鶏舎を見てみよう
鶏舎は密閉式のドーム型ではなくて、高床式だった。壁は無くて、細かい目の金網が二重になって鶏舎を囲んでいる。外側と内側の金網には少し距離があり、野鳥との接触機会をこうやって防いでいるという話だった。
屋根にはABCの民宿でも使われている、雨が降っても音がしなくて断熱効果も高い素材を使っているようだ。色も真っ白で太陽光を反射する仕様になっている。
鶏舎は高床式なのだが、蛇やネズミ、イタチなどの侵入を跳ね返すために、大きな傘型の『返し』が全ての柱に取りつけられていた。作業員が鶏舎に入る際には、跳ね橋を渡る仕掛けだ。
カルパナがクスリと微笑んだ。
「バフン階級の集落みたいですよね。私達って分散して家を建てて住みますし」
バフン階級では、子供は大人になると独立して家を構えるのが伝統だ。一つの家に親子親戚が集まって住む習慣はない。ただ、この時代では土地や家が高価になっているので、ゴパルのようにいつまでも親の家に住み続ける輩も多いようだが。
ちなみにバルシヤ社長はチベット系民族なので、一つの家に集まって住むタイプになる。レカやカルナも同様だ。
ゴパルが白い石灰エリアを歩きながら、バルシヤ社長に聞いた。
「この石灰ですが、ポカラでは雨が多いので流されてしまいますよね。撒き直しする手間とか、大変でしょう」
鶏舎の周囲数メートル圏内には、石灰を厚く散布している。病原菌やウイルス、寄生虫などに感染した野生生物を近づけさせないためだ。ちなみにネパールには石灰鉱山があるので石灰は安く手に入る。
バルシヤ社長が困ったような笑顔を浮かべた。
「そうですね、ははは……政府が決めた事なので、サボると違反した事になってしまうんですよ。さて、この鶏舎でいいかな。ちょっと入ってみましょうか」
跳ね橋を渡って鶏舎に入ると、鶏特有のもったりした空気と臭いを感じるゴパルであった。
ここは産卵鶏の鶏舎という事で、床には分厚くもみ殻が敷かれていて、産卵用の箱が並んでいた。鶏はこの箱に入って産卵する……のだが、中にはいい加減な鶏も居るようで、箱の外で産む事も多いらしい。
実際、今も数名の作業員が産卵箱の外を歩き回って、産み捨てられた卵を回収しているのが見える。
鶏舎内には仕切りがなくて、代わりに多くの止まり木が設けられていた。その枝に多数の鶏が留まっている。
ゴパルが興味津々の表情になった。
「へえ……カブレの養鶏農家とは違う飼育方法なんですね。カゴに入れて閉じ込めていなくて開放的というか」
普通の産卵鶏農家では、ケージ飼いといって金属製の小さなカゴに鶏を入れて飼う事が多い。
カゴは横に並べて一列にし、その列を上下に重ねて多層式にして飼育密度を上げ効率化している。カゴの大きさも国や地域によって違うのだが、ネパールでは三羽以下にしている農家が多いようだ。
カゴ列の下には巻き取り式の布が敷かれていて、鶏糞や羽をそれで受け止める。布を巻いて手動型のベルトコンベアのようにして、堆肥づくりの場所へ運ぶ。
このバルシヤ養鶏では、そのシステムは採用していなかった。そのため、作業員がスコップを使ってかき集めて、糞や羽を鶏舎の外に運び出していた。
カルパナが少しいたずらっぽく微笑んで、バルシヤ社長を見つめた。
「もう既に、KLと光合成細菌を使っているじゃないですか」
キョトンとするゴパルの横で、バルシヤ社長が頭をかいて笑い始めた。
「はっはっは。早くもばれてしまいましたか。さすがカルパナさんだな。使い始めて一か月くらい経ってます。悪臭やハエがほとんどないでしょ」
言われてようやく気がついたゴパルだ。袋帽の上から頭をかいて、両目を閉じた。
「……そういえば、カブレの養鶏場と比べると悪臭やハエが少ないですね。どのような使い方をしているんですか?」
バルシヤ社長がドヤ顔になった。
「リテパニ酪農のやり方を参考にしていますよ」
KL培養液と光合成細菌を水で薄めて使っていると話してくれた。鶏糞や破卵には五十倍希釈、もみ殻の床面や餌には百倍希釈、飲み水や空中散布には千倍希釈にしているらしい。
「ここは涼しいので、霧状散布はあまり必要ないんですけどね。ノミやダニが少なくなったような気がしてます」
ゴパルとカルパナが白い長靴を見ると、確かに何匹かノミが付いていた。カルパナが軽いジト目になってノミを潰す。
