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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
ポカラは雨がよく降るんだよね編
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帰国して

 スリランカからネパールへ向かう飛行機は、さすがに雨期に入ったのでかなり揺れた。ネパールに近づくとヒマラヤ山脈の壁が見えるはずなのだが、今はもう積乱雲だらけで見えない。

 幸い首都カトマンズ盆地内は雨が降っていなかったので、着陸には支障が出なかったようだ。無事に滑走路に降りて、ターミナルへ向かっている。

 悪天候で着陸できない場合には、テライ地域の空港に降りる羽目になるのでほっとしているゴパルであった。

 外の景色を眺めていたゴパルが、軽く首を回した。今回は窓側の席だったので楽しめたようである。ほとんど雨雲しか見えていなかったが。

(カトマンズ盆地でも田植えが終わってるなあ。ポカラも今頃は水田風景になっているんだろうな。吸血ヒルが湧く時期にもなったけど)


 飛行機から下りて、乗客と一緒に入国管理カウンターへ向かう。

 インドを含む南アジア諸国と中国からの観光客には専用のカウンターがある。それ以外の日本を含む外国人は別のカウンターだ。どちらも入国手続きをする役人の手際が悪すぎるので、長蛇の列になっていた。

 ゴパルはネパール人なので、これまた別の専用カウンターに向かう。こちらも出稼ぎ帰りの人で混雑していた。その列の最後尾に並んで、小さくため息をつく。役人もチヤを飲みながら仕事をしていた。

(いつまでも変わらないなあ……)


 三十分ほどかけて入国手続きカウンターを抜け、荷物を受け取って検疫や税関カウンターに持ち込む。緊張していたのだが、今回は没収される事はなかった。ほっとするゴパルである。

(忙しくて菌やキノコの採集をする時間が無かったし。怪しげなブツは見当たらないからかな)

 今回のスリランカ出張では当初から採集の予定は無かったので、試験管の束も持ち運んでいなかった。


 空港の外に出て駐車場を通り過ぎ、環状道路を走っている路線バスに乗る。空港内からタクシーに乗っても構わないのだが、荷物が軽いので路線バスを選んだようだ。

(まだ、危険地手当が加算された給料をもらっていないからね。節約、節約)


 もう夕方になっていたので、今日はバクタプール大学には行かずにバラジュ地区の実家へ直行する。

 路線バスの中は相変わらずギュウギュウ詰めに混んでいたのだが、慣れた様子でスマホを取り出して操作を始めた。

(まずは無事に到着したとクシュ教授に知らせて、明日の朝に大学に行くと伝えよう。それから、ラメシュ君達にも知らせて。ポカラ組には明日の飛行便の便名と到着時刻を知らせる……と)

 手早く連絡を済ませてから、慌てて実家のゴパル母や父にも知らせる。路線バスは早くもバラジュ地区の手前にきていた。

(危ない、危ない。知らせておかないと、また不機嫌にさせてしまう)

 しかし、実際に送信を終えたのはバラジュ地区の停留所に着いた後だった。路線バスから降りて、軽く頭をかきながらスマホをポケットに突っ込んだ。

(ははは……送信してから十五分後には、家の門の前に着いてしまうなあ)


 恐る恐る帰宅したゴパルであったが、土産物の効果が出たようである。チヤをすすりながら出迎えたゴパル母がご機嫌な表情になっていた。

「ちゃんと紅茶以外の土産にしてるわね。やればできるじゃないの、ゴパル」

 おかげで、その日の夕食は少しだけ優遇されたのであった。喜んでいるゴパルに、ゴパル母がニヤニヤしながら告げる。

「明日はアサール十五パンドラでしょ。ご飯は食べられないから、今のうちによく味わっておきなさい」


 アサール月はネパール暦で、その十五日は西暦太陽暦では六月の月末になる。この日は朝食にご飯を食べず、干飯のチューラを代用する。これにヨーグルトをかけるので、見た目は米国の朝食に似ている。


 ゴパル父と母が夕食を摂り始めた。

 すっかり忘れていたゴパルが、少しがっかりした様子で食事に手を付けた。白ご飯に黒ダル、隼人ウリの香辛料煮込みとバジルのアチャールである。優遇の証に卵の香辛料煮込みが一つ付いていた。

