試食会
民宿ナングロの食堂の隅で試食会が始まった。この時期は雨期なので観光客も少ない。そのため、試食会の話をききつけて、ABCだけではなく下のMBCからも数名が来ていた。
人数の多さに面食らって、英語で謝るアルビンだ。流暢な米国西海岸訛りの英語なのだが、少しだけスペイン訛りがある。
「すいません、皆さん。試食は一口程度しか行き渡りません。お代わりは受け付けていませんよ」
ゴパルが香り米のご飯をそのまま試食した。本当に一口サイズの量しかない。とりあえず軽く塩だけを振っていて、他には何もかけていない。そのゴパルの顔が驚きに満ちた。
「うは……凄い香りだね。こんなに香る米は食べた事がないよ」
スルヤとアルビンも同じような表情をしている。アルビンが少し苦笑気味に離してくれた。
「実は炊く間でも、凄く香っていたんですよ。おかげで試食会をここでやっている事がばれてしまいました」
香りの種類なのだが、日本米を炊いた時のような香りではない。若干の硫黄臭は混じっているのだが、花の蜜のような華やかで甘ったるい香りだ。タイの香り米とも違う。
ゴパルとスルヤが食堂内に集まっている人達を見て、素直に理解した。
「人寄せ効果は凄いものがありますね」
「インド人には特に有効のようですよ、ゴパルさん」
この他にはソバやシコクビエのディーロも試食に出てきた。当然のように一口食べるゴパルである。
「んー。香りが良いですね。もっと食べたいのが正直な感想ですが、試食ですから諦めます」
スルヤは淡々と試食して評価シートに記入している。
「種子の保管量って少ないですからね。調子に乗って食べていると、あっという間になくなってしまいます」
試食会はあっという間に終わって、参加者が評価シートに記入を済ませた。その後は、いつも通りの居酒屋になる。ビールが次々に注文されて、ツマミの鶏チリや豚チリ、オムレツ等が客席に配られていく。
ゴパルとスルヤも食事にする事にしたようだ。まだ仕事が残っているので酒は注文していないようだが。とりあえず鶏チリとオムレツに焼きそばを頼んでいる。
飲み物は高地名物のジョッキ入り紅茶だ。これにはミルクは入っておらず砂糖だけなのだが、ゴパルとスルヤは砂糖も入れていないストレートを頼んでいた。
「高地だから体力の消耗が大きいんだけど、それでも糖分の摂り過ぎには注意しないとね。アンナプルナ内院で太ってしまったら、いろんな人から色々言われてしまう」
ゴパルが背中を丸めながら、そう言って紅茶をすすった。スルヤはこじんまりとした体型なので、あまり気にしていない様子だが、同意している。
「そうですよね、ゴパルさん。せっかく痩せてきているんですから」
食事をしていると、ゴパルとスルヤのスマホに同時にチャットが届いた。画面を見て二人ともに同じようなジト目の表情を浮かべている。
「クシュ教授からですね、ゴパルさん」
「だよね。今度はどんな無理難題を押しつける気なんだろう」
チャットに添付されている資料にざっと目を通したゴパルが、キョトンとした目になった。
「へ? 飛行型ドローンを使っての荷物配達実験? 微生物学研究室の仕事とは関係ないような……」
ディワシュとサンディプにもクシュ教授が話をつけてあるらしい。珍しく仕事熱心だなあ……と感心しながらゴパルとスルヤが資料を読み込んでいく。
ポカラからここABCまでの街道では、雨期になると土砂崩れが起きて時々通行できなくなる。菌やキノコといった試料は、時間が経過すると痛んで使えなくなる場合があるので、それを回避したいというクシュ教授の強い要望がある。
その対策としてインドの準天頂衛星群を活用した飛行型ドローンによる、小包の自動配達をする計画を立てたという流れだった。諸々の許可は既に取りつけてあるそうで、一ヶ月後に実証試験を行うとある。
ゴパルが両目を閉じて頭をかいた。
「そんな事業をするなんて、全然知りませんでしたよ」
スルヤも激しく同意する。
「仕事が増えるじゃないですかっ。絶対に増えますよ、これっ」
スルヤが喚きだしたのを聞き流しながら、ゴパルがディワシュとサンディプにチャットで事情を知らせた。すぐに返信が返ってくる。どうやらナヤプルの居酒屋で飲んでいるようだ。
それを読んで、ゴパルが頭をかいた。
「彼らも昨日、突然知ったとか書いてるなあ……困ったクシュ教授だよ」
とりあえずディワシュとサンディプに、チャットで謝っておく事にするゴパルだ。恐らくは、ポカラ工業大学のスルヤ教授とつるんでいるのだろうと予想する。
その予想は当たっていたようで、関連資料にはポカラとジョムソンでの電気自動車関連の事業が載っていた。
ポカラでは電気自動車向けの給電スタンド設置とその実証試験が始まったらしい。しかし、急速充電でも三十分単位で時間がかかる上に、ネパールでは電力事情が悪いため停電がよく起きる。そのため、バッテリー液を入れ替える方式を採用したという事だった。
(うーん……バッテリーの電解液を入れ替えても、肝心の電極の劣化をどうするかだよね。まだ試行錯誤を続ける事になるんだろうな)
ラビン協会長がポカラとジョムソンを結ぶ小型四駆便で、色々と実験したいと言っていた事を思い出す。直行便ですら片道十時間はかかる道のりだ。給電スタンドも途中に何ヶ所か設ける必要があるだろう。そのジョムソンでは、マグネシウム電池とアンモニア燃料電池の試験製造が始まるらしい。
併せて家畜の精子バンクも設ける。乾燥した冷涼な高原地域なので、牛や羊、ヤクといった畜産に適しているというのが設置理由だ。将来はネパールを代表する畜産基地に育てる計画なのだと書かれている。
これらの事業の出資はポカラとジョムソンのホテル協会という事だった。お金持ちだなあ、とゴパルが感心する。
(商業化を見込んだ事業という事だよね。パン工房のように会社化するんだろうなあ)
食事後の水を飲み干して、ゴパルが軽く背伸びをした。
「さて、仕事の続きを再開しようか、スルヤ君」
スルヤも水を飲み干して同意した。
「はい。ゴパルさんは明日からまだポカラへ下山しますしね。今日中に仕事をできるだけ多く片づけておきましょう」




