ガレットとパスタ
サビーナが作ったソバ粉料理だが、まず最初にクレープを焼いた。
「フランスのブルターニュ地方でよく食べられている、ガレットっていうソバ粉のクレープから焼くわね」
そう言って、出来上がったソバ粉のクレープ生地を調理台の上に置いた。これは前日に、現地のシェフが仕込んでおいたものだ。
「寝かせるのに時間がかかるのよ。だから、今回は寝かせ終わった生地を使うわね」
生地づくりだが、卵液と半量の牛乳を混ぜ合わせておき、これにソバ粉を混ぜて塩を少々振る。さらに溶かしバターを少しずつ加えて生地をまとめる。これを一晩以上寝かしておく。
サビーナが麺棒でソバ粉生地を延ばして、クレープ生地を作りながら説明を続ける。
「ソバ粉って延ばすのが面倒なのよね。慣れない人は汎用小麦粉を足しておくと、失敗が減って便利よ。ソバ粉の四分の一くらいの量で十分」
マナンではまだ石窯が普及していなかったので、普通のかまどでクレープ生地を焼く。これは耐火レンガで焚口を作っておいて煙突を差し込み、土で覆ったものだ。火口を二つから三つ設けて、その上に鍋やヤカンを乗せて調理したり湯を沸かしたりする。
今回はフライパンに薄く菜種油を敷いて、その上にクレープ生地を乗せて焼いている。
香ばしい香りが民宿の食堂に流れ始め、参加者から笑い声や歓声が上がっていく。
他の料理人も灯油コンロを使ってクレープ生地を焼き始めたのを見ながら、サビーナが早速一枚焼き上げた。
「ん。こんなものね。これがガレット。このままジャムやバターを塗って食べても良いけど、ローティみたいに主食として食べるのが一般的かな。野菜や肉料理をこれを包んで食べるって感じね」
ただし……とサビーナが付け加えた。
「ソバアレルギーの人も居るから、注文を取る時に確認する事。メニュー表に英語で書いておきなさい」
ジャムやバター、それに簡単な野菜のタルカリや、鶏肉の香辛料炒め等を現地の料理人から出してもらい、それをテーブルに並べる。ちょうどビュッフェ形式のような感じである。取り皿の代わりに使うのが、ソバ粉クレープのガレットだ。
人数分のガレットが焼きあがったのを見て、サビーナがニッコリと笑った。
「揃ったわね。それじゃあ試食して」
飲み物はチヤやインスタントコーヒーの他に、リンゴの醸造酒であるシードルも出されていた。感謝するソナムである。早速、鶏肉の香辛料炒めをガレットに乗せて巻きながらサビーナに礼を述べた。
「チャーメに酒造所を建てている最中なんですよ。シードルをつくる予定です。これは良い宣伝になりました、ありがとうございますサビーナさん」
サビーナもガレットに野菜のタルカリを乗せて二つ折りにして包み、一口食べながら気軽な口調で答えた。
「ビールでも良いんだけどね。ソバ粉は地元産なんだし、地酒にした方が良いわよね。ん。去年のソバ粉にしては、香りがまだ残ってるじゃないの」
続いてシードルを飲んでみる。これには微妙な表情になるサビーナだ。
「……ツクチェ産のシードルは、要改良ね。ゴパル君、しっかり指導しなさいよ」
いきなり命令を受けたゴパルが、口をモゴモゴさせながら適当な敬礼を返した。
「ハワス、サビーナさん」
ガレットは作り方も簡単なので、民宿の人や農家達にもすんなり受け入れられたようだ。続いてサビーナがソバ粉パスタを打ち始めた。
「これも最初は、汎用小麦粉を混ぜておくと失敗しなくて済むわね。生地を練ったら、短冊形に切って生パスタにする。こんな感じね」
そう言って、サビーナが薄い短冊形になった生パスタを摘まんで見せた。彼女は日本料理には詳しくないので、ソバ麺のような形にしていない。
「冷蔵庫があれば、作り置きして冷やしておく事もできるかな。干しても良いわね」