「ああ、そうでしたね。でもチューラは腹持ちが良いから、明日のポカラ行きには都合が良いのかな。かあさん、土産はあれで良かったですか?」

 ゴパル母がニコニコしながらうなずいた。ちなみに三人ともに手を使って食べている。

「明日はSLC試験の結果発表もあるのよ。親戚や近所の子供がそれを受けていてね、土産を持って回ってくるつもり。合格していれば、おめでたい日になるからスリランカ土産はちょうど良いわね」


 SLCとは、スクール・リービング・サティフィケートの略称だ。十年生を終えた全国の学生が受ける、統一の卒業試験である。これに合格しないと十一年生に進めない。


 この事はさすがにゴパルも知っていたようだ。

「学生にとっては重大な日ですよね。微生物学研究室にやって来る子が居れば嬉しいな」

 ネパールには大学入試試験は無い。この時代ではSLC試験の成績等を基にして、どの大学へ入学できるのか自動的に振り分けられる。

 ゴパル母がゴパルやケダルのSLC試験の時を思い出して、感慨深く語った。

「大学に入ったら入ったで気苦労が絶えないけどね。行き遅れ次男坊が、私の目の前に居るし。でもカブレの連中の子供は知らないわよ。勝手に受かっていればいい」

 ゴパル父が軽く肩をすくめながら、ゴパルにそっと告げた。

「カブレにはケダルが回る手筈になっている。カブレの町でもベッドタウン化が進んでいるそうで、仕事も増えていると聞いているよ。ポカラ産のマンゴを土産にする事になっている」

 キョトンとするゴパルだ。

「カブレってマンゴの産地ですよ?」

 ニヤリと笑うゴパル母だ。

「化学肥料や農薬を使ってる農家ばかりでしょ。カルパナさんが指導している農家のマンゴは、使っていないから安心なのよ。ついでにカブレの連中に自慢もできるしねっ」

 どうやらカルパナに注文していたようである。ゴパルはポカラではマンゴ園を見て回った事がなかったので、その事についても感心している様子だ。

(パメやチャパコットにはマンゴ園が見当たらなかったから、シスワかな。色々と手を広げているんだなあ)

 ちなみに、この時期のマンゴは主にテライ地域や北インド産が多い。


 ゴパルがスリランカから買ってきた土産は、インスタントコーヒーとココアが主だった。他には生チョコとナツメグ果肉のジュース等がいくつか。

 明日はバクタプール大学へ行ってクシュ教授達にも土産を届けないといけないし、ポカラでも同様だ。そのため、ゴパル母の取り分は半分ほどである。


 夕食を摂り終えて居間で寛いでいると、スマホに電話がかかってきた。画面を見てジト目になるゴパルだ。

「……はい、ゴパルです。どうかしましたか? クシュ教授。お土産は明日、大学へ持っていくつもりですよ」

 クシュ教授の陽気な声が届いた。

「スリランカ出張ご苦労だったね。土産は明日、研究室で受け取るよ。ちょうどヤマ氏と話していてね、彼のおごりで食事をする事になったんだ。つきあいなさい、ゴパル助手」

 たった今、夕食を食べたばかりだったのだが……両目を閉じて答えるゴパルだ。

「はい、教授。それで、どこに行けば良いのですか?」

 場所を聞いたゴパルがスマホの電話を切った。ちょうど居間にゴパル母と父が入って来たので、頭をかきながら説明する。呆れる二人である。ゴパル母が腰に両手を当ててジト目になった。

「もう夜なのに、また食事かい。大学の先生も大変だねえ」


 ゴパル父も肩をすくめて、気の毒そうな視線をゴパルに向けた。そして、ポケットに入れていた鍵をゴパルに投げて渡す。

「あまり遅くならないようにな。私達はいつもの時間に就寝するから、この鍵を使って家に入りなさい」

 ゴパル母が小さくため息をついて、居間の隅を指さした。

「あの辺りで寝なさい。毛布と枕は用意しておくから」

 恐縮するゴパルである。

「すいません。では行ってきますね」

挿絵(By みてみん)


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