼虫がサナギになれないまま成長して大きくなると、魚にとっては大きな餌になる。サナギでは食いつきが悪い傾向があるので、元気に動く幼虫の期間が長いほど便利なのだ。
カルパナが傘をさして畦道を歩きながら、興味深く話を聞いている。
「思った以上に凄い効能がありそうですね。ですが、桑の葉エキスから薬効成分を抽出したモノは、残念ですが有機農法の使用基準に違反します。農薬を使う一般の農家さん向けになりますね」
ネパールでは農薬の自国生産をしていないので、たびたび農薬不足に陥る。そういうリスクがあるので、桑の葉エキスのような代わりになる農薬があれば安心だ。
ゴパルもカブレで叔父叔母達が農業をしているので、理解できている様子である。
「ラビさんの過労が気になってきますけれどね。育種学研究室をもっと大きくしないと、人手不足になってしまうかも」
カルパナが同情して肩をすくめた。
「どこでも人手不足ですよね。さて、ズッキーニの畑に着きました。昨日、苗を定植したばかりです」
ズッキーニの苗は、本葉が四枚以上に育った段階だった。これはどちらかといえば乾燥した場所を好む野菜だ。今は雨期なので、高さ二十センチの高畝で対応している。畝の幅は一メートルで、そこに九十センチ間隔で一列に苗を定植していた。
ゴパルがスマホで撮影をする。苗の周囲に刈り草が敷かれているのを見て、カルパナに聞いた。
「乾燥した方が育ちやすいのですよね。刈り草を敷くと、保水力が上がって過湿になってしまいませんか?」
カルパナが足に付いた吸血ヒルを取って踏み潰しながら、穏やかな表情で答えた。
「そうなのですが、ポカラの雨は強いんですよ。刈り草で覆っていないと、畝が雨に打たれて崩れてしまうんです」
そういうものなのか、と納得したゴパルであった。カブレや首都ではそこまで雨が強く降らない。
再び雨が強く降ってきた。傘に当たる雨粒がバチバチと音を立ててしぶきを立てる。足元も泥跳ねを被って泥だらけになりつつあった。
「今日はここまでにしましょうか、ゴパル先生。ズボンの洗濯が大変になりそうです」
カルパナの野良着も、膝から下が泥跳ねだらけになってきていた。
ゴパルが即答で了解する。
「そうですね。撤退しましょう、そうしましょう」




