養豚団地
ギャクサン社長が経営している養豚団地は、ポカラの東隣にあるレカナート市にある。ネパール軍の駐屯地にも近いので、悪臭問題の解決はかなりの優先事項になっているようだった。
その話を聞いて、カルパナが微妙な表情になっている。ゴパルが何となく納得した。
「茶店でいつも寛いでいる、あの偉い人のクレームかな。最近は試験的にKLを使っているそうですね、悪臭が弱まったと聞いています」
ギャクサン社長がニッコリと笑った。
「ラビン協会長さんに勧められて使ってみたんだよ。予想以上に臭いが和らいだから驚いた。それで、今回本格的にKLを使ってみようと考えたわけだ」
かなり前から周到に計画されていたのか……と観念するゴパルであった。
その後はギャクサン社長と一緒に、レカナート市の養豚団地へ行く事になった。
サビーナがニヤニヤしながら手を振って見送る。
「美味しいベーコンが作れるように、頑張って指導してこいよー」
カルパナもここでゴパルを見送る事にしたようだ。申し訳ない表情を浮かべながら謝った。
「すいません、ゴパル先生。私が養豚団地内に入ると、色々と厄介事を引き起こしそうです。親戚両親や弟夫婦が反対していまして……隠者さまは豚に触れてこいと仰ってくれたのですが」
さすがにこの時代では豚を見たり触れたりしただけで、沐浴して体を清める事は不要なのだが、それでも難しい問題のようだ。
素直に納得するゴパルである。明るい声で答えた。
「KLと光合成細菌を使って、養豚団地が臭くなくなれば行けるようになると思いますよ」
そうなる確証は当のゴパルにも無いのだが。
さて、養豚団地に到着して事務所に入ると、レカが退屈そうな顔をして出迎えてくれた。ソファーの上に猫のように丸まって寛いでいる。
「はーろ~。きたかー」
レカとギャクサン社長は顔なじみのようだ。挙動不審な動きをしていないし、スマホ盾も装備していない。ただその代わりに、リテパニ酪農で見かけるようなヨレヨレのサルワールカミーズ姿になっているが。ストールも当然のように肩にかけていない。
ゴパルとも手を振って挨拶を交わしたレカが、テレビと自身のスマホとを無線接続した。テレビの画面にレカのスマホ画面が映し出される。
「これでよーしー。そしたら始めるかー」
ゴパルが首をかしげて、これから何を始めるのか聞こうとした。しかしテレビ画面にリテパニ酪農の牛舎内部の映像が流れたので理解する。
「ああなるほど。レカさん家の使い方を見せるのですね」
レカがニンマリと微笑んで答えた。ようやく背筋がまっすぐに伸びていく。
「そういう事ー。ギャクサンしゃちょー、何から聞きたいー?」
一重まぶたの細い目を閉じて少し考えてから、ギャクサン社長が答えた。
「そうだなあ。これから雨期が始まるから気温は下がるんだけど、とりあえず畜舎の温度管理だな。レカちゃんの所では今はどうしてるんだい?」
「わかったー。ちょっと待っててー」
レカがスマホを操作して、畜舎内の温度湿度管理の工夫についての映像を呼び出した。そして、ギャクサン社長の質問に応じて映像を切り替えながら、口どもる事なくスラスラと説明をしていく。
相変わらず間延びした口調なので、聞き取るにはちょっとしたコツを必要とするが。
この暑期の間リテパニ酪農では、次のような工夫をしたとレカが話してくれた。
まず餌を与える回数を一日六回に増やして、朝夕の涼しい時間帯に集中したらしい。これによって十分な餌を与えて体力を維持させる。飲み水も十分に与える。
牛舎については天井と外壁面に換気扇を設けて、スプリンクラーを屋根の上と畜舎内に巡らせる。屋根は白く塗り、スプリンクラーを使って散水する。
外壁にはクーリングパッドが設けられているので、そこにも散水するように配管しておく。これは暑い外気を吸引して畜舎内へ送風する際にフィルターを水で濡らしておき、気化熱で空気を冷やす仕組みだ。冷房設備ではないので、少し涼しい風になる程度だがそれなりに効果的である。
外壁面には日が当たらないように、網柵を設けてツタ植物を茂らせている。ただし北面には設けない。他には資金的に余裕がある範囲内で、発泡コンクリート等の断熱材を使っている。
レカが映像で紹介しながら、気さくな声でギャクサン社長に告げた。
「こんなもんかなー。去年とあんまり変わってないー」
ギャクサン社長も同意している。
「そうだな。去年と違うのはツタが伸びたくらいかな。でもまあ、これで今年の暑期を乗り越えたんだから十分に参考になるさ。で……」
細い垂れ目がキラリと光った。
「KLはどんな風に使ってるんだ? レカちゃん」
レカがゴパルに顔を向けて説明を始めるように促した。しかし、ニッコリと微笑んで答えるゴパルだ。
「私が説明するよりも、実際に使っているレカさんが話してくれた方がより具体的になると思いますよ。私も聞いて勉強しますので、ぜひ聞かせてください」
照れたレカだったが、ドヤ顔になって口元を緩めた。
「しかたがないなーもー。それじゃあー、リテパニ酪農の秘密を大公開するかー」
とは言っても、基本的な使い方は変わっていなかったが。
牛舎とその周囲の消臭とハエ除けに、KL培養液や光合成細菌の千倍希釈液を定期的に散布する。臭いが酷くなりそうな糞尿が溜まる側溝や、排水処理システムへの水路には原液を散布している。
牛舎内や外壁、クーリングパッド用に使うスプリンクラーの水も千倍希釈液にしている……とレカが話してくれた。
「牛の飲み水も同じー。おかげで少し糖蜜臭いー」
餌については、濃厚飼料に米ぬか嫌気ボカシをふりかけて、それを牧草やサイレージと混和して与えている。リテパニ酪農では、重量比で子牛に三%、成牛に一%の米ぬか嫌気ボカシを毎日与える事に落ち着いたようだ。
光合成細菌は、離れに作った竹製の簡易ハウスの中で大量生産しているらしい。現在は月産十トン規模になっているとレカが自慢した。
頭をかいてスマホにメモを取るゴパルだ。
「すいません、レカさん。なかなか光合成細菌のハウスの記録を撮りに行けていませんね」
レカが気楽な口調で答えた。
「あんまり手間がかからないからー、頻繁に撮影しに来なくていいぞー。臭いしー」
光合成細菌は箱の中で蛍光灯の光を当てて培養している。しかし、この時代では蛍光灯は使われなくなってきていた。代わりに発光ダイオードであるLEDランプが急速に普及している。
レカによると、インド製や中国製の緑色LEDランプを色々と試していて、いくつかのLEDランプを組み合わせたものが一番早く培養できる事が分かったらしい。そのため、今後は蛍光灯を廃してLEDに置き換えるという話だった。
ゴパルが興味津々の表情になって聞いている。
「さすがですね。後でクシュ教授に知らせてあげてください。きっと喜びますよ」
了解するレカだ。
「決定版がそろそろ決まるってクソ兄が言ってたからー、もうちょっと待っててー。KLと光合成細菌の使い方はー、こんな感じー。あとは排水処理だけどー……」
ギャクサン社長が手を挙げてレカの話を遮った。
「ちょっと待ってくれ、レカちゃん。メモしてる最中だ」




