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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
ポカラは雨がよく降るんだよね編
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通行止め

 西暦太陽暦の七月終盤になると、ネパール全土では大雨が降る。その影響で、土砂崩れや道路の通行止めが増えてきていた。

 危惧していた通り、多くの水力発電所では土砂詰まりが起きて発電量が低迷している。幹線道路でも土砂崩れが起きて、通行止めや片側通行といった交通制限が生じていた。それに伴って、トラックによる燃料輸送が滞る。やはり今年も燃料不足、計画停電である。


 低温蔵があるABCでも、影響が出ているようである。民宿ナングロのアルビンが、ため息をつきながら低温蔵へ入ってきた。

「ゴパル先生、ダナ先生、ヒンクの洞窟とセヌワの間で土砂崩れが起きました。数日間は行き来できそうにありませんね」

 パソコンに何か入力作業をしていたダナが天を仰いだ。

「うへえ~マジですかあああ……僕が当番の時にこんな仕打ちはないですよ、神様あああ……」

 ダナ君が信仰している神様って何だっけ……とゴパルが考えていると、アルビンが軽く肩をすくめて話を続けた。

「ここでは、土砂崩れとか雪崩は時々起きますよ。備蓄はしていますんで、それほど心配しないでください。水と電気は問題ありませんしね。しばらくの間は、陸の孤島ってのを楽しんでくださいな」


 ダナが落ち込んで、机に突っ伏して黙ってしまった。

 その丸まった背中を眺めながら、そういえばダナ君も少し引き締まってきているよね、と思うゴパルである。仕事もキリの良い段階に達したようで、軽く背伸びをしてアルビンに顔を向けた。

「チヤ休憩でもしましょうか、アルビンさん。そろそろ、テレビ電話をする時刻にもなりますし、食堂へ移動しましょう」


 食堂へ入ってチヤとビスケットの休憩をしていると、ゴパルとダナのスマホにテレビ電話がかかってきた。

 二人がポケットからスマホを取り出してアプリを起動させると、クシュ教授の顔が映し出された。彼もチヤ休憩をしていたようで、チヤが入ったグラスが手元に置いてある。

「やあ、ゴパル助手、ダナ君。電波の状態は悪くなさそうだね。動画に若干の遅れが出ているくらいかな。首都は雨続きで、洗濯物が乾きにくくて困っているよ」

 首都の大気汚染は雨期の間でも相当に酷い。なので、クシュ教授の家では乾燥機を使っていると聞いていたのだが……

(ああそうか。計画停電の影響かな)

 ゴパルが想像したが、天気の話なので聞き流した。代わりに、ついさっき起きた土砂崩れによる登山道の通行止めの情報を話す。

「……こんな状況のようです、クシュ教授。ダナ君には、もうしばらく低温蔵に居てもらう事になりそうですね」


 虚ろな目をしているダナをチラリとクシュ教授が見てから、真面目な口調で了解した。

「仕方があるまい。ネパールは山国だからね。低温蔵の登山道は車道ではなくて、ロバ隊や登山客が歩く道だから復旧もすぐに終わるだろうさ」


 クシュ教授がアルビンに、ゴパル助手とダナの世話を頼むとお願いしてから本題に入った。

「では、交流会には不参加という事で進めておこう。こちらにはラメシュ君とスルヤ君が居るから、人手は足りるはずだ」

 交流会は、KLを製造販売している会社が開催している。参加するのはバクタプール大学の微生物学研究室と、米国やドイツ、日本の微生物資材製造会社と関連大学だ。

 KLは多様な微生物を混ぜて培養したもので、ネパールでも首都とポカラとでは菌の組成が違っている。別の国となれば、その違いはさらに大きくなる。

 ゴパルの言動を見ていれば想像がつくかもしれないが、KLについては分からない事だらけである。そのため、こうして各国の間で情報共有をして議論する場を設けているのだ。

 ただ、学者が多く参加する交流会なので、専門用語の嵐になるが。しかも学会のノリになるので、皆ケンカ腰だ。


 クシュ教授が含み笑いを浮かべながら話を続けた。

「今回は、ポカラでやっているミカン復活事業についても話題にする予定だよ。ゴビンダ教授は逃げたので、ラビ助手に参加してもらう事になった」

 ゴパルとダナが目を閉じて呻いた。ゴパルの脳裏に、ラビ助手が鶏のように白衣をパタパタさせ、目をグルグル回して狼狽している未来が浮かぶ。

「ミカン復活事業は、いつの間にか共同事業になってしまいましたね。先日聞いたのですが、相当に忙しくなっているようですよ」

 クシュ教授が含み笑いを続けながらうなずいた。

「微生物学もそうだが、育種学でも新しい技術や知見が生まれ続けているからね。その勉強をしながらミカンの研究するのだから、忙しくもなるさ」


 クシュ教授がゴビンダ教授から聞いた話によると、異種の植物でも、花粉を受粉させる事ができるようになりつつあるらしい。

 普通は、種類が異なる植物では花粉を付けても受粉しないので実がならない。その受粉させない機能を持つ遺伝子が発見されたので、こいつを操作する事で異種間でも受粉できるようにする研究が進んでいるらしい。


 ゴパルが軽いジト目になって呻いた。

「微生物学でもゲノム編集とかやってますから、あまり悪くは言えませんけど……植物の掛け合わせがさらに盛んになりそうですね」

(カルパナさんや隠者さんが怒りそうな話だよなあ……)


 その後は交流会後の食事会の話になった。今回は首都で開催するので、日本料理店『御柱』に行くとクシュ教授が教えてくれた。どうやら気に入ったらしい。

「ネパール料理やインド料理にしたい所なんだが、香辛料を苦手にしている参加者が多くてね。ピザ屋でも良かったんだけど、結局ここに決まった」

 カトマンズ盆地内やその周辺地域でも、KLや光合成細菌を使う農家が増えてきているらしい。そのため板長の石氏と相談して、いくつか取り寄せて料理してみる事になったと、クシュ教授がニコニコしながら話してくれた。羨望の目になるダナである。

「うへ~……参加したかったなあ」

 一方のゴパルは余計な仕事をせずに済みそうなので、口元が緩んでいるようだが。


 クシュ教授が微笑みながら、KLを使ったポカラ産の食材も使おうかと検討したと話を続けた。

「だけど、この雨で土砂崩れが起きるリスクが高いのでな。ラビン協会長やカルパナさんには申し訳ないが、今回は使わない事にしたよ。代わりに、サビーナさんを呼んで何か料理を作ってもらう案を採用した」

 ゴパルが素直に納得している。

「今はポカラも閑散期ですしね。飛行機を使えば日帰りできます。欧米の参加者は日本食だけですと戸惑うかも知れませんから、サビーナさんに欧州の家庭料理を作ってもらえれば喜ぶと思いますよ」

 ゴパルの言葉に、クシュ教授も素直に同意した。

「うむ。ワシもそう思う。で、そのサビーナさんから料理を二品提示されたんだが、どう思うかね? ゴパル助手」


 送信されてきたファイルを開いて、ゴパルが読み上げる。

「ええと……『ニジマス、コイ、テラピア、ナマズ、ザリガニのクリーム煮』と『コック・オー・ヴァン』ですか。どちらも家庭料理ですね」

 少しの間考えてから、気楽な表情で話を続けた。

「居酒屋で食べるので、雰囲気に合って良いと思いますよ。酔いどれの支援隊員にさえ気をつければ問題ないでしょう」


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