ズッキーニの花
翌日セヌワから下り、ナヤプルで路線バスに乗ってポカラへ到着したゴパルであった。今回は急な下山だったので小型四駆便の予約が間に合わなかったらしい。
ナヤプルでは、いつもの居酒屋でディワシュとサンディプに誘われて、酒を数杯飲んでいる。ディワシュの小型四駆は雨期に備えて、アンバル運送にて整備中という事だった。
ルネサンスホテルには昼過ぎに到着したのだが、わざわざラビン協会長とサマリ協会長の二人が出迎えてくれた。恐縮しているゴパルに、穏やかな笑みを返す二人の協会長だ。
最初にラビン協会長がゴパルに礼を述べた。
「ゴパル先生、今回はマナンへの出張に参加してくださって、ありがとうございます。明日の天気は良いという予報ですので、予定通り日帰りになると思います」
続いてサマリ協会長が礼を述べた。二人ともタカリ族なので、何となく兄弟に見える。実際は別々なのだが。
「私からも礼を言わせてください。マナンの競馬はまだ先になるのですが、今から準備を始めておく必要があります。来週になれば本格的な荒天になって、飛行機が飛ばなくなりますからね」
マナン空港は雨期の間に閉鎖されるためだ。陸路ではポカラから車でも丸二日以上かかる。ジョムソンからであれば峠を馬や徒歩で越えて行けるのだが、その峠は標高5416メートルある。
オフロードバイクや自転車のマウンテンバイクで峠を越える猛者も居るが、普通の観光客は止めておいたほうが良いだろう。
ゴパルが状況を理解して同情した。
「大変ですね。今から準備を始めないといけないとは」
サマリ協会長がウインクして微笑んだ。
「実は他にもありましてね。来月アサール月の一日から十日間、ムスタン郡にある中国国境が開くんですよ。屋台が国境に集まりますので、観光客を募って行く企画を立てています。その宣伝にポカラへ来てもいます」
アサール月は西暦太陽暦の六月中旬から七月中旬までの期間を指す。ポカラでは雨期が始まっている季節だ。ちなみに、このアサール月の初日はネパールでは白ご飯を食べない日でもある。干飯を代わりに食べる日だ。
ムスタン郡はジョムソンが州都で、北部には非公認のムスタン王国がある。つまり、この十日間は昔の『塩の道』が開通する事になる……のだが、特に大きな交易は行われていない。ムスタン郡はネパール人でも入域許可が必要になるため、早めに募集を締め切るらしい。
ゴパルは特に関心が無いような表情だ。菌やキノコ採集にはあまり適していない地域なので、仕方がない。
チェックインして二階の角部屋に荷物を置き、軽く汗を流して着替えていると部屋の電話が鳴った。いつもの男スタッフからで、カルパナが迎えに来たと知らせる電話だった。礼を述べて、身支度を整えるゴパルだ。
「ナヤプルでちょっと飲み過ぎたかな。酒臭くなってないと良いけれど」
しかし、ロビーで待っていたカルパナには誤魔化しが通用しなかったようだ。穏やかな口調ながらも、有無を言わせない迫力をもってゴパルに説教を始めた。
「ゴパル先生。昼からお酒を飲んではいけませんよ」
しゅんと背中を丸めるゴパルだ。
「はい、カルパナさん」
マナンへ飛ぶのは明日の朝なので、今日は時間がある。そのためカルパナに、パメの畑を記録撮影したいと申し出ていた。
カルパナがへこんでいるゴパルに、ヘルメットを手渡してクスクス笑った。
「もう気にしていませんよ、ゴパル先生。では、パメに向かいましょうか。ズッキーニの花の収穫が始まりましたよ」
「ズッキーニの花ですか……ああ、確か料理で使うんでしたね。撮影しましょう、案内をお願いします」
パメの種苗店にバイクを置いて、歩いて段々畑を巡るゴパルとカルパナだ。最初にズッキーニの畑に向かった。
カルパナが網柵の扉を開けて畑の中へ入る。
「雄花を摘んで、その花粉を雌花に付ける人工授粉の作業をするのですが、これって日の出前までに終わらせる必要があります。ですので、撮影用に一つだけ残した雄花を使って実演しますね」
ゴパルが畑を見回すと、ズッキーニの雄花が全て摘み取られていた。
「へえ……受粉に適した時間帯があるんですね。夜明け前なんだ」
ゴパルがカルパナの手元を撮影し始めたのを見て、カルパナがズッキーニの雄花を摘み取った。花びらをめくって雄しべを出し、それを隣のズッキーニ株の雌花に押し当てる。
「ミツバチやマルハナバチが飛んでいますので、彼らに任せても構わないのですけれどね。日の出前までに済ませた方が実りやすいので、こうしています」
カルパナが摘み取った雄花を、ゴパルのスマホカメラに近づけた。
「これはサビちゃんのレストランに渡します。包み揚げに使うそうですよ」
ゴパルも雄花を採集したい衝動に駆られたが、明日からマナン出張なので我慢したようだ。
「もしも、遅れて開花した雄花がありましたら、私がABCへ戻る際に分けてくれませんか? もしかすると、何か面白い菌が付いているかもしれません」
ニッコリと笑って快諾するカルパナだ。
「はい。見た所、開花直前の雄花の蕾がいくつか残っていますね。それを予約しておきます」
このズッキーニはまず最初に、花が付いたままの小さな実を収穫するという話だった。開花後四日目を目安にして、花付きのズッキーニの実を収穫する。この時のズッキーニの実は小さくて、長さが十から十五センチほどしかない。
これを花付きのままで料理する。雌しべを取り除いてから、花の中にチーズとアンチョビを詰めて花を捻って閉じ、汎用小麦粉をまぶして揚げるのが一般的だ。
その後、開花後一週間ほどしてからズッキーニの実だけを収穫する。この時には長さ十八から二十五センチに育っている。
この際に注意する点は収穫した実の下三節までの葉を残しておき、それよりも下の葉を全て除去する事だ。こうする事で風通しが良くなり、病害虫の発生を抑える事ができる。その後は、葉の色や角度を見ながら水や肥料を与えていく。
余談になるが、ズッキーニには毒がある場合がある。ククルビタシン類という毒物なのだが、食中毒の原因となる。
ズッキーニのヘタを包丁で切って、その切り口を舐めて確かめてみるのが分かりやすい。もし舌を刺すような渋味を感じたら毒があるので、そのズッキーニは料理せずに捨てた方が良いだろう。この確認方法で、キュウリやニガウリ等のウリ科全般の野菜の毒判定もできる。
そんな話をカルパナがして、了解するゴパルであった。
「分かりました、カルパナさん。カブレの親戚にもズッキーニやニガウリを栽培している人が居ますので、伝えておきますね」




