あっちこっちで土砂崩れ
クシュ教授とのテレビ電話が終わると、ダナがフラフラとした足取りで低温蔵から出ていった。
「わびしくなったので、ちょっと外を走ってきます……」
「転んでケガをしないようにね。骨折しても、今はポカラへ治療に行けないぞ」
ダナの背中を見送っていると、スマホ画面にカルパナの顔が映し出された。少し日焼けが収まってきているように見える。
「こんにちは、ゴパル先生。ポカラは雨続きで大変ですよ」
やはり、あちこちで土砂崩れが起きているらしい。段々畑の畦道も、ヤマ氏の車転落事故の後で総点検が行われた。
その結果を基にして補修工事を進めているという事だったが、それでも間に合わずに崩落した畦道が出たとカルパナが残念そうに話してくれた。
「KLの実験をしている畑は大丈夫なんですが、畦道が崩れてしまって。ちょっと遠回りになりますが、行き来はできますよ。明日には補修が終わる予定ですので、次にゴパル先生が下りてくる頃には元通りになっているはずです」
ゴパルが頭をかいて両目を閉じた。
「その下山なのですが、さっき登山道で土砂崩れが起きたという知らせが入りました。復旧までに数日間かかるとアルビンさんが言っていますので、当面は下山できません。すいません、カルパナさん」
カルパナが不安そうな表情になった。
「それは災難ですね。食料や燃料は不足していませんか?」
ゴパルが努めて明るく答えた。
「アルビンさんによると、備蓄しているという事ですので当面は問題ないかと思います」
カルパナも安堵して、今度は少しいたずらっぽい表情をした。
「明日はサラワンパンドラですしね。ご飯の代わりにキールを食べる日ですから、甘い物を食べて落ち着いてくださいな」
サラワン月は、西暦太陽暦の七月中旬から八月中旬にかけての期間を指す。その十五日目に行う儀式だ。朝食ではご飯の代わりに、米と牛乳と砂糖を混ぜて粥にしたキールと呼ばれる甘い食事を摂る。
当然のようにすっかり忘れていたゴパルであった。頭をかいて両目を閉じながら背中を丸める。
「そうでしたね……牛乳ではなくて脱脂粉乳の粉になると思いますが、アルビンさんに聞いてみます」
この後にもテレビ電話をする予定が入っていたので、雑談をここで済ませて本題に入る事にしたゴパルとカルパナだ。ダナはまだ戻ってきていない。
カルパナによると、パメでは早生品種のタマネギ栽培の準備を始めたらしい。今の季節は雨期なので、ハウスの中ではなく外の畑に苗床をつくっている。
千平米あたり、植物質堆肥に落ち葉と青刈り雑草を加えたものを二トン、水牛の骨粉を百キロ、鶏糞を三百キロ、鶏や魚の肉骨粉を百六十キロ、生ゴミボカシを三十五キロ施肥したと説明してくれた。
その後で、光合成細菌とKL培養液、糖蜜をそれぞれ十リットル取り、水で百倍に薄めた液を散布している。
「最後に、苗床を深さ五センチくらいで耕します。土が出来上がるまで待ってから、タマネギの種蒔きをするつもりですよ」
ゴパルがスマホで録画しながら、メモも取ってうなずいた。
「記録しました。浅く耕しているのは、雨期で土が濡れているからですか?」
カルパナが軽く否定的に首を振って答えた。
「それもありますが、雑草対策の方が大きいですね。深く耕してしまうと、雑草の種が畑の表面に出てきて発芽してくるんですよ」
土中深い場所で休眠していた雑草の種が、耕す事で表層に移動して発芽してしまう……という意味だ。
「この時期は土が濡れていますから、草取り作業が大変なんです。それを少しでも軽くするための五センチ耕ですね」
ゴパルがカルパナと雑談を交わしていると、別のテレビ電話が割り込んできた。その通知を見て、カルパナがほっとした表情を浮かべている。
「マナンからですね。電波状態が良いみたいで安心しました。ソナムさん、こんにちは。競馬祭りは盛況ですか?」
ソナムの顔が映った。
マナンの空模様も小雨のようだ。かなり分厚い雨雲がマナンの谷を覆っているので、残念ながらアンナプルナ連峰の姿は見えない。
相変わらずの少し色あせたカウボーイハットを被ったソナムが、ニコニコしながら答えた。気温が結構低いようで、チベット服の上に厚手のジャケットを羽織っている。今日は祭りの日なので、さすがに無精ヒゲを剃っていた。
「こんにちは、カルパナ先生、ゴパル先生。ちょうど良いタイミングで馬が出走しますよ」




