エカダシの日
ポカラでのKL関連事業が忙しくなってきて、毎週一回はABCから下山する羽目になってしまったゴパルであった。
低温蔵で仕事を済ませてリュックサックを担ぎ、見送りに民宿から出てきてくれたアルビンに礼を述べる。ついでに空になったチヤのグラスを返した。
ゴパルが軽く肩をすくめながら明るく笑う。
「予想はしていましたが、やはり頻繁に山を上り下りする事になってしまいましたね、ははは……」
チヤのグラスを受け取ったアルビンが、同情気味に答えた。彼の毛糸の帽子がまた少し大きめのモノに替わったようだ。
「足腰を壊さないように注意してくださいね。強力隊の人も膝や足首を痛めて引退する人が多いんですよ」
引退した強力は、農作業も満足にできなくなるので生活に困っていると話してくれた。この辺りは段々畑しかないので、坂道を上り下りする必要がある。
真面目な表情になってうなずくゴパルだ。
「そうですね、気をつけます。まだ危険地手当が振り込まれていないですからね。ここで体が故障したら働き損ですよ」
セヌワではカルナから野生キノコが入った袋を預かった。結構ずっしりと重いので袋の中を見るゴパルだ。
「何ていうキノコなんですか? カルナさん。見かけないキノコですね」
カルナがキノコ袋を持ったゴパルをスマホで撮影して、それに位置情報付きの伝票コードを紐づけた。『キノコ袋を持ったゴパル』が認証キーとなる画像認証だ。これで電子決算を行う。
これを送り状と併せて、早速サビーナに送信したカルナが少し意外そうな表情をした。
「……ああそうか。ゴパル先生は乾燥した高地にあまり行かなかったわね。コレはアンズタケ。チベット系の連中の好物キノコだよ」
ブータンやマナンに行ったときには見かけなかったのだが、ちょうどその頃はアンズタケが生える前だったらしい。確かに杏子色をした小さなキノコである。ただ、フランスで生えているものとは形が違うが。
興味津々で袋の中を眺めているゴパルに、カルナが注意をした。
「このキノコは生で食べちゃダメだからね。弱い毒があって、煮たり炒めたりするとその毒が消えるのよ。ムシも入ってる事が多いし」
了解するゴパルである。
「分かりました、カルナさん。道中でつまみ食いはしませんよ。ナヤプルでも見つからないように注意しますね」
ナヤプルではやはりサンディプとディワシュに捕まって、数杯ほど酒を飲む羽目になってしまったゴパルである。ただ、アンズタケはリュックサックの底の方に入れていたので見つからずに済んだが。
ちょっと酔っ払いながらも路線バスに乗ってポカラに到着し、まず最初にルネサンスホテルへ向かった。タクシーの運転手に代金を支払って、ほっと一息つく。
「ふう。無事に着いた」
タクシーの運転手はグルン族の中年のオッサンだったが、ニヤニヤして会釈した。
「酒臭いですんで、フェワ湖を散歩して酒を抜いた方が良いですぜ、牛糞の旦那」
ゴパルが頭をかいて軽く肩をすくめた。
「もう私が酒飲みだという事は知れ渡っていますよ。気遣ってくれてありがとう」
ホテルの受付けカウンターに行ってチェックインを済ませると、いつもの男スタッフと一緒に協会長が顔を出した。二人ともいつも通りの慣れた表情だ。ゴパルが二人に合掌して挨拶をする。
「こんにちは。やっぱり酒臭いですかね?」
協会長が穏やかに微笑んだ。
「もう慣れましたから大丈夫ですよ。ですが仕事に差し障るようでしたら、ディワシュとサンディプさんに釘を刺しておきましょうか?」
少し考えてから遠慮がちにお願いするゴパルだ。
「そうですね……では、それとなく伝えておいてもらえますか。私は別に構わないのですが、ラメシュ君達は迷惑に思っているような雰囲気ですし」
そう答えてから、リュックサックの底に隠していたキノコの袋を取り出した。
「カルナさんからです。アンズタケという野生キノコだそうですよ。サビーナさんに届けてください」
すぐにレストランからサビーナが出てきた。
「お。アンズタケか。良いわね」
早速、スマホでキノコ袋を持ったゴパルの姿を撮影する。画像認証で配達完了という表示が出た。
「キノコのつまみ食いや転売はしていないでしょうね、ゴパル君」
両手を上げて降参のポーズを取るゴパルだ。
「していませんよ、サビーナさん。しかし、セキュリティ面ではザルすぎるやり方ですね、これ」
サビーナが袋を受け取って、そのまま手下の厨房スタッフに手渡しながら苦笑した。
「まあ、仲間内だけのお遊びみたいなものよね。これもポカラ工業大学のスルヤ先生が絡んでいるのよ。面倒だとは思うけど、我慢して付き合ってちょうだい」
了解したゴパルに微笑んでから、ちょっと困ったような表情を浮かべた。
「あー……今日はエカダシの日だっけ。配達のお駄賃代わりに何かおごってあげようと思ったんだけど……一人で食べるので良ければ何か作ってあげるわよ。どうする?」
ゴパルが気楽に答えた。
「まだ金欠ですので、何か安い料理であれば喜んで。一人飯は慣れていますよ」
ネパール暦では、毎月第二週の初日が女性の断食の日になる。
これは義務ではないので、普段忙しいカルパナ達は断食をしていない。しかし、農閑期でレストランの客が少なくなる雨期のこの時期は行っているようだ。
作法としては朝に沐浴をしてから礼拝を行うので、特に変わった点はない。断食もイスラム教徒が行うような種類のものではなく、塩と油を摂取しなければそれで構わない。
そのため、この日の食事は果物や茹でた野菜を食べる事になる。なお、チヤは飲んでも構わないのでダイエットには向かない。また、祈る神によって断食する曜日が異なるので、追加の断食日を設ける人も多い。
断食をする女性には、その日の夕食を食べた後すぐに眠る人が多い。なので、断食をしたにも関わらず、体重が増えてしまう人もいるようだ。
サビーナが一人飯だと指摘したのは、ゴパルは男なので断食の必要が無く、塩や油を使った食事をするため、女性は付きあえないという意味だ。
ゴパルが頭をかいて話を続けた。
「実は、今日これからレカさんの酪農場でギーの製法を見学する予定なんですよ。KLとは関係ないのですけどね。私の母がギーを買って送れと言っておりまして……」
ギーというのは、水牛乳から作る澄ましバターの事だ。今では牛乳からも作られているが、行事で作る食事には水牛乳のギーが使われる。料理にも使われるが、小さい鉄鍋に少量入れて香辛料を加え火にかけて熱し、白ご飯の上にかける食べ方が代表的だろうか。礼拝時にも使う場合がある。
サビーナがクスリと微笑んだ。
「そうね。氷河の近くで暮らしていて、なかなか実家に帰る事ができないんでしょ。親にはできるだけ孝行した方が良いわね」




