ナーガパンチャミ
ゴパルがスリランカの報告書を読み終えて重苦しい雰囲気になっていると、アルビンがチヤを持って食堂の厨房から出てきた。ゴパルとラメシュにチヤを渡して、小首をかしげる。
「ん? どうかしましたか」
ゴパルが両目を閉じて頭をかいた。
「あはは。仕事が立て込みそうな予感がして、困っていた所ですよ。仕事が増える事は良いのですけどね」
ラメシュから簡単に事情を聞いて、アルビンが軽く肩をすくめた。毛糸の帽子もちょっとだけ大きくなっているようだ。
「次から次に想定にない予定が入ると、確かに面倒くさくなりますよね。それじゃあ、俺からゴパルの旦那にプレゼントを贈りましょう。厄除けのお札です」
どうやら、クシュ教授は災厄扱いされてしまったようだ。
お札を受け取ったゴパルが、少しの間キョトンとしていたがすぐに理解した。
「……あっ。そうか、もうナーガパンチャミの日になりますか」
アルビンが少し呆れた表情をしながらゴパルを見る。
「もう過ぎてしまいましたけれどね。アンナプルナ内院にはヒンズー寺院も司祭も居ませんので、お札がやってくるのがちょいと遅れるんですよ。貼りつけはゴパルの旦那の手でやってくださいね」
ナーガパンチャミでは蛇神を祀る。蛇神はビシュヌ神に仕えていて、ソファーの代わりをしている。この蛇神が描かれたお札を家の出入り口に貼りつけ、厄除けにする祭事を行う。ちなみに蛇神はキングコブラのような姿をしていて白色だ。
お札を貼りつけるのは司祭になるのだが、あいにくABCには居ない。仕方がないのでゴパルとラメシュが貼りつける事になった。
食事を終えたので低温蔵へ行き、その入り口の上の方にお札を貼る事にしたゴパルとラメシュであった。ラメシュがゴパルを肩車して、お札を入り口の天井付近に貼りつけてもらう。
そこへ、背後からカルナの鋭い声がした。
「コラ、ゴパル山羊。ラメシュ先生に何てことさせてるのよ! 土台になるのは、アンタの役目でしょうがっ」
大声だったので、驚いてバランスを崩して危うくラメシュの肩から転げ落ちかけるゴパルだ。慌ててドア枠にしがみつく。
「あわわわ……驚かさないでくださいよ、カルナさん」
ラメシュも冷や汗をかいて足を踏ん張っている。少ししてバランスを回復したのか、ほっと安堵した二人だ。ラメシュがゴパルを肩車したままで、振り向かずにカルナに指摘した。
「私の方が高身長ですので、この方が効率的なのですよ、カルナさん。それに、ゴパルさんはあれでも博士ですからね。敬うのは当然です」
微妙に敬われていないような気がするゴパルであるが、特に気にせずにカルナに頼んだ。
「ちょうど良かった。カルナさん、お札が傾いていないかどうか確認してもらえますか?」
大きくため息をついたカルナが、自身の腰に手を当てて肩をすくめた。
「まったく、お人好しなんだから……ちょっとだけ右に傾いてるわね。あ、そうそう、それで真っすぐになったわよ」
カルナに礼を述べるゴパルとラメシュだ。ゴパルがノリをポケットから取り出して、扉の枠に塗りつけてお札を貼りつけた。ほっと一息する。
「よし。これでクシュ教授の厄災から多少は守ってくれるかな。ラメシュ君、ありがとう。下ろしてくださいな。さすがに重いでしょ」
カルナがニコニコしながら、自身の右手の平をゴパルとラメシュに見せた。鮮やかな朱色のメヘンディー模様が描かれている。手首にはガラス製の腕輪がキラキラ反射して光っていた。
「どうよ。ジヌーにメヘンディー屋が来たから、描いてもらったの。なかなか良いでしょ」
どうやら見せびらかすために、わざわざABCまで三千メートルほど登ってきたようだ。その行動力に感心するゴパルである。
「雨期で道がぬかるんでいるでしょうに、さすが地元の人ですね。私だと今頃は転んで、泥まみれになっていますよ」
ラメシュもゴパルと同じく感心している。
「よく似合っていますね。記念に一枚写真を撮りましょうか」
カルナがさらにニコニコ笑顔になった。少々ドヤ顔風味も出てきている。
「撮っちゃって、撮っちゃって」




