排水処理での工夫
レカが紹介したのは牛舎での使い方なので、豚舎で使うには色々と改変する必要がある。その事を考えながら、軽く腕組みをするゴパルだ。
「豚舎の排水の方が牛舎よりも汚染が深刻ですしね。リテパニ酪農の方法をそのまま使っても、あまり効果は出ないかも」
レカがドヤ顔になってゴパルに微笑んだ。
「ポカラ工業大学に行ってー、ディーパクせんせーから色々と聞いてきたー。レカ様にお任せー」
ギャクサン社長がメモを取り終えて、軽く肩を回した。細い垂れ目をキラキラさせている。
「おお。ぜひ聞かせてくれ、レカちゃん」
豚舎の排水で最も問題になるのは高濃度のリン酸だ。窒素や炭素系統の汚染物質は分解されるとガスになるのだが、リン酸はそうならない。排水からリン酸を分離して回収するしか浄化方法がないのだ。
そうしないと排水中のリン酸が結晶化してしまう。これはストラバイトと呼ばれている白っぽい結晶で、排水のペーハー値が八から九の間で発生する。この結晶が配管やポンプ内部で発生すると、液漏れや故障の原因となる。
レカがディーパク助手から聞いてきた対処方法は次のようなものだった。ちゃんと図解をテレビ画面に表示させて説明をしている。
まずは豚舎からの排水をいったん溜めおいて、大雑把に固形物を沈殿分離させる。ゴミがある程度取り除かれたら、これを次のタンクに移してエアポンプで空気を送り込む。
これを曝気と呼ぶが、この処理によって排水から二酸化炭素が追い出されてペーハー値が八くらいに上がる。ストラバイトの生成が始まる値だ。
このタンク内に金網を多数入れて、ストラバイトの結晶を効率よく発生させる。同時に浮遊している細かなゴミも一緒に結晶に取り込まれていくので、排水の透明度が少し良くなる。
ディーパク助手の試算では、一トンの排水から最大で百七十グラムのストラバイトを回収できるという事らしい。
ギャクサン社長の養豚団地のように千頭規模の肥育豚を育てている場合では、最大で一日一キロ半程度の回収が見込める。
回収効率を上げたい場合には海水を投入するのが手っ取り早いという事だったが、あいにくネパールは海に接していない。
曝気をしているタンクで発生する泡の量が多すぎる場合には、食用油の廃油を添加すると改善するだろうという事を、レカがドヤ顔でギャクサン社長とゴパルに告げた。
「金網にこびりついたストラバイトはー、こすり落としてー、天日乾燥させればリン酸肥料に使えるってー」
なるほど、と納得しながらメモを取っているギャクサン社長だ。
「良さそうな方法だな。後でうちの技術者に担当させるよ。ディーパク先生に相談すれば良いんだよね、レカちゃん」
こういった排水処理システムは、きちんと設計図を描いて機器類を揃えないと不具合が起こりやすい。行き当たりばったりで対処すると、機能しないシステムになりがちなので、こうして詳細を詰めていくのだろう。
すっかりレカに丸投げしているゴパルが、基本的な事をギャクサン社長に聞いた。
「豚舎の排水って汚染が酷い事で有名ですけど、何が原因なんですか? 餌を与えても十分に消化されていないとかかな」
ギャクサン社長が微妙な表情で笑って答えた。
「そんな所だな。こう見えて豚って胃腸が弱いんだよ。牛ほど強くない」
一般に豚はトウモロコシや大麦といった穀物を食べてリン酸を吸収する。
しかし、これらの作物で生成される種類のリン酸は、フィターゼという酵素がないと吸収効率が悪くなる。豚はこの酵素を体内で合成するのが苦手だ。
そのため、多くの養豚団地ではこの酵素をサプリメントとして豚に与えている。リン酸の吸収促進剤といった所だろうか。それでも劇的に改善するには至らないが。結果として、大量のリン酸が豚に吸収されずに糞として排出されてしまう。
ギャクサン社長が腕組みをしながら、困ったような表情になる。
「遺伝子組み換えした豚を導入すれば解決するって話だけどな。でもそういう豚肉は気味悪がられて、売れないみたいだ」
ゴパルが即座に同意した。
「安全性が高いと認められた豚であっても、気分的に避けてしまいますよね。特にヒンズー教徒は強く反発すると思います」
レカは少し考えている様子である。
「うーん……ポカラにもいつか熱波が押し寄せる日が来るだろうしー、養豚団地にしてるから少しでも環境負荷は軽くしたいよねー。でないとレカナート市から追い出されるー」
とりあえず今回は、新品種の豚情報を追いかけるように心がけるという点で落ち着いた。
遺伝子組み換えした豚は既にある。体内でフィターゼを多く合成できるようにされている。そのため、糞尿に含まれるリン酸を、一般の豚に比べて六十五%以下に抑える事が可能だ。しかも、この改変された遺伝子は子豚にも受け継がれる。
ギャクサン社長がスマホで時刻を確認して、車を手配するように事務員に命じた。
「レカちゃん、良い情報をくれてありがとうな。うちの技術者や経理と相談して、ディーパク先生に相談してみるよ」
照れながらもドヤ顔をしているレカである。
「くるしゅうないぞえー」
時間が余ればポカラの東端にある養鶏企業や、ベグナス湖近くの魚の養殖農家にも声をかける予定だったらしい。
ジト目になって冷や汗をかくゴパルだ。
「ゆっくり進めましょう、ゆっくり」
そう言うゴパルは、まるで役に立っていなかったのだが。レカに丸投げだ。




