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アンナプルナ小鳩  作者: あかあかや
暑いと夏野菜を植えたくなるよね編
855/1133

ポカラ工業大学の実験棟

 バイクで到着した場所は、以前にスーパー南京虫騒動で蒸気殺虫した実験棟だった。大学構内ではないので学生の姿は少ないのだが、それでも大学臭さを感じ取るゴパルだ。

(何だろうなあ、この特有の雰囲気というか臭いって)


 バイクを駐輪場へ停めて、ヘルメットを付属の野外ロッカーに預けると、スルヤ教授とディーパク助手が出迎えてくれた。二人とも相変わらずのヨレヨレな服装と、ボサボサ頭だ。

 まずはスルヤ教授がボサボサな眉を上下させて、ボサボサな髪を肩先で揺らした。

 ゴパルと同じく日焼けしやすい体質なので、長袖シャツに長ズボン、大きな帽子を被っている。それでも顔が黒く日焼けしているが。二重あごを手でさすりながら、切れ長の瞳をキラリと光らせた。

「やあ、カルパナ嬢とゴパル君。暑いのによく来てくれたね」

 続いてディーパク助手がニッコリと素朴な笑顔を見せた。スルヤ教授と似たようなボサボサの短髪を揺らして、がっしりしたアゴを手でさすっている。

 身長はスルヤ教授よりも十五センチほど高い百七十センチ台だ。彼も日焼けしているのだが、黒さはそれほどでもない。

「ようこそ。実証試験の準備は整っていますよ。存分に撮影して宣伝してください」


 カルパナが二人に合掌して挨拶をしてから、二重まぶたのパッチリした瞳をキラキラと輝かせた。

「廃油が燃料に変わるのですよね。楽しみです。この後、成功記念にサビちゃんのレストランでささやかですが食事会を用意しています。鴨肉の油煮込みを出すそうですよ。コンフィと呼ぶ料理だそうです」

 そう言ってから、穏やかに微笑んだ。

「ネクタイは不要ですので、シャツとジーンズ以外の長ズボンに革靴で来てください」

 喜ぶスルヤ教授とディーパク助手だ。早くもスルヤ教授がガハハ笑いを始めている。

「コンフィか。油つながりで料理を考えたようだね。了解だ。ちょいとオシャレな服に着替えてレストランへお邪魔する事にするよ。ワシも助手も酒飲みだからな、コンフィは良い選択だ」


 スルヤ教授とディーパク助手に案内された先は、実験棟の中に設けられた危険物実験用の区画だった。廃油とはいえ、可燃性の材料を使うのでこうなったのだろう。

 消火機器が設置されている区画の中央に、軽トラックくらいの大きさでドラム型の機械が鎮座していた。その塗装も何も施されていない金属板を、スルヤ教授がパンパン叩く。

「これがバイオディーゼル連続製造の実証試験機だ。コード番号だけ付けてあって、名前はまだ無い」

 ゴパルが撮影を開始しながら質問した。

「スルヤ教授。仕組みをごく簡単に説明してください」

 代わりにディーパク助手が説明役を引き受ける事になった。スルヤ教授は早くもチヤ休憩を始めている。

「では、開発の背景から簡単に説明しますね」


 食堂や家庭で毎日出る食用油の廃油は、重大な環境汚染を引き起こす。そのまま川に流すと川魚が窒息して死んでしまうし、微生物による分解でも大量の酸素を必要とするので水中が酸欠になりやすい。

 ゴパルの発案で土ボカシ化し、窒素肥料として使えるようにはなったのだが、土が大量に必要になる。農家では対処できるのだが、清掃会社では土の大量確保は難しい。


 スルヤ教授がチヤをすすりながら、ディーパク助手の説明に口を挟んできた。

「廃油を使った石鹸や洗剤も色々と試したんだが、KLを使っても臭いな。アレじゃあ売れない」

 石鹸は、油に強アルカリ性の液体を加えて、けん化反応を起こさせて作る。

 廃油は材料がまちまちで、酸化具合もバラバラ、さらに何を揚げた油なのかによっても成分が異なる。そのため、加える強アルカリもその都度加減する必要がある。

 ディーパク助手が困ったような表情を浮かべた。

「商業生産するとなると、この都度計算するのは厄介でして。さらに、水酸化ナトリウム粉末を使いますが、これって湿気を吸いやすいんですよね。大量に保管するのが面倒になります」

