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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
暑いと夏野菜を植えたくなるよね編
866/1133

ティンプー

 結局、首都ティンプー市内にある民宿に着いたのは夕方になってからだった。平謝りするゴパルである。両手には三ダースほどの小さな強化プラスチック製の試験管を抱えている。

「すいません……調子に乗って採取し過ぎてしまいました」

 サムテンドルジも採取を手伝っていたようで、黒い革靴や白い袖に泥水が付いている。ニッコリと笑って応えた。

「構いませんよ。採取したサンプルは、農政省でチェックしてから、半分をクシュ教授宛に空輸して送る約束になっています。何か面白い菌が見つかると良いですね」

 サンプルは全て二組になっていて、その一組をブータンの研究機関へ、もう一組をバクタプール大学へ送って分析する事になっているらしい。


 ゴパルが採取したサンプルをいったん全てサムテンドルジに渡した。

「では、お手数をかけてすいませんが、よろしくお願いします」

 サムテンドルジが気楽な表情でうなずいた。

「では、いったん私が勤務している王立種苗センターに寄って、サンプルを保管庫に入れてきます。その後でこの民宿の食堂で食事でもしましょうか。ブータン料理をごちそうしますよ」

 目をキラキラさせるゴパルだ。

「分かりました。では私は部屋で汗を流してから食堂に向かいますね」


 民宿は三階建ての鉄筋コンクリート造りで、チベット様式を取り入れた外観と内装だった。チェックインを済ませたゴパルが階段を上っていく。階段自体は木製なのでギシギシと音がした。

(へえ……床にはチベット様式のカーペットが敷き詰められているんだね。床と壁はコンクリートの上に板を貼りつけたモノか)

 ゴパル自身はチベット様式に詳しくないので、ジョムソンやツクチェで見た様式と、このブータンの民宿の様式との違いには気がついていない。チベット仏教の宗派が別なので、様式も違っているのだが。


 部屋に入ると、最初に目にしたのはベッドの掛け布団の柄だった。これもチベット様式なので地味ながらも凝った紋様である。

 床は板敷きになっていて、靴を履いたままでも構わないようだ。ネパールだと部屋の中では裸足になるので、少し戸惑っているゴパルである。リュックサックを床に置いて、軽く頭をかいた。

(スリッパを用意してくれば良かったかな)

 部屋にはテレビと机にイス、それに大きめの衣装棚があった。スマホを取り出してみると難なく使える。

(んー……でも、利用できるサービスやサイトには制限があるようだね。でもまあ、これでクシュ教授と連絡が取れるから良しとしよう)


 早速チャットでクシュ教授やラメシュ達、それからカルパナやサビーナ、レカ達にもブータンに無事に到着して宿に入った事を報告した。すぐにレカから返信が来たので、それに答えてから民宿の食堂へ向かうゴパルである。


 食堂の印象は、ツクチェの食堂をかなり豪華にしたような感じだった。既にサムテンドルジがテーブルについていて、ゴパルに手を振った。

「こちらです、ゴパルさん」

「あっ、すいません。待たせてしまいましたか」

 ゴパルがテーブルに座って、店内を見回すと白人観光客やインド人観光客で賑わっていた。ただ、雨期直前なのか人数はそれほど多くないが。

 サムテンドルジが、民族衣装のキラを着た食堂の若い女スタッフから、料理と酒のメニュー表を受け取った。彼女も日本人的な顔である。

「観光シーズンではなくなるので、この時期からは政府関係者や仕事で来ている人が多くなりますね。ゴパルさんは、お酒と牛肉と辛い食事は平気ですか?」

 ギクリとしながらも、努めて平静な表情でうなずくゴパルだ。

「激辛は無理ですが、それなりの辛さでしたら大丈夫ですよ。酒と牛肉も海外でしたら問題ありません」

 明るい表情でうなずくサムテンドルジだ。

「私も激辛料理は遠慮しています。胃を痛めて入院した知人を多く見ていまして……今回は私達二人だけですから、少量ずつ頼みましょうか」


 ほっとするゴパルである。激辛と聞くと唐辛子スプレーを連想してしまうようだ。当の本人は記憶が吹き飛んでいるので覚えていないのだが、反射的に身構える癖がついてしまっている。

「そうできれば、ありがたいです。サムテンドルジさんはこの食堂をよく利用しているのですか?」

 サムテンドルジが手を否定的に振った。こうして見ると手が骨太で大きい。

「サムテンと呼んでくれて構いませんよ。ドルジですと、そこらじゅうに居ますし」

 どうやらサムテンドルジではなくて、サムテン・ドルジだったようだ。


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