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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
ポカラは雨がよく降るんだよね編
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スリランカ出張

 スリランカへ出発したのは、いったん首都の実家へ戻って大学での仕事をいくつか終えた後になった。

 ゴパル母や父、それに兄のケダルからも土産を頼まれてしまったようだ。実家の居間でキャリーバッグに荷物を詰めながら、ため息をついている。

「観光はほとんどできないと思いますよ。クシュ教授が立てた予定では、ひたすら現地の農場を巡る事になりそうですし。お土産はあまり期待しないでくださいね、かあさん」

 ゴパル母がチヤをゴパルに渡して、軽いジト目になった。三階では女の使用人が軽食を作っている音がする。臭いから想像するとローティだろう。

「海外の学会に出た時も、ろくな土産を買ってこなかったでしょうが。たまには親孝行の一つくらいしなさい」


 そう言われるとつらい。チヤをすすりながら両目を閉じて考えるゴパルだ。

(うーん……カルパナさんやラメシュ君達にも買う予定だし、紅茶でも買ってくるか)

 ゴパル母がジト目のままでチヤをすすった。

「紅茶は買ってくるんじゃないわよ。クシュ先生からアッサム紅茶の新茶をたくさんもらってるんだから」

 実際にはバングラデシュ出張で買ってきた北部バングラデシュ産の紅茶だ。アッサムはインドの州名なので銘柄は別になる。渋味が強くて色もよく出るので、チヤに使うには便利だ。


 ゴパルがチヤをすすりながら了解した。今飲んでいるチヤにもこのバングラデシュ産の茶葉を使っている。

「そうでしたね。何か探してみます」

 ラメシュ達も、恐らくは同じ紅茶を大量にクシュ教授からもらっているのだろうな……と考える。

(紅茶は候補から外した方が良いかな。仕方がない、スリランカに着いてから探してみるか)


 スリランカのコロンボ国際空港に着いて到着ロビーに出ると、見知った顔のスリランカ人が手を振って挨拶してきた。以前、ポカラで開かれた有機農業団体の交流会に参加していた三十代半ばくらいの男だ。

 身長はゴパルと同じくらいの百七十センチほどで、四角い顔をしたがっしり体型だ。肌と髪の色は黒く、髪には少し癖があるのだが、それをキレイに七三に分けている。

 その彼が穏やかな物腰でゴパルと握手を交わした。

「こんにちはゴパル先生。ようこそスリランカへ」

 ゴパルもニッコリと笑って答える。

「お世話になります。ラマナヤカさん。ええと、ベントタ・コーストビューリゾートホテルの副支配人ですよね。忙しいのではありませんか?」

 明るく笑うラマナヤカだ。

「ちょうどいい息抜きになって、私の方が助かっていますよ」


 コロンボ国際空港はスリランカの首都コロンボから北に離れた場所にある。ラマナヤカが副支配人を勤めているベントタのリゾートホテルは、首都コロンボの南に位置する。

 そのため、首都には入らずにバイパス道路を通って直接ベントタへ向かった。車は電気自動車なので実に静かな走行である。

 車で走っても二時間ほどかかる距離なので、途中で何度か喫茶店や軽食屋に寄ってチヤ休憩を挟むラマナヤカである。茶葉はもちろんスリランカ産で淹れ方も異なるため、興味深い表情で風味を楽しんでいるゴパルだ。

「所変われば、チヤも変わりますね。熱帯で飲むチヤも良いものです」

 スリランカは島全体が熱帯雨林気候である。一部地域は高地や乾燥地だったりするが。


 ラマナヤカもチヤをすすりながら微笑んだ。

「紅茶園にも行く予定ですよ。ベントタから距離がありますので、泊りがけになりますけれどね。紅茶園と製茶工場もKLに興味を抱いていますので、技術指導をよろしくお願いします」

