チョコラテ
ロビーでの立ち話を終えて、会議室へ移動するゴパル達だ。部屋では既に料理の準備が整っていた。サビーナが調理器具をチェックして、レカにカメラの設置場所を指定する。
「ん。その辺りに固定カメラを置いて。料理動画を見た人から、カメラの位置が悪いって文句が入ったのよ」
レカが三脚の上に固定カメラを設置して、自動追尾モードにした。サビーナの顔と手を追い続けて自動撮影をするプログラムである。
「ディーパクせんせーがプログラムを組んだんだけどねー、不具合があったから直してもらったー。これからは大丈夫だぜー、地獄の果てまで追いかけるぜー」
途中から、インド映画のセリフを真似て口にしているようだ。
ゴパルの表情をじっと見たサビーナが、レストランの厨房に命じてカプレーゼとパン、それと小さめのピザを持ってこさせた。
「ヤマ騒動でお腹が空いてるでしょ。とりあえず、これで一時しのぎしなさい」
ゴパルが頭をかきながら礼を述べる。
「助かります。実はお腹がかなり空いていまして……」
早速、カプレーゼを食べて頬を緩めた。
「うわ。トマトが美味しいですね。モッツァレラチーズもいつも通りの良い風味です」
レカがドヤ顔して、彼女用に出されたカプレーゼを口に運んだ。
「雨期でも変わらない美味しさ~水牛元気で今日も美味い~」
どうやら水牛をモモにして食べてはいないようである。ゴパルがレカに同意すると、レカがちょっとだけ真面目な表情になった。
「ゴパルせんせーありがとねー。KLのおかげで、すっごく安定してきたー」
そう言ってから、カプレーゼの皿を指さす。
「全部にKLを使ってるよねー。オリーブ油だけは途中からだけどー」
レカに指摘されてみて、初めて気がついたゴパルである。再び頭をかいて首を引っ込めた。
「その通りですね。すいません、空腹で気がつきませんでした。KLと光合成細菌が積極的に使われると嬉しいものですね」
サビーナもカプレーゼをパクパク食べながら、少し呆れ気味に微笑んだ。
「撮影の前に出して良かったわ。空腹で注意散漫になってたら、肝心の感想が適当になってしまいかねないわね」
さらに首を引っ込めて背中を丸めたゴパルを、もう少しからかってからカルパナに顔を向けた。
「この夏トマトだけど、カルちゃん。良い出来ね。これもKLのおかげ?」
カルパナはカプレーゼを幸せそうな表情で食べていたが、サビーナに聞かれて素直にうなずいた。
「そうだよ、サビちゃん。土づくりと種処理からKLと光合成細菌を使ってる。かなり違ってくるよね」
ゴパルが両目を閉じて白状した。
「KLの開発者の一人なんですが、美味しいトマトとモッツァレラチーズができて驚いています。研究室での実験だけでは、こういうのって分からないですね」
サビーナがニヤニヤ笑いながらカプレーゼを完食し、ピザを一枚平らげた。
「とりあえず、これで一つの結果が出せたわね。パンとピザの感想もよろしく。自家製酵母のブレンドで発酵させた生地を使ってるんだけど、雨期に入ってさらに種類が増えたらしいわよ」
ゴパルがピザを食べながら感心している。
「パン工房長さんって、本当に研究熱心ですよね。ジリンガパスタまで研究しているんでしょ」
レカもピザを食べ始めて、ニマニマ笑いを浮かべている。
「ゴパルせんせーよりも研究者って感じー。軽率な事とか言わないしー」
素直に反省するゴパルだ。
「ですよねー。よく考えてから行動しないといけませんよね。気をつけるように自分に言い聞かせます」
そんなゴパルの決意は、会議室に居る全員が聞き流しているようだが。サビーナが水を飲んで口直しをして、調理台に向かった。
「さて、それじゃあ始めるか。最初は飲み物が良いわよね」
