山米
「お、ご飯は山米ですね」
ゴパルが垂れ目を細めた。鶏肉カレーを、白ご飯にかけて、指先でチョンチョン突きながら混ぜる。そして、右手の人差し指から薬指までの指を使って、すくい取り、親指の腹で軽く形を整える。
それを口へ持って行き、今度は親指の爪がある面を使って、口の中へ弾いて入れる。
手の平まで、ご飯やオカズが付いてしまうような食べ方は下品とされている。まあ、背中を曲げた姿勢に、ならざるを得ないのではあるのだが。なお、左手は膝の上に置く。
白ご飯も鶏肉カレーも、湯気が立つほど熱いので、口の中で少しの間転がして冷やす。鯉が口をパクパクさせているような表情になっているゴパルだ。
それでも、口の中が火傷するような事にはならなかった様子で、軽く噛んで飲み込む。カレーは飲み物だという例えがあるのだが、それは、かなり正解に近い。
ゴパルの黒い瞳が、キラキラして輝き始めた。
「美味いなあ。山米もしっかりと粘りがあって、カレーに良く合います。独特の米の香りもして、楽しめますね。地鶏も骨がよく割られていて、味がしっかり出ていますよ」
香辛料は粉である上に、インドや、南ネパールのテライ地域の産品なので、新鮮さは期待できない。これは仕方がない事だ。
アネルがニッコリと笑い、新たなビールと鶏チリを、欧米人客達へ運んでいく。客も顔が赤くなって、かなり上機嫌になっている。言葉遣いから、米国の東海岸出身者が多いようだ。
運び終えたアネルが、自慢そうにゴパルに微笑んだ。
「そうでしょう。そうでしょう。ははは」
ゴパルが、右手をフル回転させて、ご飯とカレーを口の中へ運んでいく。途中からは、黒ダル汁も、白ご飯の上にかける。十分後には食べ終えてしまった。
せっかくなので、白ご飯と鶏肉カレーのおかわりを受け取る。
こういった民宿では、自動的に飯や、オカズの追加がやってくる事が普通だ。客が断らないといけない規則である。
一方で、ニジマス料理屋のような食堂では、そのようなサービスは無い。二十四時間営業の、ポカラの食堂でも無い。
おかわり分も、一気に食べ終えて、ここで終了宣言をする。膝の上に置いていた左手をテーブルの上に出し、水が入った真鍮製のコップをつかむ。その水を一気飲みして、食事終了だ。すぐに席を立って、洗面所で手を洗う。
「アネルさん、ごちそうさまでした。美味しかったですよ」
アネルがニコニコしながら、食器とコップを調理場へ下げた。
「この後はどうしますか? ウィスキーやラムにウォッカにジンを揃えていますよ。国産ですが」
ゴパルが口元を右手で押さえながら、かぶりを振った。
「いえ。これで十分ですよ。まだ、この後、もう少しだけ仕事をしないといけませんので」
残念そうな表情を浮かべているアネルに、ゴパルが口元を緩めた。
「観光目的で来ていれば、喜んでバーカウンターに陣取るのですが。それにしても、さすがは水田地域に近いアンナプルナですね。ご飯が美味しいです。エベレストや、ランタン街道とは違いますね」
アネルが、興味深そうに話を聞いている。
「そうなんですか。ずっとガンドルンで民宿やってるもんで、他の観光地へはチャイ、あまり行った事がないんですよね」
そして、何かを思い出したようだ。少し灰色がかった紙を、バーカウンターから持ってきて見せた。
「ロクタ紙です。工場が動くのは、三月末からですんで、現物を見るのは初めてですかいナ? ゴパル先生」
ゴパルが和紙を手に取り、球形の蛍光灯の明かりに透かした。太い繊維が浮かび上がり、細い繊維と絡み合っているのが見える。
「公文書の封筒では、よく見かけますよ。これは薄いから、便箋かな?」
アネルがうなずいた。
「はい、便箋です。ボールペンで書くとチャイ、ちょっと引っかかりますけれどね」
ゴパルがロクタ紙の便箋を、アネルに返した。
「機会があれば、工場の見学もしてみたいですね。では、私はそろそろ部屋に戻ります」
アネルがニッコリと笑った。
「低温蔵、期待していますよ。焼酎向けの酵母や、クモノスカビの種類を、しっかりと増やしてくださいよ」
……クシュ教授が、情報をガンドルンの民宿オヤジにまで垂れ流しているようだ。