 ゴパルが首を引っ込めてチヤをすすった。

「私が知っているのは、ポカラのリテパニ酪農が兼業している小さな紅茶園だけですよ。気候も違いますし。私の言う事はあまり信用せずに、慎重に進めた方が良いと思います」

 クスクス笑うラマナヤカである。

「カルパナさんが仰った通りの方ですね、ゴパル先生は。商売っ気が無さすぎますよ」

「よく言われます……会社勤めをした経験がないので、どうしても甘くなりますね」


 そう言ってからゴパルが喫茶店の中を見回した。何となく英国調の印象がある建物だ。外国人観光客の姿は見当たらず、客は地元の人ばかりである。

 当然ながら壁に貼り出されているメニュー表もシンハラ語表記だ。ネパール語の文字とは違い、数字もシンハラ語なので読めない。

 しかし、客がチヤの代金を支払っているのを見てつぶやいた。

「……もしかすると、ネパールよりも安いかな?」

 ラマナヤカがチヤをすすりながら、少し感心して答えてくれた。

「よく分かりましたね。はい、その通りです。物価はネパールよりも安いと思いますよ。むしろ南アジアで一番安いかもしれません」

 ゴパルは民間企業で働いた経験がないので分からなくても仕方ないのだが、ネパールの最低賃金はインドやスリランカよりも高い。まあ、実際にはあまり守られていないのだが。


 ラマナヤカからスリランカでの最低賃金を聞いたゴパルが、驚きながらも妙に感心している。

「その賃金でもネパールより良い暮らしをしているような気がします。この喫茶店の客の服装もキレイですし」

 確かに、この店で談笑しているスリランカ人は服装が小奇麗だ。食うや食わずという環境でもない。

 ラマヤナカが少し照れながら答えた。

「面白い意見ですね。ですが、そうですね……食べ物には困らないかな。一年中雨が降りますので、電気や水道にも不便を感じませんし。仕事も港湾に行けばいつでも雇ってくれますしね」

 スリランカには巨大な国際港がいくつかある。インド洋航路での重要な港で、それに伴って巨大な倉庫も建っている。空路も同様で、コロンボ国際空港は二十四時間営業だ。

 モルディブで建設準備が進んでいる、軌道エレベータ事業の拠点の一つとして機能し始めている。対岸のインドとは違い、大量の流民や出稼ぎ労働者が陸路で押し寄せる心配もない。ただ、治安面では不安があるが。

 ラマナヤカが気楽な口調で話を続けた。

「スリランカは住みやすいですからね。それに交易の拠点でもありますし。おかげで私達の歴史は波乱万丈になりましたけれどね」


 スリランカには二千年を超える史実を記した歴史書である『マハーワンサ』がある。

 仏教寺院の僧が延々と記し続けていた史書を五世紀に編纂へんさんし、それからも書き足していったものだ。基本的には史実を記しているのだが、当時の王国の圧力に屈して編集された記述もある。

 この歴史書は、今のバングラデシュ辺りにあった王国の物語から始まる。その王国には王子が居た。しかし、あまりにも悪逆非道な行いを続けたので、ついに国外へ追放される。

 インド各地の王国を転々としたが、どの王国でも問題を起こして追放され、最終的に漂着したのがスリランカだった。スリランカでも謀略の限りを尽くした王子は、ついに統一王国を建てて王となった。

 その後、仏教が伝来し、治水を行って稲作の普及を進めながら大いに栄えていく。王族も仏教に帰依したのだが、王家内での謀略や暗殺は絶えなかった。

 さらに、南インドに興ったタミル人のヒンズー王国からの侵攻が始まる。ラーマーヤナの舞台となった時代がこの辺りだ。スリランカの王国は悪役として描かれているが。

 中国の明王朝が侵攻して、当時のスリランカ王を捕らえて属国にした時代もあった。

 やがて大航海時代が到来し、まずポルトガルの統治下となった。次いでオランダの統治下となり、最後に英国の植民地となる。その後、第二次世界大戦を経て独立を果たした。マハーワンサでは現在も歴史を記し続けている。


 余談になるが、英国植民地の時代に、スリランカではインフラが整備され、奴隷制度の廃止や宗教の自由が認められて急速に発展した。

 1873年になると、中国から導入した紅茶が注目されて、農業が飛躍的な発展を見せるようになった。人口も1871年から81年までの間に35万人ほど増えている。


 そのような話をしたラマナヤカが気楽な口調のままで微笑んだ。

「こういった歴史を歩んできていますので、私達シンハラ人は結構タフなんですよ」


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