この生パスタを沸騰した湯に入れて茹で上げた。これを皿に盛りつけて、茹でたジャガイモやキャベツを乗せ、上からリテパニ酪農産の硬質チーズを削りかける。
最後に、ニンニクの香りを移した溶かしバターをかけて完成だ。
「今回はポカラのチーズを使ったけれど、地元産のヤク乳チーズを削ってかけても良いわね。ニンニクの香りが苦手な人も居るから、注文を取る際に確認しておく事。それじゃあ、冷めないうちに試食しましょ」
灯油コンロでもパスタが茹でられているので、すぐに参加者全員に試食用のソバ粉パスタが行き渡った。
ゴパルが目をキラキラさせて食べている。
「ソバの香りがして美味しいですね。ソバのディーロと何となく似ている感じがあって、食べやすいです」
ソナムやヤードも気に入った様子だ。二人の協会長もニコニコしながら食べている。レカは人に酔ったらしく食堂の隅に居て、カルパナが付き添っていた。それでもソバ粉パスタを食べているが。
ソナムが早くもソバ粉パスタを食べ終えて、ニコニコしながらサビーナに聞いた。
「サビーナさん。ソバ粉って他にはどんな風に使えますか?」
サビーナも続いて食べ終わり、シードルを一口飲んでから答えた。
「そうね……ピザなんかもできるかな。汎用小麦粉を多めに使って、自家製酵母で発酵させてから焼けば良いと思うわよ」
その自家製酵母の作り方は、ゴパルに丸投げするサビーナである。
最後にレストランや食堂の料理人達に礼を述べた。
「どうもありがとうね。地元産の食材を使うなら、客に食材の事を説明できるようになると会話が弾むわね。農家と仲良くなっておくのは良い事よ」
この試食では満腹にならない人達なので、その後はソナムが主催しての酒盛りに移行した。チベット料理になる。
当然のように牛肉料理が出てくるので、席を外すカルパナやサビーナであった。ゴパルとレカも渋々席を外して彼女達に従う。
そんな四人にソナムが料理を持ってきた。
「すいません、牛肉料理はダメでしたよね。ヤク肉のステーキでしたらどうですか? 馬乳酒もありますよ」
ゴパルとレカが、目をキラキラさせてステーキを見つめる。カルパナとサビーナが苦笑しながら顔を見合わせて、料理を快く受け取った。
「こっそりと食べる分には大丈夫かな。ね、サビちゃん」
「そうね。最近のチェトリ階級は水牛肉を食べる人も多くなってるしね。自宅で食べるのは無理だけど、外食としてなら許容できると思うわよ、カルちゃん」
早くもヤクステーキをナイフとフォークを使って切って食べているレカが、幸せそうな笑みを浮かべた。満面のニコニコ笑顔である。
「うーまーいー。ヤク肉って筋が多くて固いのよー。よく叩いて柔らかくしてるー、偉いー」
ゴパルもレカに負けず劣らずのニコニコ笑顔である。パクパク食べながらレカに同意している。
「牛肉とは風味が少し違いますね。でもそれが良いな。ブータン料理の味付けとも違うんですね」
そして馬乳酒を一口飲んで、感心した表情でソナムを見た。
「ちょうど良い発酵具合です。アルコール度数も馬乳酒は低いですし、飲みやすい酒ですよね」
発酵条件にもよるが、ビールよりも低い度数の酒が多い。
ソナムが少し真面目な表情になった。
「ゴパル先生。馬乳からチーズはできないとよく言われますが、本当なんですか?」
ゴパルが素直に肯定した。口調も淡々としたものに変わる。
「馬乳の成分が独特なんですよ。レンネット等の凝固剤が効かないので、チーズ作りには不適ですね」
がっかりしているソナムを気の毒に感じたのか、ゴパルが愛想笑いを浮かべた。
「でもまあ、菌の世界は広いですしね。もしかするとチーズ作りに使える菌が居るかもしれません。クシュ教授に相談してみますよ」