 石鹸づくりで使う強アルカリ性の液体は、この水酸化ナトリウムか水酸化カリウム溶液を使うのが一般的だ。

 ただ、両者ともに劇薬なので取り扱いには注意が必要になる。廃油に加えると激しく反応して発熱する上に、飛び散ったりもする。衣服にしぶきがかかると簡単に溶けて穴があいてしまうし、蒸気を吸い込んでも危険だ。

 ディーパク助手によると、KL培養液を廃油に加えてから強アルカリ性の液体を加えると、KLの有機酸による中和作用によって、若干は穏やかな反応になるらしい。

「それでも、計算が面倒なのは変わりませんね。そんな経緯で廃油石鹸にする案はボツになりました」


 代わりに、普通の高級食用油を使った石鹸の開発に切り替えたらしい。KL培養液による若干の中和作用が思いの外便利だそうで、色々と実験中という話だった。

「カルパナさんの所の椿油とか、レカさんの所のオリーブ油が有望ですね。開発の目途がついたら、後日カルパナさんに相談しに行きますよ」

 カルパナがキョトンとした表情で聞いている。少ししてから困ったような表情になった。

「椿油やオリーブ油ですが、生産量が元々少ないのです。石鹸に回せるような余剰は今の所ありませんよ」

 それでもめげないディーパク助手だ。

「油の搾りカスでも十分です。ぜひ検討してください。ええと、横道に外れてしまいましたので、本題に戻りますね」


 食用油の廃油を使ったバイオディーゼル作りは、次のような手順が一般的だ。

 ろ過してゴミを除去した廃油にメチルアルコールを加えて、さらに触媒を添加して加熱する。すると化学反応が起きてバイオディーゼルが合成されるので、ろ過して取り出す。

 ろ過で多く採用されているのは、水を添加して不純物や不要物を洗い流す方法だ。しかし、この方法ではコストや手間がかかりすぎる。


 ディーパク助手が軽く微笑んで、首を肯定的に振った。

「そこで、高く売れる副産物を作る事にしました。これで総コストを下げるという考え方ですね」

 食用油の廃油にメチルアルコールと石灰石粉末を添加して、高温で化学反応させるという方式だと話してくれた。副産物として石灰石とグリセリンの混合物が発生する。これにリン酸を添加して化学反応を起こさせる。

「この反応で、グリセロリン酸カルシウムが合成されます」

 この物質はカルシウム強化剤として食品添加物の名目で使う事ができる。粉ミルクや歯磨き粉、医薬品等に使われているものだ。市販品はキロ一万円ほどするのだが、この機械で作ると四百円で合成できる。

 スルヤ教授がチヤを飲み終えて、機械を再びパンパン叩いた。

「その仕組みを組み込んで、この機械でバイオディーゼルを連続生産できるようにしたんだよ。では、稼働させてみるか」


 スイッチを入れると意外にも静かにバイオディーゼルと副産物を作り始めた。感心しながら撮影を続けるゴパルだ。

「そんなに騒々しくないんですね。本当に、廃油を入れながら燃料と副産物を作っていくのか……あっ、ほのかに食用油の臭いがする」

 カルパナは微妙な表情をしている。

「スルヤ先生。ガソリンは合成できませんか?」

 スルヤ教授がガハハ笑いをした。

「カルパナ嬢はバイク乗りだったな。残念だがこの機械では無理だ。ホテル協会としては、まずはバスやトラックに発電機用の燃料確保と保存が最優先なんだよ。どれもディーゼルエンジンだ」

 カルパナ種苗店でもトラックを借りたりしているが、これもディーゼルエンジンである。ただ、電気自動車に置き換わりつつあるが。

 将来、軌道エレベータが稼働すると宇宙での太陽光発電が本格化するので、さらに電気の世界になるだろう。


 がっかりしているカルパナを肩をポンポン叩いて励ますスルヤ教授だ。

「この実証機の開発が終われば、次はバイオガソリンの連続製造機も作る予定だ。それまで少し待っていてくれ」

 この実証試験は、もう少しだけプログラムのバグ取りをしてから二か月間の予定で連続運転をする予定らしい。その結果を見て、問題なければ清掃会社に引き渡されて本格的な事業開始になる。


ゴパルが撮影を終えて、少し考える仕草をした。

「ん? という事は、清掃会社って燃料と肥料を作るんですね。凄いな」

 スルヤ教授がドヤ顔風味で笑った。

「ポカラを支える重要産業になりそうだな。特に燃料の自給率が上がるのは良い事だからね」

 そう言ってから、さらにドヤ顔でガハハ笑いを始めた。

「しかし、本命はジョムソンだよ。人口が少ないから、ポカラのシステムをそのまま流用する事はできないけれどね。雨が降らなくて土地が広いのは大きな利点だな」


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