「養鶏農家の悩みの一つですよね、このノミ。殺虫剤を撒けば片付くのですが、安くないんですよ」
この時代では、薬剤耐性のノミも多い。そのため、ノミの遺伝子を破壊する殺虫剤が普及し始めていた。しかし、まだまだ高価だったりする。
ゴパルは微妙な表情だ。腕組みをして首をひねって呻いている。
「うーん……KLや光合成細菌には、ノミ退治できるような菌種は入っていませんよ。減ったように見えるのは多分、気のせいかと。可能性としては、ノミやダニの腸内にいる菌を破壊したのかもしれませんが……」
バルシヤ社長はご機嫌なままだ。
「仕組みの研究については、学者に任せますよ。養鶏企業の社長としては、KLと光合成細菌とで儲けが出そうなのでそれで十分です」
続いて、ブロイラーの鶏舎に移動した。ブロイラーは食肉用の鶏の特定の品種を指すのだが、地鶏を除いた肉用鶏全般を指す意味もある。ここでは後者の意味合いだ。
ここはもみ殻を敷き詰めておらず、板敷きの床だった。そのため、床下には鶏糞や羽が積もっていた。それなりに悪臭がしているのだが、ゴパルが感心している。
「むむむ……やはりここでも、あまり強い悪臭ではないですね。KLと光合成細菌が効いているのかあ……凄いな」
カルパナとバルシヤ社長が、顔を見交わして笑っている。バルシヤ社長が少し呆れ気味にゴパルに忠告した。
「開発者がそういうセリフを吐いてはいけないと思いますよ。養鶏でも様々な微生物資材の売り込みが来ますが、皆、堂々としています」
カルパナがクスクスと愉快そうに笑っている。
「本当に、商売向きではありませんよね、ゴパル先生って」
ゴパルが頭をかいて背中を丸めた。
「すいません。最初に研究論文のネタになるかどうかを考えてしまう癖がありまして。発言には注意するようにします」
そうは言っているが、これまでの約一年間まるで成長していないゴパルである。
さて、このブロイラーでもKLと光合成細菌の使い方は同じだとバルシヤ社長が話してくれた。興味深く聞いているゴパルの横で、カルパナが一つ提案する。
「サビちゃんが時々言っているのですが、餌で何か他の産地と違う所を見せてはどうですか? 例えば、この周辺で採れる毒のない野草を餌に混ぜるとか、ミミズを養殖して与えるとか」
バルシヤ社長が腕組みをして少し考えた。
「……そうですねえ。配合飼料も年々値上げしていますし、コスト削減の一つとして考えてみましょうかね」
さらに少し考えて話を続ける。
「ミミズ養殖では、土ボカシを使えば良いんですよね。ベグナス湖やルパ湖に民宿やレストランが建っているので、その生ゴミを使えば何とかなるかな」
野草については問題はなさそうである。この周囲には耕作放棄地が多く、森林化している所もあるためだ。
一通り鶏舎を見てから、ゴパルがバルシヤ社長に感想を述べた。
「上手くいっていますね。私からは特に何も指摘する事はありません。すいません、お役に立てなくて」
バルシヤ社長が愉快そうに笑った。
「はっはっは。見ての通り、鶏舎には関係者以外入る事ができません。私が試行錯誤して色々と試すしか方法がないんですよ。ゴパル先生やカルパナさんに頻繁に来てもらって、それで運悪く病気が発生してしまうと、双方にとって悲しい事になりますからね」
カルパナも理解したようだ。
「そういう理由だったのですね。これまで何度か訪問したいと申し出ていたのですが、毎回断られました。代わりにリテパニ酪農や養豚団地での映像を送ったのですが、それを見て研究していたのですね」
バルシヤ社長が申し訳なさそうな表情をした。
「鶏って、ちょっとしたストレスで死んでしまうんですよ。豚や牛ほど強くないので、慎重になります。あの映像資料はとても有用でしたよ。私のようなKL素人でも、こんな風に使えるようになりましたしね」
照れているカルパナとゴパルに、バルシヤ社長がニッコリと笑みを向けた。
「では、今日の本題に入りましょうか。ちょっと実験してみたい事がありましてね、助言をもらえると助かります」
顔を見交わしたゴパルとカルパナに、目をキラキラ輝かせるバルシヤ社長だ。
「ガチョウと鴨の飼育なんですが……フォワグラとキャナールの生産ですね」




