ポトフ
カルパナが問い合わせを終えて、スマホをポケットに入れた。
「いくつか候補になる品種がありましたので、後で選んで注文しますね。タマネギの品種は豊富なので便利です」
インド圏ではタマネギ人気が凄く高い。インドではタマネギ不足になると治安が悪くなるほどだ。そのため、ネパールでもタマネギの育種には力を入れている。
(そういえば、ラビさんがタマネギの育種計画ばかりでうんざりだ、とか何とか口走ってたっけ)
ラビ助手は育種学研究室のゴビンダ教授の部下である。ゴパルとは結構親交があったりする仲だ。まあ、同じ助手仲間という事なのだが。ゴパルのイメージでは、ラビ助手はいつでも白衣の裾をパタパタさせている印象である。
ポトフは煮物料理なので、すぐに出てきた。この時期は人気があるようで、他の客もポトフを注文して食べている。アバヤ医師も仲間と談笑しながら食べていた。
(ポカラは今が一番暑いんだけどね。でもまあ、肉の塊を焼いて食べるのに比べると、お腹には優しいのかな)
ワインは白ワインのままにしたようだ。バゲットが入っている藤カゴにも新たなパンが追加された。発酵バターの皿を見て、ゴパルが感心する。
「そういえば、リテパニ酪農産が増えてきていますね。この発酵バターもそうですし、先程のモッツァレラチーズもですね」
カルパナが穏やかに微笑んだ。
「KLのおかげですね。今しがた連絡をとってみたのですが、レカちゃんは夏バテでポカラまで来る気力が出ないそうです」
そうだろうなあ……と納得するゴパルだ。
「では、冷めないうちにいただきましょうか」
ポトフでは牛肉を使う場合があるのだが、今回は使っておらず鶏肉と豚肉だけだ。ゴパルがスープを飲んで、幸せそうな表情になった。
「んー……ブータンでは辛い料理ばかりでしたので、こういった素朴な味は良いですね。バラジュの実家でも、鶏肉の香辛料煮込みばかりでした」
カルパナも最初にスープを飲んで、嬉しそうに同意している。
「家庭料理という感じがして良いですよね。やはりブータンでは辛い料理ばかりだったのですか」
実際には辛くない料理もあったのだが、エマダチの強烈な思い出があるようである。結局プナカではエマダチを完食できなかった。
少し口元をこわばらせながら、ゴパルが弁解する。
「とりわけ強烈な料理がありまして……」
以降はブータンでの体験談の話題に移るゴパルと、それをニコニコしながら聞くカルパナであった。
ポトフは、本来は牛肉を主役にして鶏肉、豚肉を加え、タマネギなどの色々な野菜を入れた煮物を指す。しかし、このレストランの客にはヒンズー教徒が多いので、牛肉は使用していない。
鶏肉版のポトフはプロポ、豚肉版はポテと呼ばれるのだが、ここではポトフと呼ぶ事にしているようだ。
作り方を簡単に紹介しよう。
鶏腿肉と豚肩ロースをそれぞれ四百グラムとり、三センチ角の大きさに切っておく。これを鍋に入れて、水を注ぎ火にかける。湯が沸騰する前に火を止めて湯を捨て、肉のアク抜きを行う。済んだら肉に塩コショウしておく。
適当な大きさに切ったタマネギ二個、皮をむいたニンジン二本、筋をとったセロリ一本に塩コショウをしてすり込んでおく。
これとは別に皮をむいたジャガイモ二個を、塩茹でしておく。一緒に煮てしまうと、ジャガイモからデンプンが溶けだしてしまうためだ。同様にキャベツの葉も別の鍋で塩茹でしておく。
耐熱鍋にタマネギ、ニンジン、セロリを入れて、アク抜きした肉をその上に乗せる。最後にネズの実を乾燥させたジュニパーベリーを二十粒ほど、生のタイムを十二本、ローリエの葉を二枚上に乗せる。料理用の白ワインと水を注いで耐熱鍋にフタをする。
この料理は蒸し煮なので、しっかりとフタをする。まず強火にして沸かし、その後で弱火にして一時間ほどじっくりと煮込む。茹で汁の量が減ったら、湯を足しておく。
圧力鍋を使っても良いのだが、その場合は火が通り過ぎて肉が柔らかくなりすぎる傾向がある。
十分に煮えたら皿に盛りつける。別に塩茹でしておいたジャガイモとキャベツを加え、刻んだイタリアンパセリと粒マスタードを少々振りかけて完成だ。なお、牛肉を使う場合はすね肉を使うと良いだろう。
料理を食べ終わり、チーズや果物をつまんで終了となった。
他の客もほとんどが食事を終えていたが、そのままブランデーを手にして談笑している。新たに酒のツマミを注文する人もいるようだ。カルパナはパパイヤとプッラータをデザートにしていたのだが、食べ終わって幸せそうな顔をしている。
「美味しかったです。この後は、部屋に戻ってそのまま何もせずに眠るだけなんですよね。贅沢だなあ」
ゴパルは発酵チーズとシェーブルをいくつか摘まんでいて、果物は注文していなかった。
「ああそうか。カルパナさんは、巡礼客のお世話をしているんでしたね」
ゴパルにうなずくカルパナだ。
「ほとんどは弟夫婦や使用人さん達がしていますけれどね。食器洗いや掃除を手伝っていますよ」
耳が痛いゴパルであった。民宿ナングロでは何も手伝っていなかったりする。
カルパナが大きく背伸びをして、あくびを両手で隠した。
「すいません、もう眠くなってきました。もう少しゴパル先生とお話をしたかったのですが……」
二重まぶたの目が閉じていき、頭がゆっくりと揺れ始めた。ゴパルが席を立つ。
「お疲れさまでした。では、部屋まで送りましょう」
いつもの男スタッフを呼んで、ゴパルと二人でカルパナを部屋まで護衛する。彼女の部屋は一階だったので、階段を使わずに済んだ。カルパナが部屋の前に立ってゴパルに礼を述べる。
「夕食会楽しかったです。またいつかしましょうね」
ゴパルもニッコリと微笑んで同意した。
「分かりました。カルパナさんの仕事が落ち着いたら、また食事会をしましょう」
おやすみなさい、とカルパナが合掌して挨拶をし、部屋の中へ入っていった。見送るゴパルと男スタッフも合掌して挨拶を返している。
部屋のドアが閉められて、ちゃんと中から鍵がかけられた音を聞いてから、ほっとするゴパルだ。隣の男スタッフにチップを渡して礼を述べる。
「急なお願いだったのに、引き受けてくれてありがとうね。仕事に戻ってくださいな」
男スタッフがニッコリと笑った。
「こうなるだろうな、と予想して待機してたんですよ。ゴパル先生も部屋に戻りますか?」
ゴパルがうなずこうとした時、アバヤ医師がニヤニヤしながらやって来て、ゴパルの肩に手をかけた。
「バーで飲もうじゃないか。ポカラの地ビールがまた改良されたそうだぞ。試飲しておく義務があるよな、ゴパル君」
がっくりと肩を落としながらも、口元を大いに緩めるゴパルである。
「し、仕方がないですね。義務ですしね」
結局、ゴパルはアバヤ医師達と飲み明かしてしまい、翌朝気がついたら自室のベットの上だった。