サビーナが最初に作り始めたのはチョコラテだった。
「ゴパル君がスリランカに行ったでしょ。それが縁で入手できたのよ」
そう言って、カカオ粉末でできた団子をミキサーに入れた。さらに牛乳や砂糖を足して熱湯を注ぎ入れる。
「このカカオ粉は、規格外品でチョコやココアなんかにできないヤツ。スリランカのチョコ工場の稼働時期からずれて収穫されたカカオ豆もあるかな」
生のカカオ豆はそのままでは使えないので発酵させてから焙煎している。焙煎後、香辛料をすり潰す要領でカカオ豆の殻を取り除いてから、臼を使ってペースト状態にする。
チョコやココアに加工する場合には、専用の臼を使ってさらに細かい粒子にすり潰すのだが、これはそこまでしていない。なので、少しザラザラした大きめの粒子になっている。
サビーナがミキサーのスイッチを入れた。混ざり具合を見ながら、ゴパルに説明を続ける。というよりは、レカが動かしている固定カメラに向かって話しかけている感じになっているが。
「ペーストを団子に丸めてラップで包んでから、ナウダンダの頂上にある山小屋で寝かしたのよ。ん。こんなものかな」
ミキサーのスイッチを切って、人数分のコップに注いでいく。
「今回は味見だから、カプチーノみたいに泡を乗せたりはしてないわよ。冷めないうちに飲んでみて」
カップを受け取ったゴパルが香りをかいだ。
「見た目はココアですね。香りもココアっぽいかな。でも濃度がかなり高そうですね。では、早速一口」
熱いので息を吹きかけて冷ましながら一口すすった。ゴパルの垂れ目がキラキラしてくる。
「おお……かなり油脂が多いんですね。甘酸っぱいスープのような感じです。これはお腹に溜まりそうですね」
サビーナが続いて試飲した。小首をかしげているが、まんざらでもないような表情だ。
「口当たりはザラザラしていて、トルココーヒーみたいな感じかな。ココアのスープって所かしらね。カロリーは凄く高そう」
レカは喜々としてすすっている。
「いいよー、いいー。ちょっと酸っぱくてアルコール発酵の臭いがするー」
カカオ豆は焙煎しているので、残っている糖分はそれほど多くないはずなのだが。
カルパナもニコニコして飲んでいる。
「いつもお腹を空かせている学生や、若い観光客向けに良いんじゃないかな、サビちゃん。値段が安かったら、パメの家で巡礼客向けに出せるかも」
サビーナが同意した。
「そうね。確かに値段次第だけど、ガキ向けに考えておくかな。そうそう、このチョコラテをちょっと調べてみたんだけど……」
サビーナが調べた所によると、この形式のチョコラテはカカオ原産地の中米で大昔によく飲まれていたらしい。結婚式のような場面で飲んでいて、神に捧げるいけにえの血と同等の価値がある飲み物だったらしい。
「文献が少ないから、あまり確証はもてないんだけどね。らしい、らしいばっかりで」
軽く肩をすくめてから、視線をカルパナに投げた。
「ドゥルガ神やバドラカーリー神への供物として使えそうじゃない? 血ばっかりだと神様も飽きるでしょ」
カルパナがチョコラテを飲み終えて、困ったような表情で笑った。
「隠者さまに聞いてみるよ、サビちゃん。でも、さすがに血の代わりにするのは難しいと思う」
続いては、同じくスリランカ産のチョコレートを使ったキャラメルタルトを作る準備をサビーナが始めた。
「これはチョコラテ用じゃなくて、ちゃんと細かくしたチョコレート用のカカオ粉ね。やっぱり値段が違うのよ」
最初にタルトの器を作った。クッキー生地を使って型を作り、それをオーブンに入れて焼く。
「これの作り方は、前に紹介しているから省くわね。さて、焼きあがる間にガナッシュの作り方を紹介するか」




