ルネサンスホテル
ジプシーで走っていると雷雨になった。亜熱帯のポカラらしい豪雨になっていく。カルパナがレイクサイドの通りを徐行して進みながら、ほっとした表情になった。
「車ですと雨に濡れなくて便利ですよね」
雷が鳴る豪雨なので、通りには人影がかなり少なくなっていた。
しかし、放牧されている水牛や牝牛が道路の中央を堂々と歩いているので、ゆっくりと走らないといけない。道路の中央にいる水牛や牝牛には、ヘッドライトを照射して追い払っていく。
「電気自動車は静かすぎて、牛たちがなかなか逃げてくれないのが難点です。こら、どきなさい」
カルパナが器用に車のバンパーを水牛に押し当てて、ヘッドライトを点滅させてパッシングした。さすがにこうすると水牛も逃げだしていく。ちなみにクラクションを鳴らしても、あまり追い払う効果はなかったりする。
そんなこんなでダムサイド地区に入ると、今度は人だかりができていた。農家ばかりで、何やら怒っている様子である。
カルパナが見知っている農家の人に挨拶して聞いてみた。
「こんにちは、酷い雨ですね。濡れて風邪をひいてしまいますよ。何か起きたのですか?」
その農家のオッサンが、カルパナを見て慌てて合掌して挨拶を返した。
「あわわっ、これはカルパナ様っ。本日はお日柄もよろしく……あ、しまった。雨か」
話を聞くと、どうやら支援隊員の関連で怒っていると分かった。カルパナとゴパルが顔を見交わす。
農家のオッサンが豪雨でずぶ濡れになりながら、カルパナに訴えてくる。
「仕事を放棄して、この辺りの家に引きこもっているって聞いたんですよ。種とか肥料とか、今の時期なら農薬を撒かないといけないのに、その注文ができない有様でして。カルパナ様からもきつく仰ってください」
集まっている農民はカリカ地区から来ているという話だった。
その支援隊員もカリカ地区で農業普及の仕事をしていたそうなのだが……農業局の上司や現地事務所の普及員とケンカをしてしまったようだ。
ゴパルがジト目になって、ため息をついた。
「……それで、ひねくれて仕事をしなくなったんですか。困った人ですね」
そういえば、ヤマさんもカリカ地区へバイクで行って、川流れしたんだっけ……と思い起こす。何やら続けざまに起きている。
(これ以上、仕事が増えるのは勘弁してほしいんだけどな。養鶏が加わったばかりなのに)
カルパナが真面目な表情で農民たちの訴えを聞き終えて、うなずいた。
「分かりました。農業開発局には知り合いが居ますので、彼に対策を講じてもらいましょう。この豪雨では本当に風邪をひいてしまいますよ。とりあえず今は、どこかで雨宿りしてくださいな」
カリカ地区はパメから遠くて、ポカラ市街を挟んだ向こう側にある。そのため、バッタライ家の影響はそれほどない……はずなのだが、ほぼ全員の農家が一斉に従った。
「ハワス! カルパナ様」
そう言って、ゴパルがするような適当な敬礼をして、雨宿りをするために茶店へ移動を始めた。
ゴパルが目を点にしているので、コホンと小さく咳払いをするカルパナである。耳の先が赤くなっている。
「バドラカーリー寺院が近くにありますので、それなりに交流があるんですよ。それだけですからねっ。決してバッタライ家の勢力圏ではありませんよっ」
パメやチャパコットは勢力圏のようだ。
すぐにカルパナがスマホを取り出して、農業開発局長に電話をかけた。すぐに電話がつながり、カルパナが簡単に事情を説明した。それから一言二言ほど話をして電話を終える。
小さくため息をついて、停車モードから走行モードに戻した。ゆっくりと静かに車が動き始める。
「先方も事情は知っていました。すぐに対策をとるそうです。普及員が不足しているので、外国からのボランティアを採用しているのですが、色々と問題が起きやすいみたいですね」
カリカ地区にはグルン族の集落が多い。そのため、ネパール語の他にグルン語も必要だ。グルン語は地域によって方言が大きく異なり、カルパナやゴパルでもグルン語は話せない。こういった状況なので、カリカ地区での農業普及は外国人にはハードルが高い。
ルネサンスホテルに到着して、車をホテルの入り口前に停める。ゴパルを車から降ろして、カルパナが運転席から手を振った。
「ではゴパル先生は、ゆっくり休んでください。私は農業開発局へ顔を出してきます」
ゴパルがホテルの入り口に小走りて移動して、雨を避けながらカルパナに手を振り返した。
「今日はありがとうございました。来週また下山する予定ですので、日程が決まりましたらチャットやメールで知らせますね」
カルパナが運転するジプシーを見送って、ゴパルが軽く背伸びをした。
「カルパナさんも大変だなあ……さて、私も教授宛に報告書とか書いて送らないと」
しかし、腹がぐうと鳴ったので、昼食を先に摂る事に変更するゴパルであった。




