お出迎え
パロ国際空港は滑走路が短いので、大きな機体は離着陸できない。そのためこじんまりとした印象の空港だ。
空港ターミナルは外壁も内装もチベット様式に統一されているので、ゴパルの目から見ても異国情緒を感じる。
早くも乗客達が空港建物や飛行機、それに滑走路のむこう側に広がる田園地帯と、白い氷雪で覆われたヒマラヤ山脈を喜々として撮影し始めた。ゴパルも一緒に混じって撮影する。
(ジョムソンくらいの標高だと聞いたけど、湿気はこちらの方が高いな。しかし、水田があるんだね)
水田はちょうど代かきが終わった段階で、田植えが始まったばかりのようだった。早くも採取したくなるゴパルであるが、ここは我慢して税関検疫に向かう。
書類を提出して通過するとロビーに出た。既に多くの外国人観光客相手の旅行会社のスタッフが、それぞれ歓迎ボードを手にして出迎えている。
ブータンでは基本的に個人旅行はできない。必ずブータンの旅行会社を通じて、ガイドをつける必要がある。
そしてゴパルの場合は、研究機関の人が出迎えてくれた。ヨレヨレの民族衣装なので、すぐに分かるゴパルである。とりあえずネパール式に合掌して挨拶をした。
(民族衣装を着ているけれど、仲間だと識別できるものなんだね)
「初めまして。バクタプール大学のゴパル・スヌワールです。わざわざ出迎えてくれて、ありがとうございます」
ブータン人の男が、ニコニコしながら挨拶を返した。こちらはブータン式だ。両足を揃えて立ち、腰を少し曲げて前にかがみ、両手の平を上に向けて指を揃えて『クズザンボ』と言う。
男もブータンでは民族衣装を着るのが公式だ。この衣装は『ゴ』と呼ばれていて和服に似ている。袖は折り返されていて、彼の場合も白い裏地だ。厚手の生地はネズミ色で無地、膝丈までで、腰には手の平ほどの幅の帯を巻いている。足は黒のハイソックスで黒い革靴だ。
本来であれば肩に薄くて白いストールをかけるのだが、ただの空港出迎えなのでつけていない。ゴの下には、普通の市販のポロシャツを着ているのが見えた。
「初めましてですね。私はサムテンドルジと申します。ようこそブータンへ」
空港の外は駐車場なのだが、利用客が少ないせいか駐車場そのものが小さい。観光バスや政府機関の車ばかりでタクシーや路線バスは見当たらなかった。地元ブータン人は、知り合いの車に乗せてもらって空港を去っていく。
サムテンドルジが運転してきたのは、インド製のピックアップトラックだった。電気自動車なのだが、かなり走り込んでいるようで、車体にたくさんの擦り傷が付いている。
(ああそうか。ブータンはインドに電気を輸出してるんだっけ)
一人で納得しているゴパルだ。ブータンはこの急峻な地形を利用しての水力発電が盛んである。ネパールに比べて人口も少ないので、水力発電所を建てやすいのだろう。
集落や家畜の放牧地、養豚団地も少ないので、沢水の水質も良い。ボトル詰めして販売する地元企業もある。
車に乗る前に、背負っていたリュックサックを開けて、中から麦芽種菌を三本取り出した。それをサムテンドルジに渡す。
「エリンギの種菌です。元はバングラデシュの野生株ですが、成績は良い感じですよ。製造元はバングラデシュの……ええと、この会社ですね」
そう言って、ラベルに記された製造元を見せた。了解するサムテンドルジである。
彼の顔は日本人によく似ている。例えると、葛飾柴又でバナナの叩き売りをしているオヤジになるだろうか。ただ、かなり知的な雰囲気だが。
やや荒れた太い眉の下には、一重まぶたの細目で黒い瞳がある。体型は小太りで、顔は四角い。少し癖のある短髪の黒髪はキレイに散髪されている。
「わざわざありがとうございます。亜熱帯性のエリンギですよね。ゴパルさんが撮影記録した栽培情報は、既にクシュ教授からいただいています。それを参考にして試験栽培をしてみますね。インド国境地域の町の産業振興に使えるかもしれません」
パロ国際空港がある地域は標高2300メートルの高地なので温帯性気候だ。首都ティンプーも同様である。
一方インド国境周辺は二百メートル程度の丘陵地なので亜熱帯性の気候になる。暖かくて過ごしやすいので、移住者が増えて大きな町ができつつある地域だ。稲作も年に二回ほど行う事ができるので、ブータン政府としても移住を推奨している。
サムテンドルジが少し微妙な表情で微笑んだ。
「北インドやテライ地域と違って、暑くなっても四十度以上にはなりません。ですが、雨期になるたびに道路が土砂崩れで不通になってしまいますけれどね。川沿いにも住めません。洪水が多発するんですよ」
ネパールでも雨期になると洪水がよく起きる。特に東ネパールのテライ地域では毎年の恒例行事みたいになっている。
しかし、ブータンのインド国境地域ではさらに激しいらしい。去年も、川沿いにできていた不法移民の集落が、洪水で流されて消滅したと話してくれた。ブータン国籍もなく、住民登録もしていないので名前も人数も分からないらしい。
このようにブータンでは、陸路やパイプラインを使っての燃料輸入には困難が伴う。そのため、政府主導で電気自動車の普及に力を入れている。
サムテンドルジがゴパルを助手席に案内して、自身は運転席に座った。あまり掃除していない車内である。
「では、首都の宿まで送ります。明日は朝に農政省に挨拶に出向いてもらってから、標高3150メートルの峠をこの車で越えて目的地のプナカへ行きます」
ネパールにはそんな峠道がないので、驚いているゴパルだ。サムテンドルジが話を続けた。
「ゴパルさんは標高4100メートルで暮らしているので高山病に対しては問題ないと思いますが、気分が悪くなったらすぐに申し出てくださいね」
首都のティンプーは標高2300メートルほどあるので、外国人観光客の中には高山病になる人も居る。特にタイやインドから来た人は、空気の薄さに困惑するようだ。
ピックアップトラックが空港駐車場を出て、田園地帯の中を走り始めた。空港周辺には民宿もなく、屋台もない。田植えを済ませて少し経った状態の稲の苗が、パロ盆地を吹くそよ風になびいているのが見えるだけである。ちなみに米の質は、インディカ米と日本米の中間あたりだ。
水田の向こう側は盆地の縁になっていて、松林の中にチベット様式の農家が点在していた。本来、チベット様式の建築物には雨除けの屋根が無い。屋上は物干し場所になっているのだが、ここでは雨が降る。
そのために合掌式の屋根を屋上に被せている。昔はトタン屋根だったのだそうだが、雨が降るたびに音がうるさい。今は、音の出ない新素材を使っているらしい。
サムテンドルジが運転しながらニッコリと笑った。
「これもモルディブのアッド環礁に建てる予定の軌道エレベータのおかげですね。素材開発の恩恵を受けていますよ。この車のバッテリーも一回充電で丸三日ほど走り続ける事ができますし」
ゴパルが水田を興味深く眺めていたが、我慢できなくなったらしい。サムテンドルジに頼んだ。
「水田の水や稲の葉を、ちょっとだけ採取させてもらえませんか? 何か良さそうな菌が付いている予感がするんですよ」
穏やかな目で微笑むサムテンドルジだ。
「やっぱり、同じ種類の人でしたか。首都までは二時間半のドライブで着きますから、それに差し障りが出ない範囲内でお願いしますね」




